【10話】「黒鉄の塔、潜入」
聖都の外れ、鐘楼の陰をなぞるように並ぶ工房街。夜更けの空気は冷たく、鉄と油の匂いが鼻腔に留まった。
その中心に、煤で黒ずんだ塔が一本、空を突いている。人々は畏れと軽蔑を込めて、そこをこう呼んだ――〈黒鉄の塔〉。
「見張りは四交代、鐘の刻に合わせて歩哨のルートが変わる」
リゼが屋根の上に伏せ、耳をぴくりと動かす。猫のような瞳が、闇の中の微かな気配を捉えていた。
「西面の排煙口からなら入れる。けど、熱風が厄介だよ」
「熱は私が処理するわ」
ノエルが指先で符を描き、結晶の薄膜を空中に生み出す。「一時的な冷却障壁。長くは持たないけど、十分に通れる」
「正面の扉は俺が止める。追って来たら、ここで時間を稼ぐ」
ガロンが巨盾を背から降ろし、金具を確かめる。寡黙な眼差しは、いつでも壁になる覚悟を告げていた。
「目的は三つ」
ミリアが囁く。「強化獣の証拠の回収、内部告発者の保護、それに……無駄な血の匂いを増やさないこと」
ユウは頷いた。
「了解。突っ走らない。必要な一撃だけで通す」
“弱く無能な者は切られる”。それがこの世界の、残酷なまでに単純な理屈だ。
だからこそ――ユウは強くあろうとした。無駄なく、冷静に、仲間のために。
「行くよ」
リゼの合図で、五つの影が屋根から屋根へ、夜の裂け目を縫うように滑っていく。
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排煙口の格子は、煤で黒く固まっていた。
ノエルが囁く。「三、二、一――」
冷たい霧が格子にまとわりつき、金属の鳴きが一瞬だけ止む。リゼの細い刃が差し込み、音もなく留め具が外れた。
熱が頬を撫でる。ユウが先に滑り込み、片膝で着地。
足元は鉄の桟橋、下には巨大な炉と無数の作業台。赤い火の河がどろどろと流れ、吊られた鎖が低く唸っている。
塔の内部は、祈りとは無縁の音で満ちていた。
焼ける、溶ける、削られる――金属の悲鳴。
そして、もっと嫌な匂いがする。薬品と獣の、生温い臭気。
(……間違いない。ここだ)
階下へ降りると、硝子の槽が並ぶ部屋に出た。
液体の中で、狼に似た影が胎児のように丸まり、胸元には銀の欠片が刺さっている。
ユウは槽に顔を寄せ、刻印を確認した。
「“聖刻片”……峠で見つけたのと同じだ」
「教会の印があるわね」ノエルが淡々と写本を回し、図面を写し取っていく。
「証拠としては十分。ただ、騒ぎを起こすと全部焼かれるかもしれない。急ぎましょう」
リゼが指で合図する。向こうに気配。
ユウは柱の影に身を寄せ、歩哨の足取りを読む――重心の置き方、靴音の間隔。
男が角を曲がる直前、ユウは一歩遅らせて出て、柄の尻で鳩尾を軽く突いた。短い息が漏れ、男は音もなく崩れる。
「眠ってもらうだけだ」
拘束と猿轡を手早く施し、彼らは先へ進む。
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階段を下りきった先は、鋼の匂いが一段と濃かった。
そこだけ空気が沈んでいる。
広い整備場――中央に立っていたのは、人が入るに足る黒鉄の甲冑だ。
全身を包む関節が鎖状に編まれ、胸に大きな符が嵌め込まれている。
「魔導鎧の試作機……?」
ノエルが吐息を漏らす。「嫌な形ね。乗り手に増幅をかけるタイプ。制御が甘いと、操られる」
ミリアが眉根を寄せ、周囲を見渡す。
「内部告発者は、この階のどこかに拘束されているはず」
薄闇の向こうから、かすれた声がした。
「……こっち……誰か……」
駆け寄ると、細身の女性が鉄格子の中に座り込んでいた。
煤で汚れた白衣、痩せた頬。だが瞳の奥には、折れていない光がある。
「あなたが、連絡をくれた“工房のねずみ”?」
ミリアが鍵穴に触れ、祈りの言葉を紡ぐ。光が走り、錠前が静かに開いた。
