Ⅲ
婚約者の屋敷を後にしたアルバートとメノウは、次に新聞に載った情報と噂を頼りに行方不明者の家を回り、聞き込みをした。しかし今度はメノウは家宅捜査などせず、どう行方を眩ましたかのみを訊き、行方不明者の最後の目撃者も訪ねて回った。
そして昼も過ぎ夕刻が近付いた頃、メノウはポセイドンの彫刻が置かれた噴水の淵に腰を下ろし、万年筆を片手にメモした情報を整理し、購入した【ウーヌス】の地図に行方不明者が出た家をチェックし、【楽園】の記事も見直していた。
「メノウさん、昼も取らずに大丈夫ですか? 少しは休憩しましょう」
ほら、とアルバートは近場のパン屋で購入したアイシングで十字の飾りが付けられたパン、ホットクロスバンをメノウに差し出す。
余程集中していたのだろう、唐突に目前に差し出されたホットクロスバンに、メノウは何が現れ何をすればいいのか暫し理解が出来ず困惑したようだった。
「え、あ、そうですねぇ。アルバートさんもお疲れでしょうし」
戸惑いながらメノウはホットクロスバンを受け取り、その端を少しかじる。ドライフルーツとシナモンの甘味が舌から伝わる。
「私よりメノウさんですよ。それを食べたらレストランに行きましょう。そこの方が情報も見直し易いでしょう?」
アルバートはメノウの隣に腰を下ろし、彼もまた自分用に購入していたホットクロスバンを食べ始めた。
「メノウさん、カークランド男爵の名を確認したのは何故ですか? しかも私にではなく、わざわざサラと夫人に」
「それですか。いえただ、もう少しだけ奥さん等と言葉を交わしたかっただけです」
「何の為に?」
「確認です、《マインドコントロール》の」
メノウはもくもくと少しずつ齧り、ホットクロスバンを食す。
「あの家には魔法がかけられていたので、念の為マインドコントロールがされていないか確認したかったんです。記憶改竄系の魔法をかけられていたら分かりませんが、操られているかは区別出来るんで」
「言葉を交わすだけで分かるんですか?」
「はい。もしマインドコントロールをされていたら、違和感がある筈なので。これは婚約者さんの部屋の、魔法の有無より自信あります。“得意分野”なんで」
メノウは得意気に言った。
「それで、結果は……」
「マインドコントロールはされてません。奥さん達だけじゃないです、今まで回ったお宅の人も皆、マインドコントロールされてません」
それを聞いてアルバートは安堵した。記憶改竄の可能性はあるかもしれないが、少なくとも彼等は皆いつも通り、自然体で過ごしている。過剰に疑心暗鬼になる必要も、操られているからと別人として扱う必要はないという事だ。
「しかし婚約者さん以外、他の行方不明者さんはマインドコントロールされていた可能性があります。婚約者さん以外は皆、家の外で失踪してるので」
メノウは一旦食べかけのホットクロスバンを膝の上に置き、地図を開いてアルバートへ見せた。そこには行方不明者が出た家は罰点で、行方不明者の最後の目撃場所は矢印でチェックがされている。
行方不明者の家の位置に規則性は全くない。星座や幾何学模様とも比べてみたが、どれも当てはまらなかった。しかし、目撃場所、その矢印は規則性があった。
「メノウさん、何ですかこの矢印……。殆ど、北を向いている」
矢印の多くは北の方角にある、一点へ向いていた。そして矢印自体も町の北側に多く記されている。
「これは行方不明者さんの《向き》です。最後に出掛けた時、消える少し前、どこへ向かっていたのか。目撃情報を頼りに可能な限り書き出してみました。ふっふっふ、今回は被害者が多いだけあって、《結界》の特定がし易くなりましたねぇ」
メノウはにやりと悪戯っぽく口の端を持ち上げた。
「【楽園】の噂には《森》というキーワードが出てくる。そして行方不明者さんが向いていた先には……」
墓地が、あった。
「……!? 【楽園】は森の中にあるのではないのですか!?」
新聞の【楽園】の記事には【楽園】は《森の中にある屋敷》と書かれていた。だがメノウが印を付けたそこは、【ウーヌス】の郊外にある共同墓地だ。
確かに周りは町中と比べれば緑がある方だが、墓地自体は木々を刈り取って作られた更地である。
「つまり噂の森含め、結界の中の空間という事ですよ。近場の森を探した所で、お目当ての屋敷は見付かる事はない。そういう事です」
