Ⅴ
大股で進み、墓地の中を移動するクロー。引きずりそうな程に長いローブを纏っているクローだが、意外と足が速い。アルバートは置いていかれないよう、小走りに後をついて行った。
「この中のどこかに、結界へ繋がる境目がある訳だが……。あれの所為で分かりにくくなっているな」
クローはちらりと横目で来た道の方向を見た。一体、来る途中でクローは何を感じ取ったのだろうか。
「境目……。具体的にはどの様な物なんですか?」
アルバートは辺りを見渡す。初めて訪れた共同墓地だが、これといって変わった物はないもないように思えた。
「貴様は何が境目になり得ると考える?」
「は?」
質問を質問で返され、アルバートは間の抜けた声を発する。
「そ、そう言われましても……。えっと、線が引かれてる所とか?」
「洞窟、井戸、トンネル、窓、扉、門……。人は囲いがある所を無意識に区切る。そして其処が境目となり易い。イメージがし易いからな」
だがこの墓地は、出入り口の門ならまだしも、中ではこれと言った仕切りは存在しない。
「また最初から通れる場とは限らん。ただの壁や地面もその対象となる。そして必ず目印が存在する。そこを《切る》と境目は決壊し、結界への入り口となる」
「目印って、魔法使い本人しか分からない物だったらどうするんですか?」
「そうだ、目印は視認出来る物とは限らん。だが感じればいい。それでも見付からない場合は、人が通るに適した形か大きさをした物を片っ端から切る」
「片っ端って……。私は貴方の言う、えっと、《切る》術はないんですけど……」
クローの言う荒技は到底できない。ならばと、アルバートは気配を研ぎ澄ましてみた。
確か魔法がかかった跡、《血痕》は浮遊感や緊張感を覚えるという。アルバートも、その様な気配を感じる事は出来ないだろうかと試みる。しかしそんな感覚を覚える事はなかった。
代わりに、背中に虫が這うような嫌悪感を覚えた。
「……!?」
さらに研ぎ澄ませば、蛆が体を喰らおうと群がるような、気味の悪い危機感を覚える。アルバートは思わずサーベルを引き抜き、それを感じた先、背後へ向ける。
そこの先にある墓石の一つに視界が奪われた。上部が半円アーチの物と、その前に棺型の物が置かれた二つの墓石。別に珍しくもない、一般的な墓石だ。強いて言えば造りが少々豪勢な程度である。
しかしアルバートはその墓石に刻まれた名前に目を奪われた。
(バクストン?)
名は《バクストン・ロイド・アーチャー》。それは婚約者の父親の名前だ。ミドルネームも同じである所から、間違いないだろう。これは彼女の父親の墓だ。
しかし何故、カークランドの姓ではなく“アーチャー”と刻まれているのだろうか。また名の下に書かれる筈の生没年の没年だけが刻まれていない。
「どうした、アルバート」
「あ、いえ、その……」
異変に気付いたクローが声をかける。アルバートはサーベルを鞘に戻そうとして、出来なかった。本能が構えを解く事を拒否した。何故かは分からない。分からないけれど出来なかった。
仕方なくアルバートは気が付いた事を語る。
「こ、このお墓、私の婚約者の父親の墓なんです」
「父親? そういえば亡くなったと書いてあったな」
「はい。しかし、公共墓地にあったなんて初めて知りました。それにファミリーネームが違いますし、ファーストネームもミドルネームも同じですが、もしかすると別人の可能性も……」
「没年が書かれていないな」
クローはサーベルを構えたままのアルバートの横をすたすたと足早に横切ると、墓石の前で屈みじっくりと眺めた。
「ほぉ」
そして立ち上がったかと思えば、十字杖を墓石へ向けた。
「この感覚……。成る程、“こいつ”か」
モノクルの金縁が、月明かりの光を反射する。
「ク、クローディオさん……?」
「カークランドの名が刻まれていないのは、魔法使いが変えたのかもしれないな。没年が書かれていないのは願望かもしれん。それかもしかすると本当に……」
「願望? 一体誰が何を思ってそんな……」
「さぁな。魔法使いに直接訊いてみるといい。ーー此処から入れる。こいつが、結界の入口だ」
ガタガタガタ
突然、独りでに動き始めた墓石。更に棺を覆う石がずずずと音を立てて動き、やがて中の棺が露出する。続いて棺の蓋が開け放たれ、中から朽ちてボロボロになった服を纏った骸が現れた。
「いいっ!?」
「落ち着け、こいつは化け物ではない。結界へ引きづり込む為だけに作られた魔法、幻覚だ」
「そ、それでも怖いですよ!」
後退りしようとするアルバートの腕を掴み、それ以上後退させないようにするクロー。
「結界の中に、貴様も行くんだろう? ならば逃げるな」
「……うっ」
確かにここで逃げては来た意味がない。アルバートは意を決して、サーベルを墓石へ向けた。クローの口の端が歪む。
不意に、後ろから爽やかな風が吹き抜けた。首を後ろに向けてみれば、宙にぽっかりと穴が空いていた。
