表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

第二十三話 カレー②

二口目を口に運ぶ。


 一口目よりも、ゆっくりと味わった。

 舌の上で転がし、すぐには飲み込まない。


 やはり、ただ辛いだけではない。

 鼻の奥に抜ける香り、喉に残る熱、そしてわずかに甘い余韻。

 それぞれが主張しているのに、不思議とぶつからない。


 知っている香りが、いくつもある。

 だが、その名前がどうしても思い出せない。

 幼い頃、故郷の市場の裏で嗅いだ匂い。

 母が鍋をかき混ぜるたびに、立ち上っていた香り。

 確かにそこにあったはずなのに、記憶の中では輪郭が曖昧だ。


 それでも分かる。

 これは偶然ではない。


 この料理には、たくさんの香辛料が使われている。

 それぞれが複雑に絡み合い、この異常な美味さにつながっている。

 何度も配合を変え、失敗し、捨て、また作り直した末に辿り着いた味だ。


 この一皿に至るまで、どれほどの時間と金が費やされたのだろう。

 考えただけで、自然と背筋が伸びた。


 ある意味、香辛料の世界における一つの完成形を味わっている。

 そんな気分にさえなる。


 食べ進めるごとに、辛さが身体の奥へ染み渡ってくる。

 喉から腹へ、そして指先まで、じわじわと広がる熱。


 ――そう、この感覚だ。


 自分が生きるには、この感覚が必要なのだ。

 汗をかき、息が少し荒くなり、それでもスプーンを止められない。

 辛さは苦しさではなく、確かな実感としてそこにあった。


 途中で、水を一口飲む。

 口の中を整えるため、という理由だけではない。


 このまま食べ続けたら、胸の奥に溜め込んでいたものまで、

 一緒に溢れてしまいそうだった。

 鼻の奥が、少しだけつんとする。


 水は冷たく、無味だった。

 だが、その無味さが、今はありがたい。

 感情を一度、まっさらに戻してくれる。


 そして、もう一度スプーンを取る。


 ふと、カレーとご飯の境目にある、

 茶色い野菜のようなものに目が止まった。


 スプーンで掬い、口に運ぶ。


 ……うまい。

 さっぱりしていて、カレーの濃い後味と驚くほど合う。


 なるほど。

 これは牛丼で言う、紅生姜のようなものか。


 強い味の合間に挟むことで、口の中を整え、

 次の一口をまた新鮮にしてくれる。

 これがあれば、いくらでも食べられる気がした。


 スプーンは止まらなかった。

 気づけば、皿の中身はみるみる減っていく。


 食べ進めるほどに、遠い故郷へ帰れている気がした。

 この料理は、確かに私の故郷と繋がっている。


 空になった皿を見下ろした時、

 そこには、笑顔の母と妹の顔が浮かんだ気がした。


 ――こっちは元気だよ。

 ――あなたは、あなたのやるべきことを全うしなさい。


 母に、そう言われた気がした。


 そうだ。

 私には、まだ故郷へ帰れない理由がある。


 それが成されるまで、どれほど寂しくても、

 この国で生きていくと誓ったのだ。


 残った水を飲み干し、立ち上がる。

 会計をするため、カウンターの方へ向いた。


 「カレー並盛で、四百九十イェンです」


 安い。

 あれだけの香辛料と、人の叡智を集めた料理が、

 本当にこの値段でいいのかと思ってしまう。


 硬貨で支払いをすませる。


 そのあと、立ち去る前に、私は一度だけ店主の方を見た。

 声をかけるつもりはなかった。


 なぜこの人が、これほどの香辛料を扱えるのか。

 なぜこの国で、これほどの料理を出せるのか。

 疑問はいくつも浮かんだが、どれも口にはしない。


 ただ一つ確かなのは、

 ここが、私を故郷へ連れて行ってくれる場所だということだけだ。


 店を出て、空を見上げる。

 夜空は暗く、どこまでも続いている。

 一瞬、飲み込まれそうになる。


 それでも、私は前を向いて生きていかなければならない。

 故郷への想いを、胸に抱いたまま。


 どれだけ辛くても、耐えられる気がした。

 あの料理が、いつでも故郷へと連れて行ってくれるのだから。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


この人がこの国で成すべきこととは一体何なのでしょうか。


気になって夜しか眠れません。


続きが気になる方は、ブックマークをいただけると励みになります。

また、読んでいただけたら嬉しいです。


毎日7時/19時投稿予定です✨


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