メノウは再びホットクロスバンを手にし、一口齧った。
「恐らく、魔法使いさんは行方不明者さんを魔法で直接結界に引きずり込むのではなく、ある程度結界に近付けて引きずり込んでいるのでしょう」
「……では、カークランド家の屋敷にかけられていた魔法は……」
「婚約者さんを直接【楽園】に引きずり込む為にかけた魔法、その名残りかもしれませんねぇ」
アルバートはメノウの持つ地図を借り、丸の印が書き込まれた墓地を見た。墓地の隣には教会、そこから数棟先には、カークランド家の屋敷がある。
「墓地を探れば結界があるんですか? それとも、結界があるから墓地には入れないですか?」
「結界とは謂わば異世界との境界線。現実に、物理的にある訳ではありません。結界の一部を現実世界に投影させ、空間を制御する事も出来ますが……。墓地が出入り出来なかったら、とっくの昔に墓守さん辺りが異変に気付くでしょう」
「それもそうですね。つまり私達が墓地に行っても意味はないと」
「魔法使いが結界の外に居るなら、出入りの為に現れる可能性はあります。ただ墓地なんて誰が来ても不自然じゃないですから、張り込みをしても魔法使いを特定するのは厳しいですよねぇ」
「うーん、確かに。不自然か一人一人調べていても時間がかかり過ぎる」
ふと脳裏に【ニル】の墓守が、クローの姿が過ぎった。
「クローディオさんは、やっぱり来てくれないでしょうか……」
「冷徹がローブ纏ったみたいな人ですからね……」
メノウは明後日の方向に目を泳がせ、現実逃避をするかのように黙々とホットクロスバンを完食した。アルバートもまた、待たせては悪いだろうとホットクロスバンを食べる方に集中し完食した。
「じゃあレストランに案内しますよ」
「あの、アルバートさん。一つ訊きたいんですけどいいですか?」
「何でしょう?」
「何故レストランに行くと言っておいて、わざわざ行く前にホットクロスバンを購入したんですか?」
「あぁ。実は私のお気に入りのパン屋の商品だったので、メノウさんにも食べて貰いたくて。お口に合いました?」
「はい。とても美味しかったです。有難うございます」
アルバートはそれを聞いてはにかむと、ホットクロスバンを包んでいた紙をメノウの物を含め纏め、近場に置かれたゴミ箱へと投入する。その間にメノウも荷物をトランクに纏めていた。
『アルバート様、ここのパンはどれも美味しいんですよ。庶民の店だからと敬遠しないで、味わってください。きっと、気に入りますよ』
ふと婚約者に手を引かれ、初めてこのパン屋へと連れて来てくれた日を思い出す。あの日も今日の様に噴水の前で食べていた。
きっと、もう直ぐ会える。
「あっ、僕お代払ってませんね。幾らでしたか?」
「いえいえ、お代など貰えませんよ。メノウさんには感謝してもし切れませんから。勿論、レストランのお代も気にしないでいいです。さぁ、行きましょう」
アルバートはステッキを片手に優雅に歩く。その後ろにメノウが続く。時たま横を黒塗りの馬車が通り過ぎる。
暫くして、メノウの足取りは段々と悪くなっていった。
「あれ? どうしましたかメノウさん。具合が悪くなりました?」
「いや、あの、アルバートさん……。レストランって、彼処に行く気ですか……?」
メノウの爪がマゼンタに塗られた指先が、若干震えながら道の先にあるレストランを指す。ここの近くではレストランはそこぐらいしか営業していない。
そしてそのレストランの前に馬車が止まり、召使いを連れた紳士が降り、ドアマンの案内によって中へ入っていく。
また別の馬車がレストランの前に止まり、今度はイブニングドレスを着た夫人と連れ添ったタキシード姿の紳士が現れ、ドアマンの案内によって中へ入っていく。
それが幾度となく繰り返されている。
レストランの外装はバットレス(飛控壁)のある赤煉瓦を用いた建物。尖頭の屋根の形からゴシック……。いや、より優雅な外装からしてヴィクトリア調だろう。内装は更に豪華に違いない。
まだ日暮れ前だというのに、窓から漏れる光が眩しい。シャンデリアの灯りだろうか。もしかしたら内装に金銀を用いているかもしれない。
「こういう店って……会員制とか、そんなんじゃないですか?」
メノウは頬を引きつらせて言う。
