Ⅱ
「そして【灰かぶり姫】の最大の特徴とは、《美》が至上ということ。【白雪姫】のように美によって苦労もしない。虐げられたのは血縁上の理由。王子が【灰かぶり】を見初めた理由は、虐げられながらも健気で努力家だったからではない。単に美しかったからだけだ。つまりそれ以前の行為も境遇も性格も関係なく、美しくさえあればハッピーエンドになる。……この屋敷の主は美しさに重きを置いている様だな」
クローの口端が歪む。この屋敷は魔法使いが作った物。当然、書斎もそこに押し込められた本も魔法使いが作った、好きだった、または欲しかった物だ。つまりこの書斎は、魔法使いの心理を反映している事になる。
異常なまで求める美を。
ーー女とは何故こうも美に執着するのか。
夢の中で聞こえた言葉が頭の中で反響する。あれは一体誰が言った言葉だったのだろうか。そして何故こうも結界の中の出来事と重なるのだろうか。
訳が分からない。思考を巡らせると気分が悪くなった。頭が痛い。吐き気がする。
『アルバート様は、私がお婆ちゃんになっても愛してくれますか?』
いつだか婚約者が自分に言った事を、アルバートは思い出した。勿論だよと、アルバートは返した。嘘偽りはない。
アルバートは婚約者が若く美しいからではなく、婚約者その人が好きになったのだから。彼女を取り繕う物が美でも醜でも、アルバートは構わなかった。
ただ、側に居てくれるだけで、幸せだった。
「どうした、アルバート。気分が優れないか?」
クローに声をかけられ、アルバートは意識を現実へ引き戻す。どうもボンヤリとしがちでいけない。アルバートは大丈夫という旨をクローに伝えると、頬を軽く自ら叩いた。
「あまり無理をするなよ。倒れても俺は運ばんからな」
「ご心配してくださって有難うございます。でも、いざとなったら置いていって構いません。きっとクローディオさんもその方が……」
「いや、そうも言ってられなくなった」
仲間意識でも芽生えたのだろうか。クローは結界の外に居た時は言いそうになかった台詞を言うと、静かにドアノブを回し、少し開いた扉の隙間からロビーを覗いた。
「よし、誰も居ないな」
人気を確認したクローはゆっくりと扉を開き、ロビーへと足を運ぶ。アルバートも続いて部屋を出た。壁は白塗りされ、天井には金色のランプがぶら下がり、床には真っ赤なカーペットが敷かれているロビー。壁に並ぶ大理石の胸像がそのロビーを見張っているようで不気味だ。
先に続く扉の奥からは、幾つもの笑い合う声が聞こえた。恐らく中には多くの人が居るのだろう。
「クローディオさん、これからどこへ向かうんですか?」
「まずメノウの元へ行く。魔法使いを叩くのはそれからだ」
赤いカーペットを踏み締め、クローはメノウが居ると思われる部屋へと向かおうとする。
「そういえば、クローディオさんは確か、時間を巻き戻す魔法を使ってましたよね。メノウさんも以前使っていましたが、記憶が曖昧で……。お二人は一体、どの様な魔法が使えるんですか?」
「……」
アルバートの問いにクローは口を結ぶ。
「……。さっきから黙秘していますが、話しづらい事なんですか? そうでしたら、すみません」
しかしクローは時間操作の魔法が使えるというのは明白だ。結界の入り口をこじ開けた時、あの不可解な現象は、時間を扱った魔法を使ったとでも言わないと説明がつかない。
「ただ、相手は魔法使いでしょう? ならば私も多少の心得があった方が……」
「やめておけ」
クローは猛禽類に似たヴァイオレットの目で、アルバートを見詰める。
「貴様は何もせんでいい。魔法は使おうと思って使える物ではないが、それでも間違っても魔法を使おうと思うな。死ぬぞ」
「……そう、ですよね。私は足手まといですし……」
先程からアルバートは、クローの後に続く事しか出来ていない。勝手が全くわからない空間の中の自分は無力で、情けない。すると項垂れているアルバートの頭をクローが軽く叩いた。
