Ⅳ
「む、あそこか」
クローは既に二階のロビーの角に向かっていた。その先にはマゼンタ色で縁取った白い扉があった。ドアノブは金色で、赤やピンクの花で作られたリースが飾られている。メノウの好みを知っている二人からすれば非常に分かりやすい扉だった。
クローはそのファンシーな扉の前に立つと、ーー容赦なく蹴破った。バキンと甲高い金属音が聞こえ、床に金具が転がる。扉が外れなかったのは幸いだろうか。だがもうドアノブは使い物にならないだろう。
(クローディオさんの脚力ってどのぐらいなんだろう……)
鍵ごと扉を壊すという、あまりに物理的な開錠を見せたクローに戦々恐々しながらも、アルバートとクローはメノウが居るだろう部屋へと入った。
そこは人の背丈よりも大きい縫いぐるみに溢れた、まるでオモチャ箱の中の様な部屋だった。チェストもクローゼットも白とピンクを基調としたパステルカラーが用いられ、壁紙もカーペットも花柄と非常に愛らしい。
その部屋の中央に置かれたダブルベットで、彼は眠っていた。
「メノウさん!」
ベットの中、羽毛布団の上で丸まり、静かな寝息を立てながら眠るメノウを見て、アルバートは一気に体の力が抜けた。
「よかった、無事で、本当に……」
「チッ」
外傷もなにもない、無傷なままただ眠っているメノウに安堵するアルバートに対し、クローは逆に殺気立った。
そして荒い足取りでベットに向かうと天蓋のレース状カーテンを力任せに引き裂き、メノウの頭を掴む。
そして、鳩尾に向かって重い一撃を喰らわせた。
「ふぐっ!?」
無防備なままマトモに食らったメノウは、悲鳴を上げ目を見開く。何とも暴力的な目覚ましである。
「やや、クローさん!」
しかしクローが視界に入るとメノウはぱっと明るい表情になり、ベットから起き上がる。
そんなメノウへ、クローは今度は美しさを覚えるまでの無駄のない動きで右ストレートを喰らわした。
「いだっ!? ちょっ、何をするんですか! 別の意味でまた寝ちゃいますよ!?」
「黙れ木偶。人が苦労してやって来たというのに、貴様はもてなされ呑気に寝てるとはな……!」
「ちちち違います! 眠らされてたんです! ここに来て起きたのは今が初め……!!」
「御託はいい」
ゴキリ、と手の骨が鳴る音が聞こえた。
続いてバキンゴキンやらベシャブシュやら、何をしたらそんな音が鳴るんだと問いたくなる音と、メノウの断末魔が聞こえた。
……その間、アルバートはひたすら「お、大きなテディベアだナー」とそっぽを向く事に徹した。
「メノウが眠らされていたのは、マインドコントロールが効かなかったからだろう。つまり魔法使いの実力はメノウよりは下だ」
再びベッドの上で今度は突っ伏して寝ているメノウを指差し、クローは冷静に説明した。
「しかもこいつ好みの部屋を作り、抵抗心を少しでも緩めなければ縛り付ける事が出来なかった。一ヶ月も結界を維持している割に、魔法の扱い自体は未熟だな」
「あの、そこまで理由がわかっているなら、さっきの暴力は一体何の意味が……」
「あれは唯の八つ当たりだ」
クローは曇りのない瞳で言った。【楽園】に侵入した時より、些か表情が和らいでいる気がする。
「酷いですよクローさん……。僕が何したって言うんですか……」
「俺を巻き込んだ。以上」
しくしくと文字通り枕を濡らすメノウの頭を鷲掴み、クローは顔を上げさせる。
「いつまで寝ている、いい加減起きろ。そして働け」
「働くって、何を考えているんですかクローさん」
そもそもメノウは起きたばかりで、状況をまるで把握していない。ここがどんな所かは、後から来たクローとアルバートの方が知っていた。
すると、クローのモノクルの金縁がギラリと怪しく光る。
「メノウの魔法を解いた今、次にすべき事は《魔法使い》の拘束か《器》の確保と破壊。そしてこの結界は人が多い。加えて貴様は、魔法使いに気に入られていたな……」
「あ、あの、クローさん、本当に何を考えて……?」
口端を歪め、邪悪な笑みを浮かべるクローに、メノウはだらだらと冷や汗を流した。するとクローは指を一本立ててこう言った。
