Hope where it lives
サバイバルには、知識もさるものながら慣れも必要だ。
まったく初めての場所で右も左も分からないままなのは精神的にも答える。心が弱ると身体も弱る。
そういった理由から、初日(流れ着いた日はカウントしてない)はまず、この環境に少しでも慣れるため、水と食料の確保の仕方を二人に教えた。これだけで、精神にかかる負担は大分軽減されるはずだ。
2日目は昨日のおさらいに加えて、寝床の作り方と火の起こし方を教えた。日ごろから養ってきた雑学が十二分に発揮された。因みにこの日は敢えて森の入り口で野営をしてみたが、燃え盛る炎のお陰か、先日の犬のような獰猛な動物は出てこなかった。
3日目は、道具の作り方のほか、草笛を作ってみたり、海で遊んだりして、なるべく楽しく過ごした。人間3日も経てば慣れるもので、二人も無邪気に遊んだ。
しかし、いつまでもこの場にとどまってはいられない。あくまでもこれは生き延びる為の手段であり、俺はこの場所で永住するつもりはないし、二人にさせるつもりも無い。よって、これから少しずつ探索していき、人里を探さなければならない。
「今日からはこのジャングルを抜けて、人里を探すために移動だ。まずはあの丘まで行こう」
基本は小さなことからコツコツと。行き成り途方も無い目標を立てられると、人間はしり込みし、やる気を失ってしまう。俺はまず、4kmほど離れた、小高い丘を目標地点とした。
4kmとは言っても、進むのは鬱蒼と茂るジャングル。進むのは楽ではない。数メートル先すらも見えないジャングルは道に迷いやすい上、危険も多い。
「植物の棘には気をつけるんだぞ」
こういったジャングルでは細菌が繁殖しやすく、小さな傷でも細菌が入り、敗血症になってしまう。二人には予備の服で首元や手先を覆わせた。これで大分増しになるだろう。俺も、熱くて仕方が無いが、スーツの上着をがっちり着込んでいる。しかし…
「今更だけど、ジャングルにスーツって」
「言うな…俺だって違和感たっぷりなのは分かってる」
何も知らない人が今の俺を見たなら、自殺でも図ろうかと思ってるんじゃないかと勘違いされそうだ。
「この辺で休憩しよう」
2時間程歩いただろうか、開けた場所に出ることが出来たので、休憩をする事にした。昨日と同じく水を含んだ蔓で水分を補給した後、昨日の時点で燻製にした魚で昼食をとる。
「お、この草は食べられるぞ」
ついでに食べられる野草を見つけたので、それも口にする。何でも食べておかないと、身体が持たないからな。
「なんか…逞しいわね、アンタ」
「どこでも生きていけそう…」
そこら辺に生えている野草を千切って食べる俺を見て、二人がそんな感想を漏らした。
「まぁ、俺もこんな状況になるまでは、こんな事出来なかったけどな、でも、今はそうも言ってられないだろ?ほら、あんまり上手くないけど、二人とも食べとけ。ビタミン補給には最適な野草だ」
そういって俺は二人に野草を渡した。複雑な顔をしていたが、なんだかんだでしっかりと食べる二人。こいつらも、十分逞しいな。
「さて、そろそろ行こうか。暗くなる前にあの丘に着いて野営を張ろう」
それからの道のりは、さほど困難では無く、目的とする丘まではすぐに来る事が出来た。遠くから見るとただの丘だったが、近くまで来ると、その丘は切り立っており、むしろ崖と言えた。高さは30メートルほどだろうか……
「やっと、着きました……雅之さん、これからどうするんです?」
少し息を乱しながら彩が俺に聞いてきた。
「そうだな、今日はここで野営をしよう。レミはシェルター(寝床)の準備をしてくれ。シェルターはその崖に屋根をつけるように作るから、1.5メートルくらいの長めの枝と、大き目の葉、それと枯れた葉を沢山頼む。彩は火の準備を頼む。野営の周りを囲むように最低3箇所で火を炊いてくれ」
「はい、わかりました」
「アンタはどうすんのよ?サボる気じゃないでしょうね?」
割と重要な仕事を二人に任せた俺に、レミがジト目で尋ねてくる。
「怠け者な俺としては魅力的な案だが、そうも行かないからな…俺は、これに登る」
驚いたように目を見開く二人、無理も無い、俺が指差したのは目の前の切り立った崖。この上なら木の上からジャングルを一望出来るだろう。
「本気なの?」
「まぁ、足場もあるし、これくらいなら何とかなる」
