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楽園と失踪  作者: アマート
招待編
11/37

 Ⅰ 

 リンゴーン、リンゴーン。


 鐘の音が耳につく。

 頭上から聴こえる。

 ここは何処だ。

 下にはレッドカーペットが敷かれている。

 左右には長椅子が規則的に並んでいる。


「アルバート様」


 雛壇の上、祭壇の横、自分の前に立つ女性が、自分の名を呼ぶ。

 彼女の背後、アーチ状の窓からは海が見えた。


「うふふ、似合うかしら」


 純白のドレス、パールで作られたティアラ、頭全体を覆うベール、右手に握るブーケ。

 ベール越しに見える赤い唇が、弧を描く。


 愛しい婚約者。


 そうだ、自分は彼女と結婚するんだ。

 海の見える教会でしようと約束した。

 今日がその日だ。


 待ちに待った結婚式の日だ。


「今の君は、世界の誰よりも美しいだろうね」


 歯の浮く台詞を言ってみる。


「うふふ」


 彼女は少し肩を震わせて笑う。

 私も笑う。


「さぁ、手を出して。指輪を」


 ダイヤモンドの指輪を。

 婚約指輪としてでなく、結婚指輪として。

 貴女の薬指に。私の薬指に。


 あぁ、何て幸福な日。

 この日が永遠に続けばいいのに。

 終わらなければいいのに。

 この日、が……ーー

 はたと、目が覚めた。


「坊ちゃん!」


 デリックが自分の顔を覗き込んでいる。

 ここは何処だ、見覚えがある。天蓋付きの白いベッド。火の灯った暖炉。アラビア数字の十一を指す、振り子時計の短針。シンプルなデザインの調度品。無地の壁。アーチ状の窓。ルネサンス画家 《ラファエロ・サンツィオ》の絵画【アテナイの学堂】を元にしたタペストリー。


 ーーあぁ、自分の部屋だ。別邸ではなく本邸の、自分の部屋。今晩は別邸で寝るつもりだったのに。


「……デリック、メノウさんは……?」


「そ、それがお姿が何処にも……」


 その言葉に胸が締め付けられた。

 反射的にベッドから起き上がる。


「坊ちゃん! 起きてはいけません、お体に障ります!」


「煩いデリック! メノウさんが消えたんだ、早急に探さなくては!!」


「いけません! 熱がおありです、本日は寝ていて下さい!」


「熱が何だ! 私が巻き込んだんだ! 私が何とかしなければいけない! 私が巻き込んでこんな事にしてしまったのだから! 私が、私、が……!!」


 言って、頭を抱える。ぐらぐらと視界が回る。頭が痛い。吐き気がする。酷い体たらくだ。情けなくて反吐が出る。休んでいる暇なんてないのに。嘆いている暇なんてないのに。


「畏れながら坊ちゃん、本日は外出を控えてください。メノウ様は使用人総出で探しますのでご心配なく。慣れない屋敷でございます、もしかしたらどこかで迷っているのやも」


 幾ら探したって無駄だろう。メノウはきっともうこの世界の何処にも居ない。

 しかし動こうにも、頭も体も上手く動かない今の状況は確かに厳しい。仕方なくデリックの指示に従い、今日は休む事とした。アルバートは体重をベッドへ預け、後頭部を枕に埋めた。


「……デリック。メノウさんを泊めた部屋にノートがあった筈だ、それを持ってきて欲しい」


「はっ」


 一礼をしてからデリックは部屋を後にする。メノウは目撃者や事件関係者の証言を逐一ノートに記録していた。動けない今でもそれを見直すぐらいは出来る。体調が戻ったらまず、メノウが実行しようとした《魔法使いの特定》をする。

 カークランド家の者が違ったら、また別の有力そうな人にそれを行う。いや、先に墓地の前で何日か張った方がいいだろうか。頻繁に訪れる人間から魔法使いの候補を絞るのも手かもしれない。


 少し経って、デリックが部屋に戻って来た。


「坊ちゃん、これで宜しいでしょうか」


「あぁ、有難う。さがって構わない」


 デリックが退室した後、アルバートはパラパラと受け取ったノートを捲った。それには【楽園】に関する記述が事細かにメモされている。

 メノウは自分の事をじゃじゃ馬やら低俗なゴシップ雑誌記者やら卑下ていたが、アルバートの想像以上に事件について真剣に向き合っていた様子が見て取れた。


(カークランド家以外の人間にもマークがしてある……。さて、どう絞るか……)


 ズキズキと痛む頭を抑えながら、アルバートは一通りノートに目を通す。そしてノートの最後のページに、気になる事が書かれていた。


(……? 『クォーツさんの連絡先(※緊急用)』?)


