第二十五話 うな丼②
けれど、いくら探しても魚料理らしきものが見当たらない。
おかしい。
私の鼻――とくに魚の匂いを嗅ぎ分ける精度は、この国一だと自負している。
港町でも、市場でも、干物の山の中でも、私は必ず“いい魚”を見つけてきた。
仕方なく、店主を呼ぶ。
「すまないが、この店に魚料理はあるかい?」
少しも迷わず、店主は答えた。
「あぁ、でしたら、うな丼ですね」
――うな丼?
聞いたことがない。
魚料理であることは分かるが、その名は、私の記憶のどこにも引っかからなかった。
だが、店の前で感じた、あの匂い。
肉の香ばしさに混じった、確かな魚の脂の気配。
もしあれが、この“うな丼”という料理なら――。
「それなら、それを一つもらおうか」
「承知しました。しばらくお待ちください」
そう言って、店主は厨房へと戻っていった。
うな丼。
うな丼。
うな丼。
何度頭の中で転がしてみても、やはり知らない。
まだ私の足が届いていない、遠い国の料理なのだろうか。
壁に貼られた料理の絵の横には、見たことのない文字が並んでいる。
数多の国を渡り歩いてきたが、あんな文字体系は初めてだ。
……嫌な予感がする。
以前の失敗が、胸の奥で顔を出す。
――また、あの時の二の舞だったらどうする。
そう思った瞬間、店主が料理を運んできた。
「お待たせしました。うな丼です」
目の前に置かれた瞬間、香ばしい匂いが一気に鼻を抜けた。
焼かれた魚の脂。
甘く、深く、力強い香り。
その下にある白い穀物の湯気が、すべてを優しく受け止めている。
……間違いない。
これは、極上の魚だ。
スプーンを取り、恐る恐る一口。
――衝撃だった。
皮目の香ばしさと、身の柔らかさ。
脂は重くなく、舌の上でほどけるように広がる。
甘辛いタレが魚の旨味を引き立て、白い穀物がすべてをまとめ上げている。
肉ではない。
だが、満足感は肉以上だ。
二口、三口と進むたび、驚きが確信へと変わっていく。
これは焼き魚でも、煮魚でもない。
魚という素材を、別の次元へ押し上げた料理だ。
そして、改めて、目の前の丼を見下し、分析をしてみる。
まず、魚の鮮度。
これは一口食べれば分かる。
臭みが一切ない。焼かれているにも関わらず、身の奥に水気が残っている。
つまり、焼く直前まで生きの良い状態で管理されていたか、もしくはそれに限りなく近い保存技術がある。
魚というものは正直だ。
誤魔化しが利かない。
少しでも鮮度が落ちれば、脂は濁り、舌に嫌な重さを残す。
だが、この“うな”は違う。脂が澄んでいる。
良い取引先の魚だけが持つ、あの感触だ。
次に、タレ。
これが異常だ。
甘い。
だが、ただの甘さではない。
奥に塩気があり、さらにその奥に、言葉にしづらい深みがある。
おそらく、一度作って終わりではない。
継ぎ足し。
長い年月をかけて、魚の旨味と時間を溜め込んできた味だ。
このタレは、金で買えない。
真似もできない。
店と共に育った“資産”だ。
そして、白い穀物。
正直に言おう。
私は、この国の穀物を軽く見ていた。
だが、この白い粒は違う。
一粒一粒が立っている。
水分を含みすぎず、しかし乾いてもいない。
タレを吸い込みすぎず、だが拒まない。
魚とタレの間に立ち、すべてを受け止める調停役。
これがなければ、この料理は完成しない。
魚、タレ、穀物。
三つがそれぞれ主張しながら、誰も出しゃばらない。
……恐ろしい完成度だ。
もし、この料理を売り物として考えるなら。
素材の仕入れ、保存、調理、継続的な味の維持。
どれ一つ欠けても成り立たない。
だが、この店はそれを、夜に、静かに、当たり前のように出している。
商人として、思わず笑ってしまった。
これはもう、料理ではない。
一つの完成された商品だ。
そして、こういう商品を出せる国は――
決して侮ってはいけない。
きがつけば、丼は空になっていた。
底に残っていたのは、タレの名残と、わずかな香りだけ。
名残惜しく、白い穀物を一粒すくって口に入れる。
それでも、もうあの魚は戻ってこない。
私は深く息を吐き、勘定を頼んだ。
「お会計を」
「うな丼並盛で、九百八十イェンになります」
硬貨を置きながら、私は一瞬、迷った。
だが、このまま帰るわけにはいかない。
「……店主」
呼び止めると、彼はいつもの穏やかな顔でこちらを見る。
「この魚は、何と言う魚だろうか」
「ああ、これは――うなぎと言います」
胸の奥で、何かが弾けた。
「うなぎ……。では、その魚はどこで取れる?」
「うーん、そうですね。この辺りでは取れないと思います」
その瞬間、頭の中で商売の算盤が弾け飛んだ。
「では一体どこで――!」
声が大きくなり、途中で言葉が止まる。
……何をしている。
こんなにも完成された料理だ。
その素材の入手先など、初めて訪れた客に教えるはずがない。
ましてや、商人の目をして詰め寄ったところで、警戒されるだけだ。
私は小さく咳払いをし、視線を落とした。
「……いや、すまなかった。少し、熱くなってしまった」
店主は困ったように、だがどこか楽しそうに笑った。
「いえ、お気になさらず」
その笑顔を見て、確信する。
――この店は、奪う場所ではない。通う場所だ。
「また、この店に来るよ」
そう告げて席を立つ。
店を出ると、夜の空気がひんやりと頬を撫でた。
だが胸の内は、不思議なほど温かい。
この国を去るつもりだった。
王は倹約家で、食は質素。
魚は干物ばかりで、新しい商いの芽も見当たらない。
そう判断していたはずだった。
だが、やめた。
商いは、一度きりの取引で結論を出すものではない。
ましてや、値段すらつけられない料理に出会ってしまった以上、なおさらだ。
あの魚。
あのタレ。
あの白い穀物。
どれも単体ではある程度説明がつく。
だが、組み合わさった瞬間に、理屈を超える価値が生まれていた。
あれは偶然か。
それとも、必然か。
それを確かめずに国を出るほど、私は安い商人ではない。
今夜は宿を取ろう。
そして、またあの店に行く。
次は、別の料理を食べるために。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
うなぎのタレがかかったご飯って、なんであんなに美味しいのでしょうか。
この商人さんが、この国に残ったことで、どんな影響が出てくるのでしょうか。
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