その中からは日の光を反射して輝く湖や、多種多様な色彩を持つ花畑が見えた。そこでは小鳥がさえずり、リスが枝を駆け回り、兎が草をついばみ、鹿が水を飲んでいる。
殺伐とした墓地とは反対に、自然に溢れた場所。それはまるで、人の居ない【楽園】。
「なっ! クローディオさん、あれが結界への入口ですか!?」
「違う」
クローは振り返りもせずに言った。
「貴様は前を見ていればいい。決して目を逸らすな。立ち向かう必要はないが後ろへはさがるな。……どうしても蜘蛛の巣にかかりたいなら、止めないがな」
つまり、背後の光景は《魔法使い》の罠という事だろう。アルバートは顔を前へと戻した。
骸の目玉がなくなった穴から口から耳から、百足やらミミズやらが這い出て全身を回る。まるで『近寄るな』と言っているかの様に。アルバートは目を背け、後退したくなるのを必死に堪えた。
「今から入口をこじ開ける。そしたら空間の歪が出来る筈だ。そこへ飛び込め」
「は、はい!」
骸の体は次第に蝋のように溶け、溢れ出る虫と共に辺りに蔓延る。それは徐々にクローやアルバートの足へと絡み向いて来た。
気持ち悪さから払い落とすが、次から次へと纏わり付いてキリがない。しかしクローは纏わり付いても何もしないまま、懐から何かを取り出した。
「切りにくい形になりおって。そんなに招きたくないか」
チッ、チッ、チッ、チッ
規則的に進む針の音が聞こえる。それはアルバートがクローに差し上げた、【マリー・アントワネット】の針が動く音だった。
チェンバレンの屋敷に時計を直せる道具はない。だが直っているという事は、元々クロー自身が修理道具を持ち歩き、サロンに居た一時間九分。その間に直したのだろう。ろくに身支度をしなかった中でも工具は持ってきたという所から、時計を大事にしている事がよくわかる。
骸だった物体から巨大な虫に似た化け物が飛び出た。芋虫に似ているがサソリの様な足が生え、頭部はぱっくりと開きそこから鋭い牙を無数に生やしている。
ーー化け物はその牙をもって、クローを食い千切らんと襲いかかった。
「クローディオさん!」
咄嗟に彼の前に出てサーベルを振りかざすアルバート。しかし化け物は切れず、刃を牙で受け止められてしまう。
「……っ!」
歯をぎちぎちと音を立て、サーベルに食らい付く化け物に、アルバートは押し負けないよう柄を握る手に力を込める。
ダイヤモンドの指輪が、月光を反射し輝いた。
「立ち向かう必要はないと言ったが、まぁいいだろう。鬱陶しそうだったしな」
クローは【マリー・アントワネット】の金色の蓋を開けた。中では何年も止まったままだった針が、クリスタルの文字盤の上で、寸分狂わず時を刻んでいる。
「『戻れ』」
クローが体の芯に響く様な、低い声で呟く。すると目の前の化け物も、体に纏わり付いていた虫も離れ、音もなく棺の中へと入っていく。
原形を留めないほどにドロドロに溶けた体もまた、元の形へと戻っていった。穴へ虫が入っていき戻っていく様は、それはそれでグロテスクだ。
不可解な現象と気味の悪い光景に頬を引きつらせながらも、アルバートは構えを解いた。
「何を、したんですか……?」
「別に。このままでは切りにくかったからな、戻しただけだ」
それはつまり、
「《魔法》を使ったと……?」
チッ、チッ、チッ、チッ
クローからの返事はない。懐中時計の音が耳に付く。クローの持つ【マリー・アントワネット】の針は、本来の進行方向と、逆向きに進んでいた。
狂っている訳ではない。ムーブメントから見える歯車は規則的に正確に逆行し、秒針は一秒一秒、長針は一分一分、短針はじわじわと、反時計回りをし続けている。
「そろそろいいか」
チッ、チッ、チッ、チッ、……
懐中時計の音が止む。逆行していた化け物の動きも止まる。クローはあたかも棺桶が露出していないかのように踏み進み、墓石の前へと立つと、十字杖を高く振りかざした。
杖は仄かに光を……。など、そんな演出はないが、ただならぬ気配を纏っている気がした。
カチ、コチ、カチ、コチ
十字杖から、何故だろう、振り子時計の物に似た音が聞こえる。針も歯車もゼンマイも何もない筈なのに、確かに杖から音が聞こえる。その不思議な十字杖で、クローは未だに虫にまみれた墓石を、
ーー縦一直線に突き刺した。
その瞬間、墓石はボロボロと炭のように崩れ、輪郭だけを残し内側は水をかき回したかの様にぐにゃりと歪んだ。
その奥に青々とした景色がぼんやりと見える。
足場が崩れたクローは、戸惑う様子もなくそのままその歪へと身を投じ、姿を消した。アルバートもまた、その歪の前へと歩を進める。
「……っ」
歪に靴先を当てれば、沼に突っ込んでいるかのようにずぶずぶと飲み込まれる。
その感触は、捌いた鹿の腹の中へ突っ込んでいるような、滑りと生暖かさがあり、アルバートは足を引っ込ませたくなった。
しかし自分は行かなければいけない。アルバートは極力目を細め、思い切って飛び込んだ。
一瞬の浮遊感を感じた後、地に足を着けた感覚を確認してから、目を開く。