21 弟
朝、目が覚めると翼は先程まで見ていた夢のことを考えて、焦っていた。そして重大な失態に気づく。
香澄の連絡先を聞いていない。
翼は今度こそ頭を抱えた。これで本当に香澄と話す手段をすべて失ってしまった。おそらくもう夢でユイと会うこともないだろう。いやでも、もしかしたら……。
ぐるぐる考えながら学校へ行く支度をする。今日は終業式。明日からはお待ちかねの夏休みだ。
弟の大樹は初めての夏休みを迎えることにそわそわしているようだった。翼は自分が一年生だった頃を思い出した。保育園とは違う友達とやっと仲良くなってきた時だったから、これから約1ヶ月半もの間学校に来ないのは寂しいと思った。そんなに長い間会わなかったら、せっかくできた新しい友達も自分のことを忘れてしまうのではないかと怖くもあった。大樹も今、同じように思っているのだろうか。
「おはようー」
学校に着くと、由佳が翼を見つけて駆け寄ってきてくれた。明るい由佳の笑顔を見て翼の気持ちも少し落ち着いた。
終業式が始まるまでのわずかな時間を使って、翼は昨夜の夢のことを話した。
「それって、翼ちゃんが手伝わなきゃいけないようなことは無くなったってことじゃないの?」
「そうも言えない気がする」
香澄——ユイは夢の中で、翼のことがばれたからもう頼れないようなことを言っていた。それは裏を返せばまだ手助けが必要だったということではないか。しかし由佳は気軽な調子で言う。
「でも良かったんじゃない?これでもう翼ちゃんが危険な目に遭うことがないんだったら」
由佳は何よりもその一点で安心しているようだった。
「せっかく夏休みに入るんだから、楽しいことを考えなきゃ。翼ちゃん家は来週の花火大会行く?」
「ええと、うん」
翼は由佳の勢いに負けてうなずく。そしてこの状況で香澄のことを由佳と共有するのは無理だとわかった。心はすでに、夏休みに向けて浮き立っているのだ。この空気に水を差すことは誰であっても無理というものだ。
終業式が終わり、翼は由佳と共に帰路についた。
「翼ちゃんのお母さんは、夏休み中お家にいるの?」
「ううん。パートだよ。近くに住んでる槙叔母さんがご飯とか作りに来てくれるけど」
槙というのは母の妹だ。翼の家の近くにある母の実家に住んでいる。
「いいじゃん。うちなんて毎日スーパーのお弁当になるんだよ」
由佳はふくれて見せるが、そこまで不満に思っているわけではないようで、またすぐ別の話題に移った。
それから二人はプールへ行く日のことや、町内会の祭のことなどをいろいろ話した。どれも夏休みの過ごし方に関することで、明るい話題で満ちていた。話すうちに、翼が今朝まで考えていたことも頭の隅に追いやられてしまった。
「ただいま」
家にはまだ誰も帰ってきていなかった。今日は全学年同じ時間に下校しているので、弟の大樹より先に帰ってもおかしくはない。
持ち帰った荷物を運ぶため、翼は自分の部屋に上がった。すぐに下りるつもりだったのに、急激な眠気に襲われて、翼はベッドに倒れこんだ。
「翼」
次に気がついたのは、階下から母の声で呼ばれた時だった。そんなに時間が過ぎたとは思ってなかったのに、日は傾きかけていた。下へ降りると、険しい顔をした母がいた。何か怒られるようなことをしただろうかと身構えると、母は全然別のことを言った。
「翼、大樹知らない?」
「え、大樹?」
「いないのよ。さすがに帰ってないってことは無いでしょ」
だんだん状況がのみこめてきた翼にも、母の焦った気持ちが伝わってきた。弟がいない。
「今何時?」
「もう四時過ぎよ。翼は見てないのね、大樹のこと」
焦るあまり、母の声には翼を非難する響きがあった。しかし翼はそれどころではなかった。思考が悪い方へ悪い方へと落ちこんでいく。頭の隅で激しく警鐘を鳴らすものがある。
「捜してくる」
「え?ちょっと翼」
母が引き止める間もなく、翼は玄関から飛び出していった。
なんだかわからないが、ひどく嫌な予感がする。早鐘を打つ心臓を無視するように、翼は走った。