「しょげるな鬱陶しい。貴様は一応、侯爵子息だろう。ならば剣術の心得もある筈だ。使うならば不確かな力などではなく、信じられる、確実な方にしておけ」
『悪い人じゃないんです』
メノウの言った通り、クローは決して悪い人間ではない。
「……《マインドコントロール》」
不意に、クローはポツリとそう呟いた。
「マインドコントロール?」
「そう。それがメノウが得意とする魔法だ。俺が荒技に向かん魔法が得意なのに対し、メノウの得意とする魔法は人が多ければ多いほど使い勝手がよくなる。【楽園】の様な結界内では奴の魔法が打ってつけだ。また二足歩行が可能な人形、物体を操る事も長けている」
だからメノウを見付ける事を先決したのだと、クローは言った。メノウがマインドコントロールに耐性があるのは、自身の得意とする魔法だからとも。
「……。クローディオさんもメノウさんも、優れた方なんですね」
「どこがだ。魔法など、この世で最も無用な物だ。寧ろ使い慣れているのは恥ずべき事だ。魔法に長く関わっている奴に、碌な人間は居ない。酒や薬の中毒者と同格だ」
それは余りに卑下していないだろうか。クローもアルバートも人格破綻などしていない。下手な人間よりずっと真面目でマトモな性格だろうに。
クローは猛禽類に似たヴァイオレットの目をアルバートに向ける。モノクルの金縁がシャンデリアの光を反射した。
「この話はもう置いておく。さて、メノウが居ると思われる部屋は二階だ。階段を使う必要がある。アルバート、人気がなさそうな階段はどこだ」
「えっ、そんな率直に訊かれても……」
「貴様なら分かる筈だ」
信頼しているのか投げやりになっているのか、クローは進む方向の決定をアルバートに一任した。間違っても責任は取れない。しかしクローの機嫌を損ねるのは怖い。アルバートは必死に思考を巡らせた。
「……階段はエントランスホールやメインホール、広い場所にある事が多いです。特に二階へ行く場合は。ここも構造が一般的な屋敷と同じなら、確実に誰かに見付かるでしょう。そこ以外で人目につきにくい所……」
アルバートは口元に手を当てて、外観から見た屋敷を思い浮かべた。横幅も奥行きも同じぐらいの長さをしていた、少々不釣り合いな構造を持つ屋敷。正面の薔薇の木を中心にガーデニングされた派手なアプローチ。入る前にチラリと見えた裏庭は、百合が植えられ優雅だった。
「クローディオさん、いけるか分かりませんが、中庭に行ってみましょう」
「中庭か。また妙な所を選んだな」
「推測ですが、恐らくこの屋敷はロの字になっていると思います。そしてアプローチも裏庭も手の込んだ庭になっていた」
加えてこの屋敷は、幅と奥行きが変に均等な長さで建てられていた。ならば中央がぽっかり空いていても可笑しくない。そしてバルコニーに人は居ても、アプローチにも裏庭にも人は居ないようだった。ならば中庭にも居ないのではないだろうか。
そしてこれは完全に勘だが、そこからならば上へ行ける気がした。だが勘にばかり頼ってもいけないだろう。
「階段はあるか分かりません。なので書斎の梯子を使いましょう。高さが足りないでしょうから土台でも作って……。私が支えますから、クローさんはそれで行ってください」
「貴様も来ないと意味がないぞ。それにまだ手段がなくなった訳ではない。まずは中庭に……」
ガシャン、ガシャン
不意に、背後から金属がぶつかり合うような甲高い音が聞こえた。その音はアルバートとクローから向かって左、ロビーの奥から聞こえてくる。それは確実に、こちらに近付いてきていた。
「……え」
「げっ」
やがてロビーの曲がり角から姿を現したのは、二メートル越えの大きなハルバートを持ち、銀色の鉄で作られたプレートアーマーで全身を覆った兵士。
「うわ、父が買った甲冑よりモデルが古くてしかも立派!」
「関心している場合か!」
思わず自宅に置かれた鎧と比べてしまったアルバート。すると兜越しに目が合っただろうその時、合計すると三十キロは越えるだろう重い鎧と斧を持って、兵士はこちらに向かって全力疾走してきたーー!