第二十二話 カレー①
今日も仕事を終え、帰路につきながら、私は故郷に残してきた家族のことを思い出していた。
この国での暮らしにも慣れたはずなのに、夜になると決まって胸の奥がひりつく。
だから私は、あの店へ向かう。
この国で、唯一、故郷を感じられる場所。
最近はキムチ牛丼だけでなく、高菜明太マヨ牛丼にもすっかりハマってしまった。あの舌に残る辛さが、遠い国の食卓を思い出させてくれるからだ。
今日はどんな辛い牛丼にしようか。
七味を多めに振るのもいいし、思い切って両方を組み合わせるのも悪くない。
そんなことを考えながら歩いていると、店の前で足が止まった。
――匂いだ。
どこか懐かしく、胸の奥を強く揺さぶる香り。
間違いない。これは、私の故郷で使われていた香辛料の匂いだ。
考えるより早く、私は勢いよく扉を開けていた。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、その正体が分かった。
テーブル席に、少し身なりの汚れた獣人の兄妹が座っている。二人で一つの、茶色いスープのような料理を分け合いながら、夢中で口に運んでいた。
――あれだ。
あの料理から、確かに故郷の香りが立ち上っている。
私は急いで席に着いた。
選ぶのは、いつもの場所。カウンターの、ど真ん中だ。
私の故郷では、偉い人間ほど中央に座る。
この席に座ると、少しだけ偉くなった気分になれるのが好きだった。
この国の人々は、なぜか端の席を好む。皆が端へ端へと寄っていく様子を見るのは、密かな楽しみでもある。おかげで、真ん中の席はいつも空いている。
だが、そんなことは今どうでもよかった。
さっきから、あの匂いのせいで、涙が溢れそうになっている。
私は店主に声をかけた。
「……あの二人が食べているものと、同じものをください」
すると店主は、少しだけ口元を緩めた。
「カレーですね。少々お待ちください」
そう言って、厨房へと姿を消す。
それからの時間が、ひどく長く感じられた。
私は落ち着きなく、何度も視線を獣人の兄妹へ向けてしまう。スプーンを動かすたびに立ち上る香りに、胸が締め付けられる。
側から見れば、不審者だろう。
だが、そんなことを気にしていられる状況ではなかった。
二分か、三分か。
永遠にも思えた時間の末、ようやく料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。カレーです」
目の前に置かれた瞬間、香辛料の香りが一気に広がる。
懐かしく、温かく、胸の奥に深く染み込んでくる匂い。
私はスプーンを取り、震える手で口へ運んだ。
――その瞬間。
私は、故郷にいた。
母が手を振り、私の帰りを迎えている。
以前より皺は増え、腰も曲がり、ずいぶん歳を取ったように見えた。
思わず抱きつく。
母の身体に染みついた香辛料の匂いが、ひどく心地よかった。
遠くから、妹が走ってくる。
背も伸び、髪も長くなり、大人びた姿。昔のお転婆な面影は薄れていたが、間違いなく私の妹だった。
――ああ。
私の帰る場所は、やはりこの国なのだ。
「……にい……おにい……」
誰かが私を呼ぶ。
「お兄さんってば!!」
その声で、我に返った。
目の前に立っていたのは、さきほどの獣人の女の子だった。
頬を少し膨らませ、腕を組み、少しだけ怒った顔をしている。
「お兄さん! せっかくのカレーが冷めちゃうよ!
ここのカレーは、あったかいほうが美味しいんだから!」
「こら、ミミ。他のお客さんが食べてるところを邪魔しないの」
慌てて兄が妹を制する。
「だって……せっかくのカレーなのに……」
しょんぼりと俯くその姿が、妹と重なって見えた。
「ごめんね。少し考え事をしてしまって」
「教えてくれてありがとう。おかげで、温かくて美味しいカレーが食べられそうだよ」
そう言うと、女の子の顔がぱっと明るくなる。
「うん! ここのカレー、すっごく美味しいんだからね!
もし残したら、私が食べてあげる!」
「……ほら、ミミ。席に戻るよ」
二人はそう言って、自分たちの席へ戻っていった。
私はもう一度、スプーンを握り直す。
湯気の立つカレーを見つめながら、静かに息を吐いた。
――冷める前に、食べよう
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
特定の匂いが、その人の記憶を呼び起こすことはよくある気がします。
皆さんの思い出の匂いはどんな匂いですか?
今回も一話に収めるには少し長いため、二話に分けています。
次回も読んでいただけたら嬉しいです。
※毎日7時/19時投稿予定です✨




