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懐かしきかなこの世界感

作者: たけやん

何処か懐かしい世界観へようこそ。

昔を少し思い出してみて!


夏の夜、遥の家の庭には蚊取り線香の細い煙が漂っている。くるくると渦を描く煙は、どこか懐かしい匂いをまとっていた。


「ママ、この匂い、何か変だね。」

娘の花が首を傾げながら言う。


「変っていうより、懐かしいのよ。この匂い、ママが小さい頃の夏にずっと嗅いでたの。」


遙がそう答えると、花は不思議そうに目を丸くした。蚊取り線香の香りに乗せて、遥の心に幼い頃の記憶が鮮やかによみがえる。夜空に広がる星の光、畳の上で響く祖父母の笑い声、そして薄暗い縁側で漂っていたあの香り――。


「花、ママが子どもの頃の話、聞きたい?」

「聞きたい!」


遥は微笑みながら、あの夏の記憶を語り始めた。


祖母の家に着いた瞬間、鼻を突いたのは、どこかお線香にも似た蚊取り線香の香りだった。それは祖母の家の夏を象徴する香りで、幼い遥にとって夏休みが始まったことを告げるサインだった。


「ほら、蚊に刺されないようにこれを焚いておかないとね。」

祖母は縁側に蚊取り線香を置き、その火を小さなマッチで丁寧につけた。くるくると渦を描く灰色の煙がゆっくりと空に溶けていく。その隣で祖父が笑いながら言った。


「この香りがすると夏って感じがするだろう?遥、大きくなったら、この香りを思い出してくれるかな。」


遥はまだその言葉の意味を深く考えられる年齢ではなかった。ただ蚊取り線香の匂いに包まれながら、祖父と祖母と一緒に過ごす時間が永遠に続くように思えていた。


その日の夜、縁側で蚊取り線香の煙に囲まれながら、祖父と星を眺めていた。薄暗い空に瞬く星たちを指さしながら、祖父が話してくれた物語は、遥の胸に強く刻まれている。


「煙はな、風に乗ってどこまでも行けるんだ。どこにでも好きな場所に行ける。でもすぐに消えちまう。だから、今ある煙の形をちゃんと見ておくんだぞ。」


「どうして消えちゃうの?」


「消えるからいいんだ。ずっとそこにあったら、ありがたみが分からないだろう?」


その言葉に遥は少し困った顔をしたが、それでも煙が渦を巻く様子をじっと見つめていた。


そんな穏やかな日々の中、ある夏の日、遥と祖父は裏山の森へ探検に出かけた。祖父は「昔この森で秘密の隠し場所を作ったんだ」と楽しそうに話しながら、手には蚊取り線香を持っていた。


森の中は暗く、蚊がたくさん飛んでいたが、祖父が焚いている蚊取り線香の煙が、遥を安心させた。しかし、探検の途中、祖父が急に立ち止まり、胸を押さえた。


「じいちゃん、どうしたの?」


祖父は少し笑みを浮かべながら、「大丈夫だよ」と言ったものの、その顔は青ざめていた。そのまま近くの岩に腰を下ろすと、少し息苦しそうにしていた。


遥は泣きそうになりながら、「助けを呼んでくる!」と駆け出した。祖母の家までの道のりは遠かったが、足がもつれそうになりながらも全力で走った。


その後、祖父は無事に助け出されたものの、心臓の持病が見つかり、それ以降、無理をすることはできなくなった。その日の帰り道、祖父がふと蚊取り線香を見つめながら言った言葉が忘れられない。


「煙も命も、いつかは消える。だからこそ、大事にするんだよ。」


遥がその話を終えると、花がぽつりと言った。


「ママ、それでその蚊取り線香は今もあるの?」


「あるわよ。おばあちゃんがまだ大事に持ってるの。」


遥は押し入れから、祖父が最後に使っていた蚊取り線香の缶を取り出した。そこには少しだけ使い残された蚊取り線香が入っていた。


花がその缶をじっと見つめながら言う。

「これ、今度のおばあちゃんの家で焚こうよ。きっとおじいちゃんも喜ぶよね!」


遥は笑いながら頷いた。煙に乗って、祖父との記憶がまた夏の夜空に漂うような気がした。

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