しゃれこうべ
この小説はフィクションです。実在の人物や、土地、星座、落語、怪談等とは関係ありませんのでご承知下さい。
最近、一人でキャンプをするソロキャンというのが流行っているらしいので、僕もその流行に乗ってキャンプ道具一式を揃え、少し離れた山にキャンプにやってきていた。
丁度、今が三連休なので一泊二日、キャンプから帰った次の日も休みなのでゆっくり疲れた体を休めるというスケジュールだ。
生い茂った木々の間を抜けて、膝丈まであるような雑草を掻き分けて山を登っていき、ようやく目的地である川の側の開けた場所に出ることができた。
「ふぅ、ようやく着いた。もうすぐ夏も終わりなのに汗かいちゃったよ。年々、残暑が厳しくなってるなぁ。さてと、少し休んでからテントを張ろうかな。それにしても……流石は穴場って呼ばれてるところだけあって誰もいないし、凄い静か。川のせせらぎの音と鳥の声が良く聞こえて気持ちいい」
見渡しても人影は全く見えず、手つかずの自然、そう感じられる風景に自然っていいなって気持ちになりながら、身体をなんとなく左右に揺らす。でんぐりがえしは川原で石が多くて痛そうだから無理。
川で冷やされた空気が流れてくるのか、火照った身体を心地よく冷やしてくれる。
暫く風景を眺めてから背負っていたリュックサックを下ろし、適当な座りやすそうな石に腰かける。座ると一気に疲労感に襲われて、思わず大きく息を吐いてそのまま自然の空気を胸いっぱいに吸い込み深呼吸を繰り返す。
「ふぅ……取り合えず、ここにテントを張ったら下が石だらけで寝る時に痛そうだし、もうちょっと石のない川から離れたところにしようか。川に近すぎても良く無いって言うし」
天気が崩れて雨になった場合、川が増水して近くにテントを張っていると危ないって聞いたことがある。今いる場所で降っていなくても、上流で降っても増水するって言うし……増水って想像したら雑炊が食べたくなってきちゃった。
それから川から離れた場所にテントを張り、あれやこれやと準備をして食事を作る。料理とはいってもレトルトだけど。流石に一人でバーベキューはハードルが高いし、凝った料理が作れるほど料理が得意というわけでもないから、レトルトで十分。むしろ下手に自分で作るよりも美味しいし。
テーブルを出して、椅子を出して、お皿とレトルトのパックを出してと食事の準備が終わる頃には、うっすらと暗くなってきたのでLEDランタンを出してスイッチを入れる。焚き火をするのは山火事が怖いし、薪を拾ってくるのも面倒だからこれで十分。
火を使うのが怖いからLEDランタンにしたけど、凄く明るくてこれを選んで正解だった。
ランタンの灯に照らされながら、のんびりとレトルトのカレーをお皿に移したパック御飯に掛ける。最近は紐を引っ張るだけで温まるからありがたい。お湯を沸かそうと思ったら火を使わないといけないから危ないしね。
「いただきます……ん、意外とイける。レトルトの御飯って、昔は容器の匂いが染みついたりして美味しくなかったけど、今の御飯は美味しくなってるんだなぁ」
もぐもぐとカレーを食べながら川の方を見ると、薄暗い中で流れている水がどこか幻想的に見える。これで時期が良ければ蛍が飛んでいたりするのだろうか。そうなるととても幻想的だったろうけど、見られなくて残念だなぁ。
……さらさら……ホーゥ、ホーゥ……ゲコゲコ、ゲコゲコ……リリリ、リリリ……
暫くは川のせせらぎの音、昼間とは違う鳥の鳴き声、カエルやなんだか良く分からない蟲の声をBGMにカレーを食べ続ける。
「ごちそうさま……久しぶりにカレー食べたけど、偶に食べるカレーはやっぱり美味しいな」
呟きながら皿とレトルトのパックをビニール袋に入れて、それをまたビニール袋で包んで二重に包んでいく。食べ物の匂いに惹かれて動物がやってきたら大変だからね、まぁ、それなら匂いの強いカレーを選ぶのはどうなのって話になっちゃうんだけど。
片付けが終わる頃には完全に暗くなっていて空を見上げると夜空に星が見える。都会だとここまで綺麗に星が見えることはないので、こんなに綺麗な星空を見たのは子供の頃、まだ田舎に住んでいた頃以来だろうか。
「凄いなぁ、満天の星空だよ。星座に詳しかったら、どれがどの星座とか、星の名前も分かるのかも知れないけど、良く分からないなぁ……あのぽつんとしてるの、もしかしてフォーマルハウトかな?」
星が三つ並んでるオリオン座とか、北斗七星とかは分かるんだけど。そう言えば満天の星空って言葉は天と空が二重表現になるから、間違った使い方って聞いたことがある。でも、これだけ星がいっぱいだったらつい言っちゃうよね。