それに地理を把握するのは非常に重要だ。川でも見つけられれば人里にたどり着く可能性はグンと上がる。高さは30メートルほどあるが、垂直というわけでは無いし、登る事は十分可能だ。
「だからといって、危ないわよ!」
「迂回とかは出来ないんですか?」
「そんな事をしてたら日が暮れそうだし、ずっと二人だけにはしておけないだろ?大丈夫、30分もあれば戻るから、火だけは絶やさないようにな」
俺は二人の頭をぽんぽんと叩くと、大きな岩に飛び乗った。うん、岩の固さも十分ある。結構きついかもしれないけど、登れない事はない。
足場を確かめながら慎重に登る。あまり二人きりに出来ないといっても、焦って落っこちでもしたらそれこそ意味が無い。
15分ほどで登りきり、丘の頂上に達した。下を見るとレミが指示通りに枝と葉を運んできている。彩はその周りをぐるりと囲むように火を炊いている。二人とも頭が良いのだろう。昨日教えた事をすんなりと理解し、実行している。森の近くに不用意に近寄らないようにもしているようだし、これなら安心だろう。
「さて、俺も仕事をするかな」
独り呟き、俺は辺りを見渡す。
「良いねぇ。絶景かな絶景かな」
そこはまさに大自然を感じるような光景だった。言葉こそ茶化すようだが、俺は鳥肌が立つのを感じていた。それほどまでに今俺が目にしている自然は、広大で、美しい。
傾きかけた太陽が、空を赤く染めている。生い茂るジャングルはどこまでも続き、まるで緑の雲の上にいるような錯覚を覚える。そして、一本の細く長い川が太陽の沈む方角とは逆の方向に延びていて、そこからは一本の煙が…
「煙!?」
俺は思わず目を見張り、再度確認した。間違いない。あれは煙だ。このサバイバルに、希望の光が見えた瞬間だった。
俺が戻ったときには、大量に集められた薪と、シェルターを作るのに十分な量の材料が集まっていた。ついでに心配そうな二人の顔も。
「遅いわよ!」
「心配しました…」
「悪い悪い、でも、やったぞ。川を見つけた。それに、煙だ。楽観は出来ないが、人が住んでるかもしれない」
あえてあいまいな表現を使ったのは、もしそうでなかった時のショックを減らすためだ。人間、期待が大きすぎると、それが裏切られたときの精神ダメージも大きい。かといって、まったく希望が見えないのも、精神的に答える。
「ホント!?じゃあアタシ達助かるのね!」
「まだ楽観は出来ないけどね。でも、少なくとも川が見つかったんだ。これは大きいぞ」
「どうにかなりそうよ、彩!」
「うん…」
大喜びするレミとは対照的に、彩の表情は冴えない。
「どうしたんだ?彩」
「あ、そっか…」
疑問に思う俺に、なにやら合点がいった様子のレミ。彩は「ううん、なんでもないよ」とだけ言うと、無言で火に薪をくべ始めた。
「どうしたんだ?彩…」
「あ~えっと、何でもないのよ、そう、何でも…」
二人とも何か隠している事があるようだ。それ自体は気になるものの、詮索はやめておいた。俺にだって秘密にしておきたい事の一つや二つはある。それに、出合って数日の俺に根堀葉堀聞かれたくないだろう。
俺はそうか、と一言だけ告げて、レミが集めてくれた素材を元に、シェルターを作成することにした。
長めの枝を立てかけてから固定し、大きな葉をその上に乗せて屋根にする。この状態では両側が開いているので、枝を格子状に立てかけてから、草をつめる。これで簡単な小屋の完成だ。後は中で煙を炊いて虫除けした後、枯れた葉を大量に敷き詰める。昼間は暑いジャングルだが、夜になると急激に冷え込む。特に地面に身体を直接つけていると、低体温症になる可能性もある。その為の枯れ葉のベッドだ。
シェルターが出来たので、昨日と同じく燻製の魚と野いちごの夕食を食べ、明日に備える。今日の不寝番も俺だ。といっても、ここに来てから毎日俺がやってる訳ではなく、昨日の不寝番は、レミと彩が交互に行った。どうやら俺に気を使ってくれたらしく、二人とも自分達がすると言って聞かなかった。しかし、朝になると二人ともどんよりとした顔で挨拶をしてくれた。どうやらあまり夜更かしの経験も無かったのだろう。そんな訳で、今日は俺が不寝番を勤めることにした。
俺が明日に備えて道具をそろえていると、後ろから声が上がった。
「雅之さん…」
またか…昨日も同じような事があったな、と思いながら俺は振り向いた。
「どうした?今日の不寝番は俺だろ?」
「あ、いえ…眠れないんです」
