Ⅰ
ーー女とは何故こうも美に執着するのか。
森の奥、屋敷の中にある【楽園】。
夜。屋敷の窓からは昼も夜も灯りが漏れ、四六時中優雅な音楽が聴こえてくる。宴をしているらしい。
窓から中を覗いてみた。
豪華な衣装に身を包んだ男女が踊っている。歌っている。飲んでいる。食べている。何を食べている?
大皿の上に転がる、大きな肉塊。豚の丸焼きか? ……いや、違った。
ーー赤子だ。赤子を食べている。
そんな、馬鹿な、彼処にあるのは、【楽園】ではないのか。享楽にふけ飲み干している嫌に赤い液体は、葡萄酒ではなく鮮血だとでもいうのか。
吐き気がする。頭が痛い。情けない悲鳴が口から漏れる。屋敷の女達が振り返った。窓に視線が注がれる。
ーー女達は皆、同じ顔をしていた。
走った。逃げた。森を抜けた。町に着いた。後ろを振り返った。誰もいなかった。上を見た。空には真っ白な月が浮かんでいた。空の月が水面に写った月の様に歪んだ。原型を留めなくなった。目蓋が重くなった。
暗転。
朝日が昇って暫くして。ベッドから起きて借り物の寝巻きを脱いで外着に着替えて。朝食をとって身支度をして。家を出て戸締りをして。
そうしてアルバートとメノウは二頭の馬に引かれる黒塗りの四輪箱型馬車の中に入り、向かい合って座り、【ニル】を出た。あとは隣町へと着くのを待つばかりである。
「やや。アルバートさん、何だか顔色が悪いですね。昨日の雨でお風邪をめしてしまいましたか?」
「いや、変な夢を見てしまいまして……。寝覚めが悪かったんです。体調は悪くないですよ」
そう言って笑顔を取り繕うアルバートだが、その顔は青白い。前屈みの体勢で目前に持つステッキに体重を預けている所もまた、不調さを伝えていた。
「しかし、昨日今日と長距離を移動してお疲れでしょう」
「大丈夫ですよ。それよりほら、もうすぐ着きますよ」
アルバートは背後、運転手が見える窓から外の景色を見た。
そこから見えるのは【ニル】の隣町、【ウーヌス】。アルバートの暮らす町だった。煉瓦造りの家が多く建ち並ぶのは【ニル】と同じだが、路地は土が見当たらない程に整備され、町の四方と中央部には大きな屋敷が建ち、大きな庭園も含め町を陣取っているようだった。ブルジョア階級が多く暮らし、優雅な雰囲気がある町、それが【ウーヌス】の特徴だった。
「まずは私の婚約者の家に向かいましょうか。彼女の家は【楽園】の最初の被害者でもありますから、有力な情報が残されているかもしれません」
「……」
馬車から降りたアルバートとメノウ。メノウはアンバーの目を細め、鋭い目付きで町を眺めている。
「どうしましたか? メノウさん」
「いえ。早く行きましょうか」
アルバートが向かった先は、周りの家より比較的大きな屋敷だった。柱や梁、筋交いなどを外部に露出し、直線的なデザインが特徴であるエリザベス様式が使われた、古風で趣がある白い屋敷。
階数は二階建て。部屋数は把握していないが、アルバートの知る限り十はあった筈だ。
「アルバート様、よくお越し下さいました」
ライオンの形をした扉のノッカーを叩くと、黒のワンピース、フリルの付いた純白のエプロンを組み合わせたドレスを身に纏い、同じく純白のフリルの付いたカチューシャを茶髪頭に着けたメイドが中から現れた。
十八歳ほどだろうか、どことなく活発そうな印象を受ける小柄な少女である。
「やぁサラ。久し振りだね、息災かな?」
「はい。お隣の方はご友人様ですか?」
「いや彼は……」
「そうそう。ぼかぁアルバートさんの友人のメノウという者です。以後お見知り置きを、サラさん」
何と紹介すればいいか口籠っていると、メノウはけらけらと乾いた笑みを浮かびながら会釈をした。
「此方こそ。私、このカークランド家に仕えさせて頂いています、メイドのサラ・サージェントと申します」
サラ・サージェントことサラも微笑むと、ドレスの裾を持ち上げ可愛らしく小首を傾げる。
「折角お越し頂いたのに、お嬢様は未だ帰らず、奥様も塞ぎ込んでしまい……」
サラは顔をうつ向かせ、暗い表情をした。
「本来ならば今頃、お嬢様はアルバート様と挙式を上げている頃でしょうに……。本当に残念です」
「やや、アルバートさん婚約者さんとそこまで話が進んでいたんですか? 早いですねぇ。僕なんて恋人も居ないのに」
やっぱ育ちの差ですかねぇ、とぶつぶつ考察をするメノウ。
「今その話はいいでしょうっ。サラ、カークランド夫人は居るかい? 出来れば娘さんについて話をしたいんだけど……。出来ればサラ、君も一緒に」
「まぁっ! ついに破談のお話をしに来たんですね?」
「え? いやそうじゃなくて……」
「隠さずともいいのです。縁談もまとまった婚約者、お嬢様が行方不明となっては、かのチェンバレン家によからぬ噂が流れるのも時間の問題。やれ不倫をしていた、やれ暴力を働いていた、やれ相手が逃げ出した、そんな噂ならまだよいかもしれません。問題は現在、他にも行方不明者が沢山出てきているということ。このままではチェンバレン家が関わっている、一連の事件に一枚噛んでいるのではないかとささやか……」
「そんな事はないからっ! 勝手にネガティブな方に妄想を膨らませないでくれサラっ!」
「……あら、違いましたか。これは失礼」
何処か残念そうな表情を浮かべ、サラはアルバートとメノウを屋敷のリヴィングへと招いた。内装は落ち着く茶色を基調とした、カントリー調のデザインだ。
