Ⅳ
「何かネタになる物はありませんかねぇ」
メノウは一人、壁一面に絵画が所狭しと飾られ、画廊と化したサロン(応接間)をぶらぶら歩いていた。ロココ時代の絵画なら少しは知っているが、壁には他にブルゴーニュ公家、スペイン王家、メディチ家……。他にもあるがよく分からない。とにかく、王族貴族に仕えた画家、所謂宮廷画家が描いた絵が飾られていた。
「うーん、インパクトある絵はないですねぇ。残念」
頬の星型のペイントをさすり、メノウはアンバーの瞳を細める。
「ねぇ、メリーさん」
そして大事に抱えているフランス人形、【メリー】に語りかけた。
「滑稽な大団円、陳腐な喜劇、盛大な茶番……。ぼかぁ別にどんな演劇でもいいんですけどねぇ。盛り上がりは欲しい所です。こう、隠された真実とか謎とか、何か惹きつける物はないですかねぇ」
メノウはキョロキョロと忙しなく、《器》というより話の種を探す。そして目線より遥かに低い、腰よりも下に飾られた小さな絵画に目が止まった。
「……。やや?」
部屋の隅、絵と部屋の角の隙間を埋める様に配置された、茶髪の若い男の肖像画。絵の男の格好は、中世のフランスの宮廷衣装、アビ・ア・ラ・フランセーズを着ている。首にはヒラヒラとした布、クラバットも付けており、これで巻き毛の白いカツラを被ったら完璧な仮装だ。
それは一見、宮廷画の一つに見えるが、その宮廷衣装はあまり高価でなさそうな印象を受けた。周囲の絵画と比べるとなお陳腐に見える。画家が衣装の描き込みを怠ったのだろうか。
額縁もまた安っぽい。一応、堀模様は施されているが、模様は簡素で金箔は剥がれ、形ばかり、という言葉がしっくりくる。
そしてこの茶髪の若い男、どこかで見た事がある。
「……もしや、婚約者さんのお父さん?」
バクストン・ロイド・カークランド。アルバートの婚約者の父であり、故人である。カークランド家で見た肖像画より体型がややスマートで若いが、間違いない。
「何故ここにこの方の肖像画が……?」
手を伸ばそうとした時、
肖像画からランスが突き出た。
「ひえっ!?」
大袈裟に肩を震わせ肖像画から大きく離れるメノウ。肖像画から突き出たランスは、カークランドの顔をざっくりと貫通している。
そして間を置かず、次々とランスが突き出て瞬く間に肖像画は蜂の巣となった。ご丁寧に体が描かれた箇所しか貫いていない。
「カラクリ……ですかねぇ?」
両の手でメリーさんを抱き締め、穴だらけの肖像画を見詰めるメノウ。やがてランスは突き出てきた方へ引っ込み、肖像画から赤い絵の具がドロドロと流れ出す。油臭いその絵の具にメノウは顔を顰めた。
「婚約者さんもとい魔法使いさんはお父さんが嫌いなんですかねぇ? しかし、【楽園】と呼ばれている、呼んで欲しい場で嫌いな物を混入するのは不可解ですねぇ」
「そうだな。そんな事を考える余裕があるなど不可解だな」
サロンに、時が止まったかの様な静寂が訪れる。
「……クローさん!? 三階調べてたんじゃないんですか!?」
暫く停止していた思考を動かし、アンバーの目でクローを凝視するメノウ。クローは両手を組み気怠げな様子で、
「非常に怪しい人間を見付けた。だが文字通り消えた。故に、非常に癪だが貴様にその男を探させに来た」
と淡々と言った。
「え、そこでどうして僕に行き着くんです?」
「早い話が人海戦術を駆使しろと言っているんだ」
「結構な無茶振りですよそれ!? 大体、男の人ってどんな人ですか」
「古めかしい服を着ていた。まぁ仮装した男を見かけたら、取り敢えず木っ端微塵にしろ」
「それこそ無理でしょう……。ん? 古めかしい服と言いましたが、それはこんな服で?」
メノウは目の前の穴だらけの絵画を指差す。最早顔が判別出来ないほどだが、服装は辛うじて確認する事が出来た。
「あぁ、こんな感じの服だ。赤くて目立っていたな」
「……彼、婚約者さんの亡くなったお父さんなんですよ。そのお父さんが他の方と違う様子だとすれば、彼が《切っ掛け》と考えた方がいいでしょうかね」
「切っ掛けなどどうでもいい。……ただ今回、厄介な事に、死人が出てる」
「えぇ?! 確定ですかっ」
「この【楽園】と呼ばれる結界は墓地の中にある。その境目は墓石だった。……この男は明確な意思がありながら、墓石と同じ気配がした」
「境目の墓石と同じ、って」
「そういう事だ」
メノウのアンバーの目が見開かれる。クロー軽く頷くと、重い溜息を吐きながら片手で顔を覆った。
「全く、俺は殺人事件に関わる気はなかったというのに」
◇◇◇◇◇
キリキリと胃が痛む。レベッカから目を剃らせないアルバートの頬に冷や汗が流れた。彼女のエメラルドに似た目には光がない。頭が痛い。吐き気がする。首が真綿で絞められている様に苦しい。このまま失神してしまいそうだ。
レベッカの手が、赤黒く染まったグローブ越しにアルバートの肩に添えられる。
「……レベッ、カ」
「やめて」
消えいる様な小さい声で彼女は呟く。
「触らないで!」
だが次の瞬間、レベッカは絹を引き裂いた様な悲鳴を上げてアルバートの目の前から消え去った。
