第二十四話 うな丼①
私は、この国でも指折りの大商人である。少なくともそう自負している。
幾つもの国を渡り歩き、金と品を動かし、人の腹と欲を見続けてきた男である。
だが――肉だけは、どうしても好きになれなかった。
脂の重さ、噛み締めたときに広がる獣の主張。舌が拒むのだ。
対して魚は違う。海の恵みは裏切らない。焼いても、煮ても、干しても、土地の色が出る。
それだけに、この国の食は退屈だった。
魚といえば干物ばかり。保存のため、効率のため、味は二の次。
王は倹約家で、豪奢な宴を好まない。
どれほど珍しい品を持ち込んでも、財布の紐は固いままだった。
唯一売れたのは、一つの包みで何度も茶を淹れられる葉。
それだけだ。
――もう、この国に用はない。
今夜のうちに出る。
そう決めていた。
だが、腹は正直だった。
空腹だけは、金でも理屈でも誤魔化せない。
この国には、夜に店を開ける文化がない。
日が落ちれば、人も火も眠る。
それが、この国の「正しさ」なのだろう。
そんな中で、商いの噂話として、ひとつだけ耳にしたことがあった。
夜にだけ、ひっそりと開いている店がある。
妙な料理を出すが――不思議と、美味いらしい。
最後くらいは、うまいものを食ってから出ていくか。
どうせ大したことはないだろうが。
記憶の中の噂を頼りに、男は夜道を歩き、やがて一軒の店の前に立った。
見慣れぬ外装。
だが、鼻をくすぐる匂いに、思わず眉をひそめる。
肉の匂いだ。
反射的に顔をしかめかけて――男は、はっとする。
その奥に、確かに別の香りがある。
甘く、澄んだ、火を通した魚の匂い。
誤魔化しは利かない。
魚を見て、売って、食ってきた自分の鼻が、そう告げている。
これは、うまい魚だ。
扉を開けると、店内には客がそこそこいた。
だが騒がしさはなく、それぞれが黙々と、自分の料理に向き合っている。
「いらっしゃいませ」
店主の声が、静かに響く。
二人組の客もいるが、会話はほとんどない。
ただ、食べることに集中している。そんな空気だった。
促されるまま、空いている席に腰を下ろす。
するとすぐ、目の前に茶色いコップが置かれた。
――サービスか。
まあいい。金はある。
だが、手に取った瞬間、違和感が走る。
軽い。
指で軽く叩くと、コンコンと乾いた音がした。
ガラスではない。
素材が分からないほど軽く、しかも割れそうにない。
これは――売れる。
長年の直感が、そう告げた。
コップの中には液体が入っている。
色は、コップのせいで分からない。匂いもほとんどない。
一口、口に含む。
美味い。
あっさりとしているのに、雑味がない。
喉を通ったあと、何も残らない心地よさ。
これは、何杯でも飲める。
商人は、静かにコップを置いた。
そして初めて、この店で――期待というものを、ほんの少しだけ抱いた。
さて、何を食べるか。
できれば魚料理がいい。
そう思った直後、自分でも少し可笑しくなる。
あの匂いだ。店の外で嗅いだ、あの香り。
どう考えても、この店には魚料理がある。
しかも、生半可なものではないはずだ。
店内をあらためて見回すと、壁にいくつもの料理の絵が飾られているのに気づいた。
なるほど。
文字が読めなくとも、絵で料理を示すことで、客に想像させ、購買意欲を高める。
実に理にかなっている。
何より分かりやすい。
たとえ文字が読めたとしても、料理の姿が想像できなければ、その一食には“賭け”が生じる。
豊かではない人間にとって、外食で食べる一食は軽いものではない。
腹を満たすだけでなく、金と期待を同時に差し出す行為だ。
思い出す。
以前、別の国で料理を頼んだことがあった。
なまじ、その国の言葉を少し理解していたせいで、余計な見栄を張った。
店員に現地語で注文し、通ぶった顔までしてみせた。
――結果は、最悪だった。
皿の上に乗っていた料理は、味も匂いも見た目も酷く、
二度と口にしたくないどころか、思い出すことすら避けたい代物だった。
だが、ここでは違う。
料理の絵があるだけで、そのような無用な危険を負わずに済む。
素晴らしい。
本当に、素晴らしい発想だ。
商人として、心から感心した。
次に自分が商いをする時は、商品を絵にして見せるのもいいかもしれない。
言葉よりも早く、価値を伝えられる。
商売とは、結局そういうものだ。
――さて。
絵の中の料理を一つ一つ眺めながら、
商人は、次に自分が何を選ぶのかを、静かに考え始めた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
まさかのうな丼登場せず。
次話で登場させます。。。
また、読んでいただければ嬉しいです。
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