アルバートとメノウはリヴィングにある、長方形のテーブルに六つの椅子が交互に並べられた席へと腰を下ろす。そしてサラは手際よく用意した紅茶と菓子を二人の前へと置く。
「ただ今、奥様をお呼び致します。それまで少々お待ち下さい」
そしてパタパタと忙しなく、サラはリヴィングを後にした。
「何だが元気なメイドさんですね」
「元気というか暴走しがちというか……。仕事は真面目にこなす良い子ですけど、たまにスイッチ入ると暴走しちゃうんです」
「あっはっはっ。退屈しなくていいじゃないですか。ところでアルバートさん、婚約者さんのお父さんは家に居ないんですか?」
「あぁ、話していませんでしたね。実は彼女の父親は、彼女が幼い頃に亡くなってしまい……。この家には彼女と夫人、サラの三人しか暮らしてないんです」
「やや。それは、お悔やみ申し上げます。失礼しました」
「いえ此方こそ。言っていなくて申し訳ありませんでした」
ティーカップを片手に、アルバートは軽く頭を下げる。メノウもまた、ティーカップを持つと、香りを楽しんだ後に口を潤した。
「アルバート様、メノウ様。お待たせ致しました」
暫く紅茶を嗜んでいると、サラが扉を開きリヴィングへ戻ってきた。彼女の横には寝巻きだろうか、白い簡素なドレスを着た女性が立っている。
「さぁ、奥様。お客様です」
「……」
ブロンドの髪をざんばらに切って伸ばした、やつれ、まるで幽霊の様に生気のない女性。四、五十程の年齢だろうに、骨ばった痩せた体にシミやシワが多い顔と老け込んでいて、七十過ぎの老婆に見えてしまう。
「メノウさん、彼女がこの家の主人。レジーナ・カークランド男爵夫人です。マダム、突然の訪問、申し訳ありません」
「アルバート公。いらしてくださって悪いけれど、娘は居ないわよ……」
カークランド夫人は覚束ない足取りでリヴィングへと入ると、サラが引いた席へと腰を下ろす。何だが今にも息絶えてしまいそうなほど彼女は病的で、その印象にそぐうようにぼそぼそと低く小さな声で話をした。
「存じています。今日は娘さんの事についてお話を聞きに参りました」
「なぁに? 破談しに来たの……?」
「違います。娘さんが行方不明になった前日について、もう一度詳しくお伺いしたくて来たんです」
「……」
カークランド夫人は前髪の隙間から覗く、緑色の目でアルバートを見詰める。その目は虚ろだった。そして彼女はぽつりぽつりと、気を抜くと聞き逃してしまいそうな程の小さな声で語った。
「あの日、あの子は特に変わった事は何もなかったわ。そうね、私に式の日取りが決定したって事を伝えたくらいで、特には……。貴方との婚約も式の日取りも私に何も言わずに決めて……。勝手な娘だわ本当。少しくらい説教させて欲しいのに、何処にいるのかしら……」
説教をしたくとも、当人が居なくてはどうにもならない。例え喧嘩の続きをしたくても、仲直りがしたくとも、それは不可能だった。
『お母様は優しい方よ。ちょっと頑固だけどね、うふふ』
もどかしい。アルバートは指輪が嵌っている左手を握りしめる。
「お労わしいですわ。もしもお嬢様がお姿を消したのが不届き者の所為でしたら、私が直に成敗して差し上げます」
「た、逞しいですねサラさん」
カークランド夫人の斜め後ろで背筋を伸ばして待機していたサラが、両手を組みバキリと骨の音を鳴らした。それを見たメノウは思わず口籠る。見た目は華奢な少女だというのに、腕には自信があるようだ。
「で、では、粗方の捜査は警察官さんがしているでしょうが、その上で確認します。婚約者さんを最後に見たのはいつですか?」
メノウが暗い空気を変えるかの様に、明るい声で言った。
「夜の十時頃です」
サラが答える。
「奥様とお嬢様と私とディナーを済ました後、お嬢様はずっとお部屋に居りました。少なくとも十時までは」
「断言出来るんですか?」
「はい。その日、私は十時頃に仕事を終えて、最後にお嬢様と少しお話ししてから眠ったのです」
「お話とは?」
「後にアルバート様とお出かけする約束がございましたから、その時の予定の確認を少々。そもそもお嬢様は、そのお出かけの支度の為にずっとお部屋に居りました。外出はしていません」
「サラさんが婚約者さんを最後に見たのは十時と」
メノウは彼女が話した内容をノートにメモした。
「奥さんは娘さんを最後に見たのはいつですか? また何をしていました?」
「私はディナーを終えて、眠る前までずっと、リヴィングに居たわ。何時までだったかしら……。サラが眠る前には、私はもう寝ていたかしら……。早く寝た所為か、夜は何度か起きてしまったけれど」
カークランド夫人はぼんやりとした様子で答える。
「部屋の中に鍵が置かれたままだったと聞いていますが、婚約者さんがスペアキーを使って鍵をかけ家に出た。という可能性はあるんですか?」
「それはないです。玄関の扉は外側だけではなく、内側からのみかけられる鍵が付いています。しかし私が朝、お庭に出るまで玄関の鍵はどれもかかったままでした。また玄関のみではなく、家中の全てがです」
「サラさんが解錠してから家を出た可能性は?」
「あります。警察官様はそれを考えて家出の説をあげました。……しかし、私が全く気付かず、また町の方の目撃情報もなく家出が出来るか不思議でして……」
サラは困った様子で顔を歪める。