2 包まれていたもの
その日の夜、夕飯もお風呂も終わると、翼はいつもより早く2階の自分の部屋へあがった。昼間にあの香澄からもらったキャンディのことが気になっていたからだ。
家に帰ると、一足早く帰ってきていた弟の大樹がリビングでアニメを見ていた。それからすぐに母も帰ってきて、買い物袋を置くなり、
「翼、外の洗濯物取り込むの手伝って」
と言った。自分から先に駆けて行く母について外へ出ると、雷の低く轟く音が聞こえてきた。そういえば、家路の途中にも山の向こうに大きな入道雲が見えていた。母と一緒に干された洗濯物を竿から回収しているうちに辺りはすっかり暗雲で覆われ、土砂降りの夕立となった。それでもなんとかほとんど洗濯物を濡らさずに家の中に押し込むことができた。母は間に合った、と言ってほうっとため息をついた。
「スーパーを出たらもう空が暗かったから、だめかと思ったけど。ありがとう翼。ついでにこれ畳んどいて頂戴」
「……はぁい」
翼の母は、どこか抜けている。それでいて、人を使うのがうまい。別に手伝いは嫌いではないが、こういうときは「要領いいな、母さんって」などとこっそり思ってしまう。当の母は次の仕事、夕飯作りに取り掛かっている。パート帰りの白シャツ姿のまま、エプロンもつけずに台所に立つ姿は、どことなく危なっかしくって見ているほうがひやひやする。とにかく、翼は目の前に仕事、山になった洗濯物に取り掛かった。
本当なら、帰ったらすぐにあのキャンディのことを確かめたかった。どんな色をしていて、食べると一体、何が起こるのか。だが、家族がいるところでそのキャンディ包みを開くことは、なんとなくためらわれた。理由はわからないが、そのキャンディをもらったことは自分と香澄だけの秘密にしておくべきであるように思えたのだ。それに、大樹に見られる可能性もあった。それがキャンディだとわかれば欲しがるだろうし、取られてしまうかもしれない。大樹はまだ1年生だ。姉の自分がキャンディをあげるのを拒んだら、弟は不機嫌になるだろうし、それでケンカでもしようものなら母にも怒られるだろう。「キャンディくらいあげればいいでしょう。お姉ちゃんなんだから」と、言われる台詞まで想像がつく。だがこのキャンディだけは、あげるわけにはいかないのだ。
そんなわけで、ランドセルのポケットにしまって持ち帰った小さな包みは、翼が部屋にあがるまでそのポケットにしまわれたままだった。
パジャマに着替えてしまってから、部屋の蛍光灯の明かりのもとで見ると、香澄にもらったときとは違った印象を受ける。もちろん、もらったときもただのキャンディだったのだが、それでも新しい友達からその証としてもらったものという、特別感があった。しかし今は、その時の感動も薄れたからなのか、ひどく色褪せた、安っぽい印象を受ける。ランドセルのポケットの中でもまれて、包み紙がしわしわになってしまったからかもしれないが。そもそも今時、本当に紙でできた包みにくるまれているというのも、ちょっと不自然ではある。半紙をもう少し薄くしたような白い和紙で、内側に蝋引きの加工がしてある。そうしないと和紙と中身がくっついてしまうからだろう。セロハンに包まれているか、小さい袋に入った飴しか見たことのない翼には、その和紙は得体の知れないもののようにも思えた。
ベッドにぼふっと転がった翼は、仰向けのまましばらくその包みを光にすかしたり手の中で回したりしていじくっていた。そして徐にその包み紙をほどいた。
「んん??」
中から出てきたものを見て、翼は首をかしげる羽目になった。それが本当にキャンディであるのか、判断に迷うような形状をしていたからだ。
乳白色に少しだけ緑を混ぜたような色をしている。滑らかな曲線は触るとつるつるしていて、部屋の明かりをしっとりと反射している。キャンディというよりも、よく磨かれた石のようだ。だがそれ以上に翼を戸惑わせたのは、その形だった。よくある球形でもなければ、四角や三角でもない。丸い形が途中で曲がり、先は細くなっている。丸い方の真ん中あたりに裏まで貫通した穴が開いている。
「これって……勾玉、だよね」
翼はその形を見たことがあった。他でもない、八幡神社で売っているお守りの裏に刺繍されている。街中でもアクセサリーやストラップなどをよく見かける。そういったものにはよく「開運」だとか「恋愛運アップ」だとか書かれているので、何らかのご利益があるのだろうくらいに思っていた。その形をとったものが、今手の中にある。翼は困ってしまった。これは、本当にキャンディなのだろうか。味が想像できないその色味も、口へ運ぶ気にならない理由のひとつとなっていた。しばらく寝転んだままその小さな物体を近づけたり、遠ざけたり、光に透かしてみたりしながらうーんうーんと唸っていることになった。そうしている内に、少しだけ飴らしい特徴が表れてきた。手の熱で溶けたのか、にちゃにちゃとひっつき始めたのだ。ほのかに甘い香りも漂ってくる。一時眺めたり匂いを嗅いだりしていた翼だが、最終的にはやはりこれはキャンディだという結論に至った。勾玉の形をしているのは、飴細工のようなものだと思うことにした。
それに、と翼は今日のことを思い返す。香澄はこれを友達の証として渡したのだ。神社のお守りにも描かれているくらいだから、勾玉の形は八幡神社と何らかのつながりがあるものなのだろう。このキャンディ自体も神社と縁の物かもしれない。帰ってから食べてといったのも、それを翼に悟られるのが気恥ずかしかったからかもしれない。そう考えると辻褄が合う気がした。
何はともあれ、溶けかけたキャンディをいつまでも弄んでいるわけにもいかない。翼は意を決してそのキャンディを口の中へ放り込んだ。