銀色の缶ビールを積む蛮族と、開けてはいけない扉
「俗とは、その場の空気を読むことだぞ。人と違うことはしない方がいいし、変に目立つなんてもっての外だ」
とりあえず今は自宅のソファに座りながら、入り口の扉の手前に立つ結さんに事情を説明している。一緒に帰ることは俗でないのだと、なんとか説得して別々に帰宅したのだが。
「勉強になります。ご主人様は俗を心得ておりますね」
「私、識様を選んで正解だったと思います。識様であれば、やはり俗をきちんと学べると思いました」
「俺の日常が日常ではなくなっていくけどな!」
(というか、俗でいいのかこれ?)
とりあえず彼女を説得する際には、俗っぽいか、俗っぽくないかという、めちゃくちゃ意味の取りにくいマジックワードを使えば良いのだと理解した。
「俗っぽいってのは、大人しく地味で普通なこと。俺みたいな奴とか……」
「ただいま〜。今日もほんと疲れたわ」
まるで言葉を遮るかのように、ガチャリと玄関ドアの鍵をあける音が聞こえてきた。
「お帰りなさいませ、お母様。食事の準備は済んでおります」
「どうなさいますか?」
「まずはこれよね。ただいま代わりのウルトラドライ!」
「もう喉渇いちゃって仕方ないわ」
「帰ってきて早々に酒を飲むな。それは喉を潤すものじゃないだろ」
冷蔵庫を漁るアルコールモンスター。せめて服くらいは着替えろよと思いつつ、俺は頭を抱える。
プシュッと炭酸ガスの漏れる音が聞こえてくると、アルコールモンスターは銀の缶の中身をあっという間に胃へと収めてしまった。
「ご主人様。これも俗なのでしょうか」
「まあな。あれは低俗っていうんだ」
「低俗、と。俗の程度が低いということでしょうか?」
「確かにそうなんだけど。多分、俗は度合いではないから」
今日もシンクに銀の徳が積まれていく。
「勉強になります。私も真似た方が良いのでしょうか」
「絶対に真似るな。あんなのはこの世界に一人だけで十分だ」
「あまりにも俗な姿だが、俗にも良い俗と、悪い俗があるからな」
「分かりました。お母様は蛮族である、と」
「……結さんさ、ほんとは色々と分かってるんじゃないの」
蛮族。一応、外では常識人のはずだが、もはや家の中では見る影も無かった。
赤ら顔で嬉しそうに銀の缶から、心のエネルギーを補給し続けている。
「ぷはーっ! 今日も最高に美味い!」
「酒が飲み終わったということは……?」
(なんだ、その一人芝居は……)
「また新しい酒が飲めるということーっ!」
(おい、そうじゃねぇ!)
超ハイペース。どこで止まるかって?
──勿論、アルコールモンスターを止められるのは、酔うことなどではなく、満腹感だけ。
そんな時、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「こんにちは。峯山ですけど、差し入れを持ってきました!」
(ゆ、唯? どうすんだよ、このカオス空間で)
インターホンのカメラの位置を確認するように首を傾げながら、手に持っているものを唯が何度も映そうとしている。
「ここは居留守を使うか? いや置き配で……」
「だが置き配指示をここですると、俺がいるのにわざと出ないということが、あいつに分かってしまう!」
俺はジレンマを抱えていた。
「ご主人様、私が応対いたします」
「お客様をお迎えするのは、メイドの仕事ですから」
「や、やめろ! 絶対にやめろ!」
(結さんに対応させるのは、もっとまずい!)
俺はもう一度、ドアホンのカメラから相手の様子を確認する。
映っていたのは、パーカーとショートパンツ姿の没個性的女子。セミロングで私服だと意外とスタイルが良い。
(よく見えるな、この角度。へぇ、あいつ結構発育良かったんだな……)
(って、そうじゃねぇ!)
俗な欲求に苛まれつつ、対応策を考える。
「いるんだよね、識。話し声聞こえたし、電気もついてるし」
「何か出られない事情でもあるのかな?」
──まるで唯は何かを知っているかのように。
(いや待てよ。やましい事は一つもないような)
「ご主人様。お待たせするのは良くないと思いますが」
「もしかして、これも俗なのですか?」
結さんが俺の返事を待たずに、リビングの扉に手をかけた。半分くらい開けてしまったところで、俺は慌てて彼女を止める。
「……落ち着け。別に結さんがうちに居ようと、居なかろうと唯には関係ないはずなんだが」
「はい。私、唯様という方にお会いしてみたいです」
「よく学び、よく暮らしなさいと命ぜられております故」
「あいつは俗とは関係ないからな! 絶対にダメだ!」
(なんか面白がってないか、こいつ)
「……へぇ、不快な空気の振動が聞こえちゃった。はやく開けて、識」
「ば、バレてる!?」
ドアの向こうからは、不快感をあらわにしている不穏な空気の振動。とりあえず鍵さえ開けなければ、何とかなりそうな気もするが……。




