「クソみたいな女の臭いがする」
(玄関のドアは近くて遠い。そしてこの廊下が恐ろしく長い……)
「識、三十秒以内に開けてね。いーち、にー、さーん……」
ドア越しに聞こえてくる唯の声。三十秒という具体的な数字による終わりへのカウントダウン。
(サスペンス映画とか、ホラー映画の世界だろ!)
「ご主人様、やはりお待たせするのは失礼です。行動は速やかでかつ的確に」
三十秒という数字を意識してか、結が静止を振り切って一歩前へと出る。
「ま、待て。心の余裕ってものがだな……」
「数えられていくことで、より無くなってしまう」
「俗とは、こんな風にありきたりなラブコメシチュエーションを指す、と」
「メタすぎる! やっぱり確信犯だろ!」
「……ベタの間違いでは。さっさと覚悟を決めてください」
俺のツッコミは結の背中にすら届かなかった。彼女が鍵へと手をかける。
ガチャリ、と無機質な音が響くと、最後のドアが開かれた。
「やっと開けてくれた。……お邪魔しま──」
唯の声が途中で止まる。
彼女の視線の先には、丁寧なお辞儀をしている長身のメイド。
そして、その後ろでフリーズしている俺。
「……」
「……」
(無音。音と感情の失われた世界)
「はじめまして。唯様でいらっしゃいますね」
結が微笑んで一歩進み出る。完璧な角度の会釈。あまりにも上品で、うちの玄関には明らかに場違いだった。
(いきなりそれかよ!)
「私、天界よりやってまいりました、結と申します。識様のメイドでございます」
「天界もメイドもまったく俗じゃねぇぇぇ……!」
反射的にツッコんだ俺の声が、廊下に虚しく響いた。俺は消えていく声と共に膝から崩れ落ちる。
「──へぇ」
唯が笑った。口元だけ。目は一切笑っていない。
「識、聞きたいことがあるんだけど」
「何でも聞いてくれ。答えられることには答えるぞ」
脳がフル稼働する。正解なき正解を求めて。
ちなみに出てくるのは、
・段ボール
・天界
・居場所なき病
・洗脳
という、一つも採用できないものだった。
「……あのさ、唯。落ち着いて聞いてくれ」
「うん。私はいつだって冷静だよ」
(嘘をつくな。さっきから明らかに人が出しちゃいけない空気が滲んでるぞ)
唯は結さんよりも無表情だったが、何故か感情だけは読み取れていた。ノンバーバルコミュニケーション──いや多分、俺が勝手に何かを予想しているだけ。
「この人はですね、その、えっと……迷子みたいで……」
「人生の迷い人とも言えるのかな……俺たちとも同じような……」
「はい。ご主人様に拾われました」
「拾われたって自分で言うな! いや事実ではあるけど!」
「拾われた、女の人。ふふっ、それを拾っちゃった、識……」
唯が小さく復唱する。声色は淡々としているのに、語尾はめちゃくちゃ重い。
(な、何なんだよ。その恐ろしい間は……)
「識、透明な臭いがしてたもんね。クソみたいな女の臭いだったなぁ」
「今、すっごい悪臭がしてる。このことだったんだね。ふふっ、こんな綺麗な人にコスプレまでさせて、勝手なことしちゃって……」
「や、やべぇ。軽く三人は殺っちまいそうな雰囲気」
じっと結を見つめる唯。たじろぐ俺。
しかしその視線を、結は正面から受け止めていた。
「体臭はありませんし、このメイド服の生地も、地上すべての汚れや臭いを防ぐはずですが?」
(ここで聞くのそれかよ!)
唯はまるで無視といった様子で、俺に微笑みかける。
「識。中に上がってもいいかな?」
「あ、ああ。まあ、どうぞ」
もう逃げ場はなかった。唯を玄関で追い返したら、それこそ後でどんなことになるか。
(ああ、この家にどんどんヤバい奴らが集まっていく……)