「大丈夫ですよ。私が会員なので口添えすればメノウさんも入れます。燕尾服も着てますし、問題ないですよ」
「いえ、そういう問題では……。それにこのテールコートは庶民でも買えるお安い衣服ですし、正装になりますかね……?」
メノウの表情は困惑していて、腰は引けている。こういう場所に慣れていないのか、中に入りたくないようだった。彼は畏まった場所より、砕けた場所の方が落ち着いて食事が出来るのかもしれない。
ならばと、アルバートは踵を返しレストランに向かうのを止めた。
「わかりました、場所を変えましょう。あぁそうだ、昨晩のお礼も兼ねて私の家でディナーをしましょうか」
「え? いや気持ちは嬉しいですが、ぼかぁ先にホテルを取ろうかなーと……」
「ははっ。ホテルなんて言わないで私の家に泊まればいいですよ。しかしここからは少し遠いですね、馬車の手配するんで少し待ってください」
「いやあの、遠慮してるとかそんなんじゃなくてですね……!」
聞く耳持たないらしいアルバートは早速、近場の道端で客待ちをしていた辻馬車を見付けると、直ぐに駆け寄り、運転手に指定地に行けるか訊ねているようだった。
「メノウさーん。大丈夫だそうです、乗りましょう」
了承を得たらしいアルバートは、爽やかないい笑顔でメノウを手招きしている。好意を無下には出来ないと、メノウは不穏な何かをひしひしと感じながらアルバートに続き辻馬車に乗った。
「……あの、婚約者さんは女男爵の令嬢ですよね?」
ガタガタと揺れる馬車の中で、メノウは恐る恐るといった様子で横に座るアルバートに問いかける。
「そうです。うーん、硬いなこの席……」
アルバートは【ニル】の往復の際に乗った駅馬車より、粗末な作りなのを気にしているようだった。
「訊きそびれてたんですけど、いや訊くのが怖かったとも言いますが……。アルバートさんの、その、爵位は……? 奥さんには公呼びされてましたけど、貴方も男爵で……?」
「私のですか? いや恥ずかしながら私自身は爵位ないんです。領地は現当主の父が治めてますし、受け継ぐとしても兄ですから」
「やや、お兄さん居たんですか」
「新婚旅行中ですけどね……。今頃きっと中東です……」
アルバートは遠い目をして言った。
兄は結婚しかつそれを楽しんでいるというのに、自分は婚約者が行方不明と落差を感じているのだろう。
「しかし父曰く。兄に家督を譲ったら私にも幾ばか領地をくださるとの事なので、名乗るとしたら《伯爵》ですかね。結婚したら【ウーヌス】を出て、その伯爵が付随している領地の別邸にでも越そうかと考え……。メノウさん? 顔色が悪いですよ?」
アルバートの話が進む度、メノウの顔色は青ざめていっていた。
「弟の貴方で伯爵……? では、お兄さんはそれ以上の爵位を……?」
「あぁ、兄は《侯爵》を継ぐ予定です」
直後、メノウは無言で馬車の扉を開けた。
「メノウさん!? 走行中ですよ、危ないですって!」
慌ててメノウの体を引っ張り、羽交い締めにして止めに入るアルバート。
「すみません降ります降りさせてください嫌だ怖い」
「怖いって何がですか!? 大丈夫ですよ、今日は父と母も町外に出ていて留守なので、畏る必要はありません!」
「そういう問題じゃないです! 僕とは住む世界が違いすぎるある意味結界より異空間な場に連れてくなんてそんな殺生な……! 使用人より劣る僕が居るなんて、いたたまれないじゃないですか!」
「いやそんな事ないですって! お礼もしたいですし、行きましょう!? 私の家は怖い所じゃありません!」
「お高い身分の貴族の屋敷っていい思い出ないんですよぅ!」
「過去に何があったんですかメノウさん!?」
アルバートは何とかメノウの肩を押さえ席に座り直させ、戸惑い馬を一旦止めた運転手に引き続き目的地に向かうように指示をする。
しつこく理由を尋ねてみれば、メノウは「酒」やら「女装」やらの単語をぽつりぽつりと零した。どうやら、過去に悪酔いした貴族に酷い目にあった事があるらしい。
アルバートは幼子を宥めるよう、自分の家ではそんな事は絶対にないと何度も言い聞かせ、メノウを落ち着かせるよう努めた。
用語解説
ホットクロスバン……イギリスのパンの一種で、上にアイシングなどで十字が書かれたパン。ドライフルーツなどが入っている。