「一、屋敷の五十人近い連中を操れるだけ操って、魔法使いに総攻撃を仕掛ける。または屋敷を崩壊させる」
「そんな事したらぼかぁ失血死します」
クローは二本目の指を立てた。
「二、確かホールで舞踏会をしていた。それに参加し、魔法使いをおびき出し一点集中で仕掛ける」
「舞踏会参加したくないです。ぼかぁダンス得意じゃありませんし」
クローは三本目の指を立てた。
「三、魔法使いらしき人物をこの部屋に誘い込む。そして身包みひっぺがせ。いっそ寝ろ」
「いやいやいや! 無理でしょう!?」
「この木偶が。何の為のダブルベットだ。今回の魔法使いは女の可能性が高い。しかも貴様を気に入っているときた。魔法使いを押さえ込め、尚且つ《器》の確保も出来る有効な手だ」
「《器》は身に付けているとは限らないでしょう!?」
「やってみる価値はある。さぁ選べ。俺は三押しだ」
究極の選択だ。しかも他の選択肢を与える気はないらしい。これも八つ当たりなのだろうか。
「……に、二番で……」
メノウは弱々しい声で答えた。確かにこの中では最もダメージが少ない選択だ。クローは不服そうに舌打ちをすると、ローブの中を探りある物をメノウに突き付けた。
「いざとなったら“使え”」
「……はい」
それはメノウが家から持って来た、フランス人形。別邸のベッドルームで転がっていたのを、クローが回収した物だった。
「さて、では早速ホールに……」
「あ、クローディオさん、今何時ですか?」
「今の時間か? 現実の時間と同じとは限らんぞ」
「大丈夫です。ここでの時間が知りたいので」
「ほぉ」
アルバートに頼まれたクローは、懐から【マリー・アントワネット】、ではなく蓋を開けずに時間を確認出来るデミハンターの懐中時計を取り出した。
「今は九時四十一分だ。それがどうした?」
「あぁ、なら少し時間に余裕がありますね。舞踏会は『十時から』だと、中庭の花が言っていたんです。その時きっと屋敷中の人間が集まると思います。十時になったらダンスホールに行きましょう」
それまでは小休憩しましょうと、アルバートはクローをベッドの上に座らせる。先程から走りっぱなしで疲れている筈だ、休める時に休ませなくては。
「あの、アルバートさん、時間があるなら……。その、ちょっとお願いが……」
クローにベッドを譲り立ち上がったメノウが、どこか恥ずかしそうにアルバートに声をかけてきた。
「はい、どうしました?」
「アルバートさんは貴族様ですから、社交ダンスとか得意ですよね?」
「得意というか、慣れてますね」
「その、少し、教えて欲しいなぁと……」
メノウの声はどんどん小さくなる。何故そんな遠慮気味に言うのだろうか。するとメノウの小さな声でも聞こえたらしいクローが、小馬鹿にするように一笑した。
「付き合ってやってくれアルバート。木偶がうっかり女役をしないようにな」
「え?」
「ちょっ、率直に言わなくてもいいじゃないですかっ! その、ちょっと練習させて欲しいとかそんなんで!」
「いい気味だ」とでも言いたげに喉を鳴らすクローに、顔を赤くして抗議するメノウ。そういえばメノウは過去に女装やら何やらをさせられたと言っていた。その時にそのままダンスをやらされたのだろう。
酔ったゲストか主催の貴族か、人が嫌がる事を強引にやらせた事を考えると、アルバートは憤りを覚えた。酷い人間も居たものだ。同じ貴族として戒めにしなくては。アルバートはそう考えながら、準備運動という感覚でメノウに社交ダンス、ワルツを軽く教えようとしたが……。
メノウは驚くほど男役のワルツを知らなかった。
「……メノウさん、これあと十分で教えるのは厳しいです」
「えっ!?」
「はっ! 今まで逃げていたツケが来たな」
悪魔の長の如く邪悪な笑みを浮かべるクロー。先程拒否された三つめの策を再び推そうと考えているのだろう。
「女役をやるのを好かん癖に男役を覚えない、そして趣味が女々しい。全く、魔法使いは何故こんな木偶を気に入ったんだか」