また俺に気を回して代わろうとしているのかと思ったが、違うようだ。目もしっかりと覚めているようだ。
「そうか…」
まぁ、そんな事もあるだろう。と俺は作業に戻った。
「何をしてるんです?」
暇なのか、彩は俺の作業を見て、尋ねてきた。
「サバイバルに使いそうな道具を作ってるんだ。こっちは石で作ったナイフ。それと、火口。今は木の繊維で紐を作ってる」
俺が作った道具のいくつかを見せると、彩は感心したように声を上げた。
「凄いですね…これも本で?」
「まぁ、そんなところだ」
本当は大学で別の学部に忍び込んでならった民俗学の知識なんだが、別に否定する必要もない。
俺が再び作業に戻ると、今度は完全に静寂が辺りを包んだ。俺が紐をシュルシュルと編む音以外は何も聞こえない。
「星が綺麗だな」
「はい、凄く………」
何となく気まずくなってした会話も長くは続かない。ふと彩に目を向けると、星空を眺めながら、なにやら物思いに耽っている。星明りに照らされて考えるその姿は普段よりも大人に見えて、何というか……綺麗だった。
「私、ここに来てよかったと思ってます」
今度は彩から会話を切り出した。しかし、ここに来て良かったとはどういうことだろう?生きるか死ぬかも分からないこんな場所に…
「何で?と聞いてもいいか?」
恐らく、先ほどの事に触れる内容だろうと当たりをつけた俺は、できるだけ無粋にならないように尋ねた。彩はこっちをじっと見て、再び星空に目を戻した。やがて彩が口を開いた。
「私の家、昔は貴族だったんです」
そうだろうと思っていた。九条院とか法条院とかの名前はもともと公家の性だ。
「私の家は、昔から厳しくて…父様も母様も凄く仕来りにこだわる方でした」
なにやら重たい話のようだ。俺は作業をやめて、黙って聞く事にした。
「そんな家系でしたから、躾や礼儀には厳しくて……でも、幼い頃はそれが当然だって思ってました。でも、中学に入って、普通の子達とも触れ合うようになると、思いました。私もあの子達の様に自由に遊びたい、自由にお話がしたい。沢山好きな事をして、好きな音楽を聴いて……そう思うと……自分がだんだんただのお人形さんに思えてきて…ますます自由を感じなくなりました。毎日毎日、朝から晩まで稽古、稽古、礼儀、礼儀、躾、躾。その上、由緒正しい家系だからと言う事で、20歳年上の結婚相手まで勝手に決められました」
彩はそういうと、鞄の中から一枚の写真を取り出した。それを見た俺の感想は、何と言うか…酷かった。どう育てばこうなるのかと思うほどの醜悪さ。でっぷりと太ったやたらと脂ぎった顔が醜いというのもあるが、一番酷いと思うのはその表情。いやらしい目つきに、下品な口元、正直、人は顔ではないというが、この顔を見れば性格も悪そうなのが分かる。それほどまでに酷かった。
「確かに、酷いな…コイツはどんな奴なんだ?」
「以前お会いしたときは、東京大学を出たのち、アメリカの大学に留学したと仰っていました。その後はその方の論文や、女性関係の話などを延々と語られてました」
要するに、自分が高学歴で女にモテるんだと自慢したわけだ。いよいよ救えないな。
「その上、別れ際に口付けをされそうになりました……」
「酷いな…」
「それがきっかけで、私は…家出しちゃいました……」
「何だって!?」
うすうす感づいていたが、改めて知らされた事実に俺は驚愕した。何かあると思っていたが、家出とは…
「はい……その途中で、このような事になったのですが…今は凄く、楽しいです」
そう語る彩の顔は、確かに楽しそうで、生き生きとしていた。初めて会った時の陰鬱な顔とは大違いだ。しかし、俺には思うところがあった。
「こういっては何だが、明日の生活も保障できない状態なんだぞ?辛くないのか?」
俺が事実を伝えると、彩は一度、首を横に振った。
「確かに、今の生活は凄く辛い事も沢山あります。でも、私は今、確かに『生きてる』って実感できるんです。あの頃のような、ただのお人形さんじゃなくて、一人の人間として、精一杯生きています」
そう告げる彩。しかし、再び暗い顔になり、口を開く。
「でも、戻ってしまえばまた、私はただのお人形になってしまう……そう考えると…」
「戻りたくない、か…」
うなだれるように首肯する彩。俺は何といおうか悩んだが、最終的に感じた事をそのまま伝える事にした。
「彩…一つ良いか?」
