【2話】「山岳剣聖のもとで」
山は息をしていた。
夜明け前、斜面の草が吐く白い息が、靄となって足首を撫でる。
ユウはその中で、ただ黙々と木剣を振っていた。
「踏みを百、蹴りを百、素振りを千。数は嘘をつかん」
「……千って、冗談ですよね?」
「足りぬなら一万でもよいぞ」
山岳剣聖サザンカは、眉ひとつ動かさない。
ユウは小さく息を吐き、木剣を握り直す。腕の筋肉がしなやかに反応し、驚くほど軽く剣が振れた。
(やっぱり、前の体と全然違う……!)
日本にいた頃の自分なら、十回振っただけで肩が張っていたはずだ。今は腕の内側にしなるような強さがある。肺もよく働き、酸素が体の隅まで巡っていく感覚が鮮やかだ。
「止まるな。呼吸を刃に通せ」
サザンカの声が背を押す。
振る、振る、ただひたすらに振る。
汗が眼に落ち、腕が痺れ、足は土と同化するように重くなっても、体はまだ動けた。
昼には丸太を担ぎ、夕刻には斜面を駆け下りる。
そして夜は座学。戦場の地形、合図、分隊の陣形――どれも前世ではゲームでしか見なかった知識だ。だが、現実の戦場は数字では測れない。
「挑発が敵の目を寄せ、斥候が背を噛み、術士が道を塞ぐ。最後に、お主が穿つ」
「……俺の出番は最後なんですね」
「矢は早すぎても遅すぎても外れる。仲間の動きで風を読むのだ」
サザンカは石畳に小枝を並べ、陣形を描く。
ユウは頷きながら、その配置を目に焼きつけた。
前世では、チーム戦は苦手だった。自分のペースを崩すのが嫌で、いつも孤立していた。
だがこの世界では、合わせなければ生き残れない。
翌朝、サザンカがふいに山の端を指す。
「見えるか、あれが聖都の塔だ。人は塔を作り、天に届くふりをする。だが、天は振り向かん。だから互いを支え合う。……お主はその支え方を覚えねばならん」
「はい」
珍しく、祝いの酒が出た夜。
「お主の魔力回路が整った。明日からは“気”を剣に通す」
ユウは喜びと同時に、胸が高鳴った。
翌朝。呼吸と歩法を重ね、丹田に熱を溜め、木剣の先に細い糸のような圧を伸ばす。
切っ先が重くなり、狙った場所へ吸い込まれるように動く。
「それが“通す”だ。派手ではない。だが、敵の意志を鈍らせる」
試しに庭の丸太を突くと、中身がぐらりと揺れた。
これが、隊の一撃になるのかもしれない。
その夜、サザンカが告げる。
「ギルドの迎えが来た。山で教えることはもうない。後は街で覚えろ」
短い別れ。老人は木剣を差し出す。
「折れても握りを忘れるな」
「はい……ありがとうございました」
山道を下る足取りは軽かった。体は鍛えられ、感覚は研ぎ澄まされている。
街へ――人の渦へ――隊の剣を実戦で試すために。
(次は、仲間の中で戦う番だ)
その頃、街の掲示板には新しい依頼が貼られていた。
――〈灰鼠の洞窟〉救援、先行パーティ消息不明。
それは、ユウの冒険者としての第一歩になる任務だった。
」
――次回、「初依頼、灰鼠の洞窟




