22 悠希
ーーおねえちゃん。
先程から、弟の不安そうな声が耳の中でこだましている。走りながら目で追う先にその姿はまだ見えない。うるさいほど鳴り響いている己の鼓動がさらに高まっていくのは、走って息切れしているせいではない。早くしないと、手遅れになる。そんなうそ寒い予感に支配されているためだ。
「大樹、どこよ」
本当は名前を叫びながら捜したかったが、胸があまりにも苦しくてかなわない。
いつもの通学路を学校まで戻ってきてしまった。もしかしたら、終業式の荷物が多すぎて帰れなくなっているだけかもしれないという、微かな願望もついえた。
ーーおねえちゃん。
耳の奥に弟の声が響く。翼はもう走る気力も残っていなかったが、その声に導かれるように学校を後にした。
気がつくと、翼は通ったことのない道にさしかかっていた。どういう基準で道を選んでいたのか、自分でもよくわからなかった。ただ、こっちだという気がするのだ。見たことのない家並みに突っ込んで行くことの心細さよりも、早く大樹を見つけなければという不安のほうが勝っていた。
家並みが途絶えても道は続いていた。翼は引き返さなかった。そのまま進むと、道は森の方へつながっている。その森の入ってすぐのところに隠れるように一軒の家があった。森の奥には、石造りの大きな鳥居が建っている。普通なら不気味にも感じられる光景であるが、それよりも翼の目を引き付けて離さないものがあった。
家の壁に寄りかかるようにして、悠希が立っていた。
「やっと来たね。待ってたよ」
「どうして」
翼は思わず一歩後ずさった。悠希は口の端だけを歪めて笑い、さらに言う。
「どうしてって、僕はずっと君に来て欲しかったんだ。忘れたの?」
確かに悠希は前に一度、無理矢理本家に連れて来ようとしたことがある。今になって背筋が凍るような思いをした。ついに、本家にたどり着いてしまった。無意識に悠希から距離をとる。
「逃げるの?君の本来の目的を忘れてるんじゃないか」
その時、家の中からはっきりとした声が聞こえた。
「おねえちゃん」
「……大樹?」
それはずっと耳の奥に響いていた弟の声だった。
「はじめのうかつな行動のわりに、君は頑固で困ったよ。君に弟がいなかったらちょっと難しかったかもね」
のんびりと告げる悠希に翼は怒りを覚えた。
「一体何が目的?」
「まぁそんな怖い顔しないで。弟君との感動の再会といこう」
壁を離れた悠希はおもむろに玄関の引き戸を勢いよく開けた。
玄関の中は暗かったその奥に大樹が怯えた表情で座っているのがかろうじて確認できる。しかし翼はその手前にいるものに固まってしまった。
そこには、大きな黒い犬が寝そべっていた。二つの鋭い目が西日を浴びてギラリと輝く。
動けない翼を見て悠希は愉快そうに言う。
「どうしたの?さっさと弟君を助け出せば?あぁそうか。君は犬が苦手だったんだよね」
「わざとでしょう」
「どうかな」
悠希は易々と犬に近づくとその頭をなでる。翼は足が震えてくるのを必死に抑えようとした。パニックになりかけている。でもここで逃げたら大樹はどうなる?それだけを思ってその場に踏みとどまった。
「仕方ないから、弟君を助けるまでこの子を外に出してあげるよ。ただし、条件があるよ」
微笑んだまま悠希が言う。温もりの全くない笑いかただ。翼が黙っていると、悠希は立ち上がり、その条件を告げた。
「君が協力している井上 香澄に夢見をやめさせることだ」