 幾何学的な文字で走り書きされた文の下には、恐らくクローの連絡先だろう住所が書かれていた。字が多少掠れている所から今回の事件、【楽園】より以前に書かれた物とわかる。

 【楽園】に関する記述、その前のページは全て切り取られていた為、そこだけ妙に目立った。


「……」


 アルバートは暫し考え込んだ後、アルバートは壁に設置された、使用人の休憩室に繋がるベル(呼び鈴)へ腕を伸ばした。

 ベルを鳴らしたアルバートはベッドから立ち上がると、ライティング・ビューローの席に座る。そこで引き出しから便箋と万年筆、そして封蝋印(シーリングスタンプ)を取り出す。


「お呼びですか、坊ちゃん」


 暫くして、タキシードを着た栗色の髪の青年執事、アルバートの従者トレーシーが部屋に訪れた。


「トレーシー、手の空いている者にメッセンジャーを頼みたい。私が書けたらなるべく速やかに届け、出来れば返答をその場で頂くようお願いしたい」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 丁重に一礼をして退室するトレーシー。


(……メノウさんが居ない今、私一人では力不足だ。是非クローディオさんに協力を……)


 そこまで考えて、アルバートは一度頭を軽く叩くと、席を立ってサイドテーブルに置かれていたグラスを取り、水を一気に飲みほした。


(頼って巻き込んで大事にしといて、何を言っているんだ私は)


 メノウはクローを『冷徹がローブを纏ったみたいな人』と称していた。きっとそれは事実だろう。アルバートはビューローの席に座り直す。知人のメノウが失踪してしまった所でクローが動くとは限らない。干渉せず、魔法が解けるその日を待つに留まるかもしれない。

 それでもクローが協力してくれるか否かで、事態は大きく変わる。


(素人の私より経験者が居た方が頼もしいのは確かだが、だからと甘えてはいけない。そもそも放置しておけば良いと言われといて、それでも動いたのは私だ。一人でもやらなくては)


 アルバートは体を背凭れに預け、顔を窓に向けた。ガラス越しに見える空は、まるでアルバートの先行きが見えない心情を投影しているかの様に、怪しい雲行きになっていた。


(そもそも、クローディオさんは何度も警察官の協力を拒否した方だ。どう協力を仰げばいい?)


 アルバート万年筆を持って頭を抱える。


(直談判しに行っても追い返され、手紙は、まず読んでくれるのかどうか……)


 メノウが失踪してしまった事を書き、依然事件の解決が見込めない事を書き、クローがどれほど頼りにかるかを書き、讃え、敬い、どんな報酬も用意するとーー。

 そこでアルバートは思考を止めた。幾ら詳細に現状を書こうが、幾ら褒め称え煽ろうが、幾ら危機感を伝えようが、金品で釣ろうが、クローには何も届かない。それは最初のやり取りで分かり切った事だ。


 魔法は時が解決してくれると言い切っているクローには、事件に関する全てが時間の無駄だ。長く書いた方が目を通してくれないだろう。



『愚かだな』



 クローが呟いた言葉が思い起こされる。


 太陽の紋章が入ったシーリングスタンプが視界に入った。待っていれば太陽は昇るのに、昇らない昇らないと嘆き、何かをしようと無駄な行動をする愚者。きっとクローからすれば、自分はそれと同等の愚者なのだろう。

 それとも太陽は確かに昇っているが、気付いていないだけかもしれない。何方にせよ愚かには変わりない。無意味に騒いでいるだけだ。


(何と書く? 何と伝える? ……何と、)


 アルバートはメノウの失踪と事件の進行具合、解決が見込めない、という現状の報告を纏めると、それ以上続きは書かず新しい便箋を取り出す。


(……)


 そして彼は、万年筆を動かした。

用語解説


シーリングスタンプ……封蝋印。手紙を蝋で封をした際に使うスタンプ。書いた本人と未開封の証明になる。

ライティング・ビューロー……書き机と戸棚を合わせた家具。

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