第四話 牛丼と紅生姜
指先が、まだじんと痛んでいた。
石を打ち、木を削り、歪みを直す。
日が沈んでからの作業は、集中力を削る。終わる頃には、頭も体も空っぽになるのが常だった。
城下町の夜は早い。
灯りの落ちた通りを歩きながら、俺は半ば惰性で足を前に出していた。
(宿に戻っても、乾いたパンだけだな)
それが分かっているから、歩く速度も自然と遅くなる。
そのときだった。
赤と黄色の光が、視界の端を引っかいた。
(……妙だな)
派手すぎる。
酒場でも宿でもない。
けれど、嫌な感じはしなかった。
建物は見慣れない形をしているのに、妙に整っている。
窓から漏れる光は強く、夜の闇を押し返していた。
気づけば、足が向いていた。
扉を押すと、小さな音が鳴り、同時に声が響く。
「いらっしゃいませー」
張りがあって、どこか軽い声。
仕事帰りの耳には、不思議と心地よかった。
店内は明るく、清潔だった。
席ごとに据え付けられた板のようなものが目に入るが、使い方は分からない。壁には文字と絵が並んでいるが、読めない。
(……どうする店なんだ、ここは)
戸惑っていると、店主が何も言わずに杯を差し出してきた。
茶色がかった杯。
中の液体は透明だが、照明のせいで色が判別できない。
(……水、か?)
店で水を出すなど聞いたことがない。
しかも、黙って差し出すとは。
一瞬ためらったが、喉の渇きが背中を押した。
恐る恐る口をつける。
水か、茶かは分からない。
だが、冷たすぎず、喉を刺激しない。
(……悪くない)
杯を置き、店内を見回す。
そして店主に声をかけた。
「ここで、一番よく出る料理は何だ?」
店主は即座に答えた。
「牛丼ですね」
聞き慣れない名前だったが、不思議と引っかからなかった。
「……早く出るか?」
「はい。すぐ出ますよ」
それならいい。
「じゃあ、それを」
店主はうなずき、奥へ下がる。
待つ、という感覚がなかった。
ほんの一息ついたと思った次の瞬間、目の前に丼が置かれた。
「……は?」
思わず声が漏れる。
早い。
あまりにも早すぎる。
白い飯の上に、肉と玉ねぎ。
湯気と香りが、空っぽだった腹を一気に刺激する。
卓の端には、赤い細切りの何かが容器に入って置かれていた。
薬味だろうか。触らずに、まずはそのまま一口。
――噛んだ瞬間、理解した。
これは、仕事の後に食うための飯だ。
濃すぎない味。
だが、芯がある。
噛むほどに、体の奥に熱が溜まっていく。
(……いい)
ふと、赤い細切りを思い出し、少しだけ乗せてみる。
酸味と刺激が加わり、口の中が一気に目を覚ます。
(なるほど……)
無言で食べ進め、気づけば丼は空になっていた。
「……ごちそうさま」
そう言ってから、ようやく思い出す。
「代金は?」
「牛丼並盛、四百五十イェンです」
安い。
即座にそう思った。
金を渡すと、店主は慣れた手つきで受け取る。
店を出ると、夜風が頬を打った。
腹は重い。
だが、嫌な重さじゃない。
(……また来るな)
理由は単純だった。
仕事のあと、考えなくていい飯が、ここにはある。
それだけで十分だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
牛丼、焼きそば、お好み焼き、濃い味には紅生姜のさっぱりさが欲しくなります。
紅生姜を入れる量も人によって違うところも、また面白いですよね。
また次回も読んでいただけると嬉しいです。