「わたしはサーラ。工匠長の徒弟……だった。造ってはいけないものを、造っている。止めたかった。でも」
彼女の指先が震え、奥の整備場を指す。「図面と帳簿は机の中、刻印板は祭壇の下。ここがすべての“核”」
「助けに来た。歩けるか」
ユウが肩を貸すと、サーラはこくりと頷いた。
「……ありがとう」
ノエルが机から帳簿と図面をかき集め、リゼが祭壇の敷板を外す。
そこには黒い石板が鎮座しており、幾何学の線が蜘蛛の巣のように刻まれていた。
「これが“刻印板”。聖刻片に命令を記す基板よ」
ノエルの声には怒りが混じっていた。「獣を“便利な部品”にするための言葉が、ここに全部ある」
「持ち出す。逃げ道は?」
ユウの問いに、サーラが震える指で壁の鏡を示す。「整備用のシュート。下水に繋がる。だけど――」
そのとき、金属が噛み合う音が室内に満ちた。
黒鉄の甲冑――魔導鎧が、音もなく首を巡らせる。胸の符が薄く光った。
「目覚めた……?」
リゼが矢をつがえる。
「警戒陣形。ミリア、サーラを」ノエルの声が早口になる。「あれ、乗り手がいない。自律制御に切り替わった」
魔導鎧が一歩踏み出す。床が震え、鎖の関節が重く軋む。
ガロンが前に出て、盾を構えた。
「来い」
金属の拳が盾にめり込み、火花が飛ぶ。
衝撃波が四方に走る。ユウは横に回り込み、膝関節の隙を狙った。
踏み込み――半歩、遅らせる。
関節が荷重で沈む瞬間、切っ先に通した魔力を流し込む。
内部で鈍い音が鳴り、鎧の脚ががくりと折れた。
「今だ!」
リゼの矢が胸の符を割り、ノエルの氷槍が肩の継ぎ目を凍らせる。
ガロンが盾で全体をひしゃげるように押し込み、ユウがもう一撃、膝裏へ突きを通した。
鉄の巨体が崩れ落ちる。耳の奥で鐘のような残響が小さく響き、やがて静寂が戻った。
「……ふぅ」
ミリアが息を吐く。「脱出する。証拠は揃ったわ」
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整備用シュートは、身を滑らせれば人一人が通れる幅だった。
冷たい水と薬品の匂いが混ざる暗渠に降り立ち、リゼが前を行く。
「右。次の分岐で上。外の臭いがする」
背後で鈴のような音が走った。
敵の警報――だが遅い。
ユウは最後尾から振り返り、壁面の小さな金属鐘に木剣の柄を軽く触れた。
遅らせる一撃。鐘の内部で振動が鈍り、音が喉を詰まらせたように止む。
「すごい……そんな使い方も」
サーラが驚愕の目でユウを見る。
「小細工だよ。行こう」
格子の蓋を押し上げると、夜風が頬を撫でた。
五人と一人は、工房街の裏手に身を躍らせ、闇の中へと溶ける。
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宿に戻ると、ノエルはすぐに筆記台を広げた。
図面、帳簿、刻印板――証拠の山が卓上に積みあがる。
サーラは熱いスープを受け取り、震える指をようやく落ち着かせていた。
「……ありがとう。あの塔に残っていたら、わたしはきっと、何もかも見えなくなるところだった」
「あなたが最初に踏んだブレーキよ」
ミリアが微笑む。「勇気がなければ、私たちは何も知らなかった」
ガロンは腕を組み、低く言った。
「これだけの証拠がある。ギルドに提出し、王都にも……いや、聖都の評議にも回すべきだな」
「ただ、正面からぶつかるには段取りが要る」
ノエルが冷静に図面を指す。「明日は大典と闘技祭の前夜祭。人目も多い。こちらに有利」
リゼが窓の外を見て、短く笑う。
「騒ぎが大きいほど、こっちは動きやすいってこと」
ユウは黙って木剣を見つめ、柄を握り直した。
弱く無能な者は切られる――だから、自分は強く、あるべき場所で役に立つ。
それが自分の道だ。
「……明日、動こう」
ユウが顔を上げると、仲間たちが頷いた。
聖都の鐘が遠くで鳴る。新しい日が、また始まる。
――次回、「闘技祭前夜」