「趣味は個人の自由でしょう?! ワルツはその、苦手なんですって!」
「何かメノウさん、女役染み付いてませんか?」
「そ、そんな事ないですっ」
メノウはワルツが苦手、という訳ではない。ステップも一通り知っている。しかしどうも、体の動きが女役になってしまうのである。一時間、いや三十分あれば多少は矯正出来たかもしれないが、十分と少しでは辛い物があった。何せ癖を直すのは一から教えるよりも難しい時がある。
「くくく、ならば三に変更だな」
「それは嫌です!」
(生き生きしてるなクローディオさん……)
しかし嫌な事を押し付けても始まらない。アルバートは思考を巡らせた。
「……。私が舞踏会に参加する、とか?」
「はい?」
「参加? 貴様がか?」
「上手くいくかはわかりませんが、舞踏会に私が紛れ込んで魔法使いを探し出します」
「しかし俺達は招かれざる客だ。直ぐにバレるぞ」
「それを言うなら、寝てる筈の僕が行っても怪しまれる気がするんですが……」
「それに舞踏会となればかなりの人が集まっている筈。そんな所に単身で向かっても多勢に無勢が過ぎる。捕まって魔法にかけられて終わりだ」
メノウの台詞を無視してクローは言った。
「それでも魔法使いは私の知人の可能性が高いです。近付けないまでも、見付けるなら直ぐに出来ると思います。変装出来るなら変装もして。それに沢山人がいるなら、私一人紛れ込んだぐらいでは大丈夫かな、と。それとも魔法使いは招いた人を覚えているのですか?」
「そういう法則はない。結界に入れた人間を把握しているかどうかは個人による。後は、魔法にかかっていない人間の区別が魔法使いにつくかどうか……」
「一応一ヶ月も結界保ってますしね」
「そう一ヶ月も……。む、いや待て、今回の魔法使いは……」
クローは顎に手を当てて、何やら思考をし始めた。何かいい案でも思い付いたのだろうか。
「……アルバート、賭けになるが、舞踏会の参加を頼めるか?」
「はい」
アルバートは迷いなく答えた。
「危なそうになったらフォローに回る。決して無理をするな」
「分かりました」
「ではアルバート、魔法使いは俺達全員、魔法にかかっていると勘違いしている、そう思い込め。決して危険はない、騙せると思え」
「そ、それは気が緩んで逆に危険ではないですか?」
「いいや、変に強張る方が危険だ。ただ貴様は舞踏会に参加するゲスト。屋敷の主と踊りたくて来た人間とでも考えて動け。他は気にするな」
クローはそう言うと、自らのローブを脱ぎ捨て、部屋のクローゼットを漁った。フリルの付いたシャツやレースの付いたシャツや白いブラウスやらが中から出てきて、クローに床に投げ捨てられる。
「……これでいいか」
やがてクローは黒いタキシードをクローゼットの中から取り出した。メノウの為に用意された部屋だから、黒いシックな服などないと思っていたが、一応一通り揃えられていたらしい。
クローはブラックスーツを脱ぎタキシードへと着替えた。ゆる過ぎずきつ過ぎず、サイズも問題なさそうだ。
「クローさんのタキシードいつ振りですかねぇ。似合ってますよ」
「黙れ木偶。ここの屋敷の人間はどいつも礼服を着ていたからな、流石にローブやスーツでは目立つと思っただけだ」
クローの着るブラックスーツも略礼装とはいえ、礼服といえば礼服だ。問題なのはカラスの濡れ羽のように真っ黒な生地に加え、簡素な作りの為、葬式に来た人間に見えてしまう所だ。故にクローは、舞踏会に潜入するならば、最低でも準礼服を着た方がいいと判断したのだろう。
「蝶ネクタイは好かんがな……」
「あっはっは、可愛いじゃないであいたっ」
無言でメノウの頭部に拳骨を喰らわせたクロー。
「私もテールコートぐらい着た方がいいですかね」
「確かに昼間の格好だが、屋敷の連中も着ていた。そのままで問題ない。ただそれは外しておけ」
クローの指がアルバートの左手薬指を指差す。ダイヤモンドの婚約指輪。確かにこれを付けたままではダンスも誘い難い。アルバートは一度それを外し、人差し指に嵌め変えた。