何が起きたのかまるで分からない。だが張り詰めていた空気がなくなり、アルバートはどっと力が抜け床に腰を抜かした。本当に首を締められていた訳でもないのに、酸素を求めて大きく息を吸った。
一息ついて、クローとメノウの姿が脳裏に浮かぶ。
「……い、ま……。何時、だ……?」
アルバートは震える手でクローの胸ポケットから【ナポレオン】を取り出し、チェーンに絡まったのかキーリングもポケットから出た。カチャンと金属音を立てて床に落ちる銀のキーリング。リングにはマスターキーが付いている。
三つのマスターキーが。
「……あ、れ?」
一つは自宅、チェンバレン家の本邸。もう一つは別邸。最後の一つは……
『お母様には内緒ですよ、アルバート様』
カークランド家の屋敷の、マスターキーだ。
「え、あ、あ……?」
待て。マスターキーを持っているのはカークランド夫人ではないのか。何故自分が持っているのか。何故これがカークランド家のマスターキーだと分かるのか。何を思って持っていたのか。そもそも今まで何故持っている事に疑問を持たなかったのか。
マスターキーをアルバート自身も持っているという事は、あの日あの晩、屋敷に、婚約者の部屋に入れたのはーー
『アルバート様、それでは今夜……』
彼女と最後に交わした会話。今夜。そう今夜。会いに行ったんだ。会いに来ないから、会いに行ったんだ。サラに案内させて、部屋の前まで行って、ドアを叩いて。だけど返事はなくて。それ所か物音一つ聴こえなくて……。
いや違う。サラに案内させたんじゃない。サラに頼まれて、部屋に行って欲しいと頼まれて。自分では開けられないからと懇願されて。
『ーー、入りますよ!?』
ドアノブを掴み捻るが、捻り切らず開かない。鍵が掛かっている。
『開けてください!!』
ドンドンと大きな音を立ててドアを叩くが、一向に動く気配がない。
『……っ、マスターキー使わせて頂きますよ!』
アルバートは胸ポケットから銀色のキーリングを取り出すと、それに付いたマスターキーで寝室のドアの鍵を解除した。
そして勢いよくドアを開ける。
そういえばアルバートは、メノウを泊めた部屋を開けた時に何故か既視感を覚えた。何か可笑しい。何が可笑しいと言えば既視感を覚えた自分がだ。何故そんな感覚を知っていたんだ。何故こんなにも覚えがあるんだ。
アルバートは混乱した。頭が痛い。吐き気がする。いつだったか、夜にマスターキーを使って婚約者の部屋の鍵を開けて、中を見て入ろうとして入らなかった。いや入れなくなった。
ーー何を見た? 何を見て足を止めた。思考を止めた。
何、を……。
レベッカが投げ捨て床に転がった、赤黒い何かが視界に入る。流れ出る紅い液体が水溜りを作っている。
断面から流れ出ていた。それは熟れた林檎の如く、とても綺麗な紅色で、
赤い。紅い。液体。塊、から。ーー肉、の。
「うわあああ!」
知らない知らない知らない。
アルバートは自分にそう言い聞かせる。
自分は何もしていない何も見ていない。そうやって無理矢理記憶を掻き消す。頭を掻き毟り地面に伏し吐き気を抑える。
びちゃ、びちゃ……
水音が聞こえる。顔を上げれば祭壇から、淡紅色の肉塊から赤黒い塊を出して、同時に止めどなく紅い液体を流している。
ゆっくりと、何度も、何度も、何度も。
びちゃり。
床に溜まり始めた紅い液体が、血が、アルバートのマスターキーを汚した。
「……っ!」
このままでは血肉に沈む。
アルバートはキーリングを拾い上げ立ち上がると、扉へ向かう。先程は全く開かなかった扉はあっさり開き、アルバートは階段を駆け上がった。
カンテラの灯りを頼りに登り、鉄の扉の前まで戻ったアルバートはそこに向かって体当たりをする。だが鉄の扉はビクともしない。けれどもアルバートは構わず体当たりを続けた。
階段の下から鉄の臭いが伝わってくる。
「開け!」
アルバートが一際大きな声で叫ぶと同時に体当たりをすると、バキンベキンと何かが壊れる音がして、次にドサドサと倒れる様な音が響いた後に鉄の扉が開いた。人一人しか通れない隙間だったが充分だ。
鉄の扉から書斎に出ると、扉の前にあった本棚が壊れ、床に倒れているのが確認出来た。中に納めていた本も乱雑に落ちている。
「はぁっ、はぁっ」
アルバートは肩で息をしながら両の手を床に着けた。左手薬指のダイヤモンドの指輪が視界に入る。右手に持っていたカンテラが横に倒れる。
「あっ、しまっ……」
一瞬焦ったアルバート。しかしカンテラの蝋燭は火屋(ほや。ガラスの筒)の中。多少倒れても火屋が割れるか壊れるかしない限りは火は漏れない。火事になる心配はない。
「……火」
ぼそりと、小さな声で呟く。アルバートはカンテラを立て直し、蓋を外し、キャンドルを取り出し、
本の山へ、火を付けた。
部屋の大部分が木を元に作った物で埋まっているだけあって、よく燃える。
ごうごうと赤い炎が部屋に上がる。
【灰かぶり姫】が灰へ変わっていく。
アルバートは燃え広がる部屋を、暫くぼんやりと眺めて、書斎から出た。
書斎から漂う鉄の臭いと炭の臭いを遮断する様に、力強く扉を閉めて。