幼馴染は「透明な臭い」を逃さない
「おはようございます、識様。朝食の準備が済んでおります」
翌朝。寝ぼけ眼を擦りながら、制服姿でリビングに降りてみると。
「うわっ、すげえ食事。まるで旅館の朝食みたいだ」
綺麗に配膳されたご飯、味噌汁、鮭の塩焼き。小鉢にはひじきの煮物が入っているが、うちの冷蔵庫にこんな食材が眠っていたことを知らなかった。
「納豆はいかがなさいますか」
「せっかくだし食べていこうかな。こんな朝食、一体いつぶりだろう……」
「かしこまりました」
床に正座していた結がゆっくりと立ち上がる。何だか優雅な振る舞いで、我が家の冷蔵庫を静かに開けたが、思い起こされるのは昨夜の母親の姿。
(雲泥の差だな。だけど、ここまでやらなくても)
「結さんは食べないの?」
「はい。私は食事を必要としませんので」
「……もしかして人間じゃない、とか?」
「いいえ、人間ですよ」
「そ、そうだよね。ダイエットでもしてるのかな」
出るところは出ていて、引っこむところは引っこんでいる。むしろ痩せすぎているくらいで、どう見てもダイエットの必要性はない。
「そうですね。ご主人様の認識に合わせるなら……」
「食べたい気分ではない、でしょうか。おそらく」
意図も感情も読ませない表情だった。彼女はしばらくこちらを見た後に、台所へと歩いていく。シンクの前で立ち止まると、周りをぐるりと見る。
「とてもコンパクトですね。機能的です」
「普通の家だよ。ただのリビングダイニングだ」
「結さんはどこの出身? もしかして外国人なのかな」
長いまつ毛に、細い鼻筋でも立体的な造形の顔立ち。西洋人風と言うのは、すこし古いようにも思うが、日本で暮らしていると、あまり見ない特徴を持ちあわせている。
「昨日も言いましたが、私、天界よりやってまいりました」
「テンカイか。聞いたことがないけど」
(俗称だろうか。変わった国名だな)
「私、"俗"を学ばねばならないと、地上に遣わされたのです」
「何を学べば良いのかも、どこで学ぶのかも分かりませんが」
「ゾクって?」
「世俗や俗世のゾクでございます」
「俗って。学ぶも何も、当たり前のように俗だけどな……」
むしろ結さんがうちに来てしまっては、俗が俗でなくなってしまうのではと思ったが、それを口に出すこともなく食事を終える。
「ごちそうさまでした。じゃあ学校に行ってくる」
「はい。ご主人様、お弁当の用意もありますが、持っていかれますか?」
「もちろん。用意してくれてるなら、ありがたく持っていかせてもらうよ」
◇
「いってきまーす」
(会って間もない奴を家に一人にするって。防犯意識の欠片もないじゃん)
朝の自宅前。あまりにも見慣れすぎた光景。心の内のツッコミは一旦、置いておこう。
「なんか今日は普段よりも元気かも。しっかり朝食を取ったからかな?」
車の通りはそんなに無いが、通勤や通学のために人がそこそこ通っていく。季節や天候による差はあれども、高校に入ってから、三百回以上は似たような景色を見ているはずだ。
──そんな人たちの後をつけるように、隣家の前を通り過ぎようとした時のこと。
「おはよう、識。なんか今日は顔色が良いね」
「……もしかして、彼女でもできた?」
幼なじみの唯。当たり前のように彼女は同じ高校に通っている。特筆した何かはない。テンプレートのような女子。セミロングのヘアスタイルで、肩のあたりまで透けた茶色の髪が伸びている。
制服を着ていると、他の生徒と区別がつかないくらい没個性的だが、よく見ると整った顔立ちで、彼女を普通と言ってしまうのを逡巡するほどには、普通というわけでもなかった。
(性格はまったく普通じゃないけどな……)
「ふふっ、どうしたの。なんか変なことでも考えてたのかな?」
「今日は私と一緒に登校するよね。こんな風に会えたなんて、きっと運命だから」
「同じ高校に通ってて、隣の家に住んでて、同じ学年なんだから、登校時間が被るのは当たり前なのでは……?」
戦々恐々としている。彼女をヤンデレなどと簡単に形容するのは、面白いと思えないので、事実に忠実に述べたいと思う。
まず一つ、彼女は思いこみが激しい。
「そんなことないよ。一緒にならない可能性だってあったのに、こうやって一緒になれたんだから」
「私は識と朝から会えて、すごく嬉しいよ」
立ち止まった唯が、隣で微笑んでいた。
「いつまでもずっと一緒にいられたら良いのにね」
「そ、それは一体、どういう意味で……?」
「私と識がずっと幼なじみでいられたらって意味だよ。すごく居心地いい関係だもん」
「このまま付き合っても、全然問題ないと思うけど。識もそうしたいよね?」
「いやいやいやいや。三倍速のジェットコースターみたいな展開やめろよ」
多分、最高速ランキング上位のスーパーカーくらい。冷静に乗り物として考えると、そんなに速くはなかった。
(何だよそれ。まるで俺たちがゆっくり関係を築いてきたとでも言いたいのか!)
「ふふっ、識の変なツッコミだ。変わってて面白いな」
「やめろ! 出来の悪いツッコミを肯定されると、逆に虚しくなってくるからな!」
「えー、面白いけど。識って存在自体が面白いから」
「なんだそのバカにされてるような、全肯定されてるかのような発言は……」
「秘密。一体、どっちだろうね」
没個性的女子から繰り出された、なぜか挑戦的な眼差し。愛おしく見つめているようでいて、まるで何かを見抜いているかのように──
「なぜそこまで俺に執着するんだ。自分で言うのも何だが、大して良いところもなければ、イケメンという訳でもない」
「いくら人を好きになることに理由なんていらないという態度だとしても、逆に理不尽さを感じてしまう!」
「私が一番最初に出会った男の子だからだよ」
「おいおい、俺たちは人間だぞ。まさかアヒルじゃないんだから」
(インプリンティング。プ●レールですら親となれる世界)
「……ふざけてないよ。私、真剣だもん」
「私にとっての男の子は、世界で識一人だけだから」
隣を歩く唯との距離が縮まる。おそらく好かれているとは思うのだが、だいぶイカれているとも同時に思う。
(毛穴も縮まってるぜ!)
「なんかね、変な臭いがするの。透明な臭いなんだけど、クソみたいな女の臭いがする」
「私にとっての男の子は識一人なのに、識にとっての女の子は私一人じゃないのかも」
「そ、そんなことはないよ。大体、俺たち別に付き合ってないだろ?」
「ううん、将来と今がたまたま逆転してるだけだよ。未来では付き合ってるんだけど、現在は付き合い方がちょっとだけ違ってるだけ……」
(どこまで婉曲的に事実を捻じ曲げようとしてんだ!)
唯がそうだよね、と同意を求めるように、微笑んでいたが、俺がそれに同意することはなかったのだった。




