33 代償
ふいに、目が覚めた。心臓が痛いほど脈打っている。巫女装束は冷や汗で重く湿っている。
隣では香澄が眠っている。しかしそれが正常の夢見の眠りなのか、翼は疑いをもっていた。
翼は布団から起き上がり、部屋を出た。すぐの廊下は不気味なほど静まりかえっている。改めて、香澄が担う夢見という役目の特殊さを思う。香澄の母も、そのまた母も、ずっとこの役目を果たして来たのだ。山の上の静かな社で、わずかな協力者を得て。ほとんど誰にも知られることなく、ただこの世界を明日へつなげるために。
外へ出ると、トキエと燈矢が待ち構えていた。
「あの、お嬢様は……」
先に口を開いたのはトキエだった。表情は曇っている。翼が一人で目覚めたことは、やはり不吉な兆候らしかった。
「まだ目覚めていません。実は、夢見の世界で倒れたんです」
翼は夢見での出来事をかいつまんで説明した。トキエは終始心配そうに聞いていた。一方の燈矢は割りと落ち着いた様子だった。
「そういう事か」
「え?」
呟いた燈矢の言葉に、翼は思わず聞き返す。燈矢は翼に向き直る。
「母さんが言ってた、助けが必要っていうのは、この事だったのかもしれない」
かもしれない、という曖昧な表現とは裏腹に、燈矢の態度は確信的だった。
「井上がいるところに連れていってくれない?」
「は、はい」
翼は燈矢を連れて中へと引き返す。その前に社の背景の空を確認した。あの恐ろしい割れ目は消えていた。
香澄は先程と寸分違わず、静かに眠っている。相変わらず明かりはなく、開け放った入口から差し込む光だけがたよりの薄暗い部屋。巫女装束を着て眠り続けている香澄は、まるで生きていないように見えて翼を恐怖させた。
「苦しそうだね」
「え?」
香澄の枕元に座った燈矢の言葉に、翼もその寝顔を見やる。薄暗くてよく見えないが、確かにどこか力んだ顔をしている。
「呪いだよ」
燈矢が事も無げに告げた言葉の不吉さに、翼は息をのんだ。しかし燈矢は淡々としている。
「向こうの世界の橋爪が、弓を弾いたと言っただろ。それで呪いを受けたんだ。大丈夫、大した傷じゃない」
言いながら燈矢はポケットから何かを取り出した。細長い紙に、何やら墨で文字が書かれている。
「お札だよ。母さんが僕に預けたんだ」
燈矢は丁寧に説明してくれた。まるで翼を安心させるために語っているようだった。お札を掛け布団の上から香澄にかざして、何やら小言で唱えた。
あっ、とその様子を見ていた翼は思わず声を漏らした。燈矢が唱え終わるのと同時に、お札が青白い炎をあげて一瞬で燃えてしまったのだ。
「さ、これで呪いは消えたはずだよ」
するとその言葉に導かれたように、ゆっくりと香澄が目を覚ました。
「香澄ちゃん?」
「……翼ちゃん。よかった。無事で」
「それはこっちの台詞だよ」
半身を起こした香澄にぶつかる勢いで抱きつく。
「もう。無茶するんだから。やっぱり危なかったんじゃない」
ちょっと不機嫌そうに言い募ると、香澄は困ったように笑う。
「でもこれで済んだんだからよかったんだよ。翼ちゃんのおかげだよ」
「えっ。私何もしてないよ?」
きょとんとする翼に、今度はクスッと笑いを漏らす。
「夢見に付いてきてくれたでしょ。今だって、燈矢先輩を連れてきてくれたし。翼ちゃんだって結構無茶してると思うよ」
「そうかなぁ」
何だか言いくるめられた気もするが、香澄の役に立てたのならそれでいいとも思った。
「ありがとう、翼ちゃん。燈矢先輩も」
三人はようやく、緊張から解放されて穏やかに笑いあった。




