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【1話】「異世界に誓う決意」

白い光の幕が、音もなく世界を塗り替えた。

 最後に見たのは、雨粒で滲む赤信号と、滑るタイヤの軋み――そして、ありえないほど静かな自分の心臓だった。


「……起きたか、小僧」


 低くしゃがれた声にまぶたを開ける。

 木の天井。薬草と煤の匂い。逆光の向こうで、しわだらけの顔が笑っている。背に立てかけられた長剣は、粗い研ぎ傷だらけだった。


 体を起こした拍子に、机の上の水盆が目に入る。

 そこに映ったのは、見慣れぬ青年の顔だった。


 黒に近い深い群青の髪が額で軽く跳ね、瞳はやや明るい灰色。輪郭は引き締まり、鼻筋が通っている。

 肩から腕にかけては無駄な肉が削がれ、しなやかな筋肉が自然な形を作っていた。


(これ……俺か?)


 前の世界の自分は、運動神経がいいわけでもなく、部活も長続きしなかった。髪は平凡な黒で、目元はどこか眠たげ。背丈は平均、体型も少し猫背気味だった。

 それが今では、視線の高さも、体の重心の位置も違う。まるで長年鍛えてきた戦士のような体だ。


 驚きと同時に、胸の奥にじわりと湧く感覚があった。

 これは、きっと武器になる――そんな高揚感。


「ここは……どこですか」

「アルク・レム。名は山岳剣聖サザンカ。お主は道端で倒れておった。心当たりは?」


 ユウト――いや、口から出た声は自分で驚くほど滑らかに異国の言葉を紡いだ。

 目の奥に、長い長い夢の残滓。テレビの向こうで笑いながら言った自分の台詞が蘇る。


『最近のアニメ、勇者が追放され過ぎだろ。俺なら絶対、追放なんてされないけどな』


 強がり。けれどそれは、嘘でもあって真実でもあった。

 ユウは身を起こし、手のひらを握る。骨格も筋肉も、前より軽い。魔力というものがもしあるなら、いま、確かに指先に灯っている。


「助けていただき、ありがとうございます。俺は――ユウ、でいい。ここで生きる。剣を、教えてください」

「よかろう。まずは立て」


 サザンカは容赦がなかった。

 丸太を担いで坂を登り、石段を駆け下り、剣を振るうたび肺が焼けた。握りしめた柄は汗で滑り、土に額を擦りつけても稽古は止まらない。


「ふらつくな。足は地を掴め」

「は、はいっ!」


 夜。かまどの火が小さく爆ぜる。老人は干し肉を炙りながら、ぽつりと言った。


「この国には“勇者候補”の名簿がある。魔の濁流と戦う尖兵じゃ。だがな、強すぎる矛は時に仲間を割る。ゆえに――外される」

「追放……ですか」

「言い方は色々よ。『適性』だの『最適化』だの。便利な言葉は盾にも刃にもなる」


 ユウは火を見た。赤い。あの赤信号の色と重なって、胸の奥が軋む。

 忘れまい。軽口で吐いたあの言葉を、いまこそ誓いに変える。


「……俺は、追放されません。されないだけじゃない。理不尽を、折れるだけ折ってやる」

「ほう、折るか。なら折れぬ鍛えが要る」


 翌朝、剣聖は一本の木剣を渡した。節の多い、重い木。

「お主の剣は速く、強く、そして“仲間のために遅く”もあるべきだ」


 意味が分からず眉をひそめるユウに、サザンカは笑った。


「一人で勝つ剣は、すぐに“余剰”と呼ばれる。仲間が隙を作り、お主が差し込む。遅らせるべきを遅らせ、急がせるべきを急がせる。それが“隊の剣”じゃ」


 ――隊の剣。

 その言葉は、ユウの中で鈍くも確かな手応えを持った。


 数日後、山を下りる。麓の街は活気に満ちていた。斜めに差す陽を受けて、ギルドの看板が金の字を光らせている。


「冒険者ギルドに加入したいんですけど」

「新顔だね。名前は?」

「ユウ。できれば、実戦に出たい」


 受付の少女は目を細め、書類を滑らせた。

「じゃ、登録。最初は雑用から――って顔だね。大丈夫、すぐ戦える依頼もあるよ」


 掲示板には無数の札。巣の掃除、街道パトロール、行方不明者の捜索。

 ユウは、呼吸を整えた。焦るな。積み上げろ。隊の剣を、最初の一歩から。


 その夜、酒場の片隅。老騎士が独りごちる。

「この頃は、強いのは皆すぐに“外”に回される。均しの理屈は分かるがな」


 ユウは杯を置いた。

「じゃあ、外に回されても進めばいい。外だからこそできることもある」


 老騎士は目を丸くし、ふっと笑った。

「若いな。だが、良い目だ」


 雨上がりの街は、灯に濡れていた。

 ユウは空を見上げる。星々が瞬く。そのどこかに、元の世界の続きがあるのかもしれない。だが、もう振り返らない。


(追放されない。されても、止まらない)


 翌朝の依頼掲示板に、新しい紙が貼られた。

 ――〈灰鼠の洞窟〉探索、負傷者救出。難度:中。

 ユウは札を剥がし、受付に差し出した。


「これ、行きます」


 受付の少女が少し驚いて、しかし頷いた。

「気をつけて。先行組が戻らないの。……帰ってきてね、ユウ」


 扉が開く。冷たい朝の匂い。

 隊の剣を握りしめ、ユウは最初の一歩を踏み出した。



――次回、「山岳剣聖のもとで」

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