創作詩9: 悪の美学
私は幼少の頃からなぜかヒーローよりも悪役に心惹かれてきましたが、今もなお嗜好は変わりません。ADHD&ASDの息子も私に似て、主役よりも脇役のキャラクターを好みます。ASDの娘にもその傾向があります。ちなみに、妻は日本のトレンディドラマより韓国ドラマがお好きです。
私たち弱者はこの世の悪に翻弄される一方で、悪に癒されることがあります。不思議ですよね。
なにゆえに、この世に悪が存在するや!
善は、
弱者の味方だが、
必ずしも弱者を救うとは限らない。
幼少の ころ、
ゴジラ よりも、
キングギドラ が好きだった。
子供の ころ、
ウルトラマン よりも、
ピグモン が好きだった。
学生の ころ、
ケンシロウ よりも、
ラオウ が好きだった。
無垢な 子は、
アンパンマン よりも、
バイキンマン が大好きだった。
自閉な 子は、
ドラえもん よりも、
のび太くん が大好きだった。
自我な 子は、
たにん よりも、
じぶん が大好きだった。
悪により、
我が家*が救われたるや、
これまた二度や三度ではない。
悪は弱者の敵ゆえに、弱者を無下に救いとる!
終わり
*脚注:「我が家」は、”わがいえ” と読む。
【編集後記】
●悪の意味について
私の意図に関わらず、この詩をご自由に解釈いただいて構いませんが、悪の意味について読者の方からちょっと質問を受けましたので、誤解を避けるためにコメントします。
ウキペディアによると、「悪」とは次の通りです。
【狭義としての「悪」は深い邪悪さを表現することが多い。それは一般的に、複数の可能な形をとると考えられている。例えば、悪と一般的に関連している個人的な道徳的悪、または非個人的な自然的悪(自然災害または病気の場合のように)の形や、宗教的思想においては悪魔的または超自然的/永遠的な形などである。】
本詩では上記の意味も含みますが、もう少し広く解釈していただくとよいかもしれません。例えば、「善と悪」を「光と影」あるいは「主流と傍流」と置き換えてください。10の蓮(詩節)の中のいくつかにおいては、その方がしっくりくるのではないでしょうか?
●脚韻と連の形状について
第3連から第5連までは「ろ、も、た」、第6連から第8連は「は、も、た」で文末が完了するように脚韻を踏んでいます。また、連の中に書かれた「善と悪」の具体例の末尾も韻を踏んでいます(例:ゴジラとキングギドラ)。
一方、冒頭の第1〜第2連、末尾の第9〜第10連は七五調になっており、リズミカルな八拍子に仕上げています。ちなみに、各連を構成する行数においても、1-3333|3333-1のシンメトリーにしています。
以上




