【9話】「花街の夜、密やかな契約」
聖都の夜は、昼の荘厳さから一転して別の表情を見せた。
白亜の尖塔が闇に浮かぶ中、花街と呼ばれる一帯は赤や金の灯りに包まれている。
楽師の弦の音、踊り子の笑い声、香辛料と酒の匂い――人々の欲と熱が渦を巻いていた。
「……こういうところは慣れないな」
ユウは思わず視線を逸らした。
ガロンが肩を叩いて豪快に笑う。
「戦場も街も両方知らなきゃ一人前じゃねぇ」
リゼは耳をぴくりと動かし、辺りを観察している。
「賑やかだが、不自然な視線もある。油断するな」
「さすが獣人。鼻も耳も頼りになるな」ユウが感心すると、彼女は少し照れたように顔を背けた。
「本当にここで情報が?」
ノエルが訝しげに問いかける。
ミリアは頷いた。
「信頼できる伝手よ。ただ、あまり表に出せない話を扱っているから……」
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裏路地にひっそりと佇む料亭。暖簾をくぐると香の濃い匂いが鼻を打つ。
小さな座敷に案内されると、すでに一人の男が待っていた。
狐の面をかぶり、痩せた体を緋の外套で包んでいる。
その声は年齢も感情も掴めない、奇妙に滑らかなものだった。
「遠いところをようこそ、〈銀百合〉の皆様」
「……私たちを知っているのね」ミリアが声を落とす。
「当然だ。聖都に来た英雄の噂はすぐに広まる。特に――新顔の剣士」
男の視線がユウに注がれた。狐面越しでも鋭い光が感じられる。
「欲しいのは“勇者追放”の真相、そうだな?」
「……!」ユウは身を乗り出した。
「なぜそれを」
「こちらの仕事は秘密を嗅ぎ取ることだ。代価を払えば真実を語ろう」
ミリアが金貨の入った袋を差し出すと、男は軽く揺すり、満足げに頷いた。
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「勇者が追放される理由なんて、難しく考える必要はない」
狐面は静かに告げた。
「弱くて、無能だからだ。ただそれだけ。力が足りず、仲間の足を引っ張り、役に立たない。だから切られる。冒険者の世界は情け容赦がない」
ユウの胸がちくりと痛む。
「……弱く、無能だから……追放」
「その通りだ。強ければ追放はされない。生き残るのは、常に役立つ者だけ」
リゼが低く唸った。
「つまり、陰謀とか裁定とかじゃなく、ただ現場の判断ってことか」
「察しが良い。仲間にとって不要な者は切り捨てられる――それが冒険者の常だ」
ユウは拳を握りしめ、胸の奥で言葉を反芻する。
(弱いから追放される……なら、強くなればいい。努力し続ければ絶対に追放されない)
狐面は袋を懐にしまい、煙のように立ち上がった。
「以上だ。――均衡だの運命だのと騒ぐ者もいるが、結局は単純なこと。役に立たぬ者は捨てられる」
そう言い残し、姿を消した。
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残されたのは、重い沈黙。
ミリアが口を開いた。
「ユウ。今の話をどう受け止めるかはあなた次第。でも、私たちはあなたを仲間として信じてる」
「……ありがとう」
ユウは小さく笑った。
「俺は無能にならない。強くなって、みんなの力になる。追放なんて絶対されない」
ガロンが腹を抱えて笑い、背中を叩く。
「ははっ! そう来なくちゃな!」
リゼは短く「悪くない」と呟き、ノエルは眼鏡を直しながら微笑んだ。
「その意気は買うわ。ただし、強くなるだけじゃなく、冷静さも忘れないでね」
仲間たちの言葉が、ユウの胸を熱くした。
(俺は強くなる。絶対に、追放なんてされない)
花街のざわめきは続いている。
その喧騒の向こうで、月が聖都を静かに照らしていた。
――次回、「黒鉄の塔、潜入」