俺の問いに、コクリと頷く彩。
「彩は、その両親に、自分の思いを伝えたのか?私はこういう事がしたいんだ、私はこんな人は嫌なんだ。ってさ」
「それは…そんな事言えません!」
「何でだ?」
「そんな事言っても、叱られるだけです!」
自分が責められてると思ってるんだろう、俺に噛み付くように彩が叫んだ。
「言っても無いのにか?試しても無いのにか?彩、お前は何もしていないのに逃げてきたのか?」
俺はそこまで言ってはっとした。しまった、熱くなって言い過ぎてしまった。
そう思ったときには遅かった。目を向けると、彩は項垂れて、肩を震わせている。手にはポタポタと透明な雫が落ちている。
「ひっく、ひっ…分かってます……そんな事分かってますよ。でも、仕方ないじゃないですか!だって、私には…家しか居場所が無いんです!例えお人形さんだとしても、そこにいる事しか出来ないんです!だから、だから……」
嗚咽を漏らす彩。泣かせてしまった…女の子の涙が一番苦手な俺としては、避けたかった展開だったが、こうなってしまったら、仕方が無い。俺は彩に近寄り、その小さな頭を抱きしめた。ついでに背中をぽんぽんとリズムよく叩いてやる。彩小さく身じろぎしたが、後はされるがままにしている。小さな肩が、何故か凄く愛おしい。俺は、できる限り優しく語り掛ける。
「いいか、彩。人間ってのはな、馬鹿なんだ。人の気持ちなんてものは、分かっているようで分からない。だからこそ、伝えないといけないんだ」
急に優しくされて、困惑する彩。俺は彩のさらさらした髪を撫でながら続けた。
「帰ったらな、両親に言ってみろ。今まで彩が思っていた事、全部だ」
「でも、もし…」
か細い声で俺の提案に答える彩。
「もしそれで彩の居場所が無くなるようなら、もし彩の両親がそんな親だったなら……俺の所に来い。俺の妹にしてやる。俺が彩の居場所を作ってやるから」
「雅之……さん?」
俺は言ってしまってから、クサイ台詞を言ったものだと思ったが、後悔はしてない。本気だった。もし彩の親がそんな奴なら、そいつ等には親の資格が無い。俺が面倒を見てやるつもりだった。もちろん、人一人養う事の経済的負担も考えての事だ。それだけの覚悟が俺にはあった。会って数日しか経ってないこの子に何でそこまでの感情を抱くのはわからないが、人間なんてそんなものだろう。
「俺じゃ、嫌か?」
「いえ、突然だったので……驚きました」
ようやく顔を上げてくれた彩。その顔は心底驚いたようだ。
「えへへ……何だか嬉しいです」
まだ目は腫れているものの、ようやく彩が笑った。その笑顔は、本当に憑き物が落ちたようで、ずっと付きまとっていた陰が全て消えていた。
「さ、それじゃ、無事に帰れるように明日も頑張るか。ほら、彩ももう寝ろ」
そう言って、残りの作業に取り掛かる。彩ははーい、と寝床に戻ろうとしたが、ふと立ち止まり、また戻ってきた。
「ん?どうした?まだなにかあるのか?」
「あ、えっと、その…お願いが…」
彩から頼みごととは珍しい。先ほどの事もあり、俺は快く引き受ける事にした。
「あの…さっきの話なんですけど……」
「さっき、ああ…妹にしてやるって奴か?別に嫌なら」
「あ、いえ!その、逆で……」
彩は何だか言いにくそうにしている。なんだ?逆?
「えっと、今から、妹に…して欲しいなぁ、って……あ!もちろん、両親には伝えます!私の思ってる事全部!でも、そんな事関係無しに、雅之さんみたいなお兄さんがいたらなぁ…って」
顔を赤面させながらもじもじと告げる彩。まったく、そんな風に言われたら断れないじゃないか。
「いいぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、彩のような可愛い妹なら大歓迎だ」
彩はかわいいという言葉に更に赤面しながらも、嬉しそうに微笑んだ。そして、俺にとてとてと走りより…
「じゃあ、今日は寝ますね!お休みなさい……兄様」
そういって、背中にギュっと抱きついた。
再びとてとてと走って寝床に戻る彩。その顔は赤面していたが、思わぬ攻撃を食らった俺はもっと赤面していた。
「まったく……本当に可愛いじゃないか」
こうして、俺はこの日、兄さんになった。同時に、ますますあの子達を帰してあげなければと決心したのだった。
主人公、兄になる。の巻。という事です。いやぁ、こんな可愛い妹がいたらいいですねぇ・・・