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18 疑念

 授業が終わると、翼は久し振りに一人で下校の途に着いた。最近はもっぱら由佳と一緒に帰っていたのだが、今日は由佳が図書委員の当番のため、先に帰ることになったのだ。

 児童玄関を出たところで、翼は見覚えのある顔と出くわした。向こうもこちらに気づく。

「君は……あの時の」

 そこにいたのは燈矢だった。

 上級生と帰りの時間が被ることはあまりない。授業が同じ時間に終わっても、HRが長いことが多いからだ。こんな風に鉢合わせるのは珍しい。帰る方向が燈矢と同じだったので、連れだって帰るような形になった。

「あれから橋爪なんかしてきてない?」

 沈黙が気詰まりだったのか、ふいにそんなことを訊いた。翼は首を横に振って応える。

「そっか。ならよかった。前も言ったけど、あいつと関わってもろくなことないから」

 散々な言いようだが、それは裏を返せばそれだけのことを言わしめる何かが以前にもあったということだ。翼は思いきって訊いてみた。

「一体何をしたんですか、橋爪さん」

 燈矢は少し考える素振りをした。あまり言いたくない話であることは間違いない。翼もそれなりにえぐい話だろうと覚悟した。

「あいつはクラスの奴を一人、不登校に追いやったんだ」

「どうやって……」

「無視したり、何人かで殴ったり蹴ったり、いろいろ。あと、君の友達と同じ。準備室に閉じ込めたり」

 翼は胸が痛んだ。由佳に辛い思いをさせたことへの後悔がよみがえってくる。燈矢はさらに続けた。

「でも、だから助けられた。前に同じことがあったから。あの部屋は外から鍵をかけると中からは開けれないんだ。でも廊下とは反対側に隣の理科室に出るドアがあって、そこは中から鍵が開けられる。ドアの前に荷物が置いてあるけど、なんとか体を滑りこませれば出られる。理科室には鍵がかかってないから」

 燈矢が通りかかってくれて本当に良かったと思った。こんなことは普通生徒は知らないはずだ。

「問題は、それをあいつがやってるってことをほとんど誰も知らないってことだ。本人と、現場を見た数人しか」

「……先生に言ってみたら」

「信じないんだよ誰も。橋爪は成績もいいし、先生たちの評価が高いんだ。あいつは大人の前ではボロを出さない」

 表裏が激しいということだ。翼は背筋が寒くなった。あのまま燈矢が現れなかったら、自分も由佳もどうなっていたかわからない。

 燈矢は急に別のことを口にした。

「君はまだ手伝いをしてるの?夢見の巫女の」

 はっとした。燈矢がその単語をはっきりと会話の中で発したのはこれが初めてだ。今ではユイにその意味を聞き知っているから、翼もうなずいて応えることができた。燈矢はそんな翼を見て微妙な顔をする。

「どんなきっかけで関わったのか知らないけど、あまり深く関わらない方がいいと思うよ」

「どういうことですか?」

 怪訝そうに聞くと、燈矢は真面目な声で応える。

「危険なことに巻き込まれることが多いよ。君が急に橋爪のところへ来たのも、夢見と関係があるんでしょ」

 ズバリ指摘されて翼はひやりとした。直接そう言ったわけではないが、燈矢がそう結論づけるまでに時間はかからないだろうと思っていた。

 それに応える代わりに、前から気になっていたことを訊いた。

「渡辺さんは、どうしてあちらの世界にいたんですか?」

「おれ?おれがいたのはたまたまだよ」

「たまたま……」

 自分の話になると、急に歯切れが悪くなった。気まずそうに顔をしかめる。

「別におれは協力者じゃない。正確に言うと、協力者だったのはうちの母親だよ」

「お母さん?」

 思わず聞き返すと、燈矢は意外そうな顔をした。

「本人から聞いてないの?夢見は代々の仕事だって。おれの母さんは、先代の巫女の時代に協力してたんだよ」

 夢見のことについては、先だってユイから聞いていた。だからそこに驚きはしない。翼が驚くとすれば、その協力者の子供だと言う彼に今こうして会っているという偶然の方だ。翼は何も考えられなくなって、ほとんど無意識に質問をぶつけていた。

「じゃあどうして深入りするななんて言うの?その目的も知ってるんでしょう」

 翼は泣きたいような気持ちになった。これではまるで、燈矢が香澄の言う「邪魔をしているもの」のようではないか。そう思いたくなかった。悠希の手から助けてくれた目の前の上級生を、無意識に自分に味方してくれる人物だと決めつけていた。

「私はただ、香澄ちゃんの力になりたいだけなのに」

 燈矢は翼が泣いてしまうと思って慌てたようだった。

「別に責めてるわけじゃないって。ただ危ないことだって、母さんがそうだったから知ってるってだけだ。おれが生まれる前のことだから、話で聞いてるだけだけど、苦労したんだって」

「……どんな」

「協力者になった後、うつになった。しばらく口が聞けなかったらしいよ」

 翼もその事情には思わずまばたきを繰り返した。何も言えない翼を見て燈矢はさらに続ける。

「何も知らないで首を突っ込むと、後で大変なことになるかもしれない。やるならそれなりの覚悟が必要だ」

 ようやく翼にも飲み込めてきた。燈矢はその実害を知るものとして忠告してくれているのだ。燈矢は翼の正面に回り込み、視線を合わせた。

「夢見の巫女が言うことを、あまり信用しちゃいけないよ。何に巻き込まれるかわからない。わかってからではもう遅いってこともあるんだ」

 翼は無意識にうなずいていた。そして今まであえて考えなかったことに改めて向き合うことになった。

 夢見の巫女とは——香澄とは、一体何者なのか。

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