のんびりと食後の缶コーヒーを飲みながら、椅子にもたれて空を見上げていると静かで孤独で、なんというか自分以外この世にいないのではないか、そんな気分になっていくのを感じる。
「なんていうか、寂しい気持ちになっちゃうけど、この寂しさがソロキャンプの醍醐味、良さって奴なのかなぁ」
「ありゃ。それじゃあ、あっしはお邪魔でやしたかねぇ?」
「へ?」
呟いた独り言に、返事が帰って来たことに誰かいる? と思って声のした方を向くと。
「こんばんは、お兄さん。あっしはしゃれこうべのこうべっていいやす。気軽にこうべって呼んでくだせぇ」
いつの間にかテーブルの上にうっすら茶色く汚れた頭蓋骨、つまりしゃれこうべがちょこんと乗って僕の方を向いていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「随分と派手に転んでやしたけど、お兄さん大丈夫ですかい? あっしは見ての通り、しゃれこうべですんで手も足も出せなくて申し訳ないでやんす」
いきなりしゃれこうべがテーブルに乗っていたことと、そのしゃれこうべが喋っていることに動揺して椅子ごと転んだ僕を心配するような声が聞こえる。
「お、お、おおおおおお化け!?」
「確かにあっしはお化けと言われるモノでやんすが、あっしは悪いお化けではないでやんすよ? 珍しく人の声が聞こえてきたんで、ちょいとお話でも出来ればと思って来ただけでやんすから。ほら、あっしの目を見てくだせぇ、これが悪いことをするお化けの目に見えますか?」
「えっ……?」
しゃれこうべの言葉に思わず目を見ようとする……でも、そこにあるのは暗い眼窩だけで、その暗い眼窩に魂が吸い込まれてしまいそうな虚無感を感じてしまった。
「おっとすいやせん! あっしはしゃれこうべなんで、目を見て貰おうにももう目がないんでやした! って、お兄さん、呆れてやすね? いえいえ、口に出して言わなくてもわかりやす。目は口程に物を言うって言うでやんすからね……ほら、あっしの目もお兄さんと話したいって口以上に言ってるでやしょう? って、あっしはしゃれこうべだから目がないんでやした!」
「ぷっ、なんだよ、もう……変なお化け。見た目はまだ怖いけど、さっきほどじゃなくなっちゃったよ」
無駄に明るくしゃべり倒すしゃれこうべに毒気を抜かれて、僕はなんだか怖さが薄れてしまった。倒れた椅子を元に戻して座り直し、テーブルの上のしゃれこうべをじっと観察するように見つめた。
歯は全部そろってるし、傷が入ってる様子もないし、色がちょっと薄汚れてるけど形は綺麗、なのかな。
学校の人骨模型とかで見る頭蓋骨に比べると少し小さい気がするけど、個人差なのかも。
「いやぁ、そんなにじっと見つめられると照れるでやんすねぇ。ああ、あっしのことはこうべって呼んで下せぇ。ひらがなでこうべ、でやんす。あ、お兄さんは名乗らなくていいでやんすよ? 寧ろ、下手に名乗っちまうとあっしと縁が強くなってしまって、憑いていっちゃいかねないでやんすからね」
「あっ……と、危ない。もうちょっとで名乗るところだったよ。それじゃあ、こうべさんって呼んだらいいかな?」
名前を聞いたからこっちも名乗ろうとしたんだけれど、名乗らなくていい理由を聞いたら流石に名乗ろうって気にはならなかった。いや、もう怖さはほとんどないんだけど、お化けに憑かれたら何が起こるか分からない怖さがあるし。
「ちなみにお兄さん、こうべって言うと兵庫県にある都市の名前でやんすが、甲子園球場は兵庫県にあるってご存知でやすか?」
「えっ!? 大阪にあるんじゃないの? ずっと大阪にあるものとばかり思ってたんだけど」
甲子園と言えば某球団のイメージが強くててっきり大阪にあるとばかり思ってたんだけど……携帯で調べてみたら、確かに兵庫県にあるって書いてあった。
「大阪にあるって勘違いされてる方が多いんでやんすよねぇ。ちなみに、大阪と言えばタコ焼きでやすが、あっしはタコ焼きやお好み焼き、焼きそばに目が無くってですねぇ……って、もう目は無くなってるんでやした」
「うん、僕もタコ焼きは好きだよ。お好み焼きと焼きそばも好きだし……寧ろ嫌いな人の方がいないんじゃないかな。こうべさんは兵庫の人なの?」
「お兄さん、スルーしやしたね? いや、別にいいんでやんすが……あっしは兵庫出身ではないでやすね」
うん、天丼はギャグの基本とは言え、三回目ともなるとね。それに、こうべって言うのはしゃれこうべ由来だろうから、兵庫県神戸市はやっぱり関係なかったか。
「大阪の人間でなくても、タコ焼きが好きな人はごまんといやすからねぇ。そうそう、タコと言えば同じ軟体動物のイカはお兄さん好きでやすか? あっしはスルメが大好物でやしてねぇ、ついつい顎が痛くなるまで食べたりしたもんでやんす。今では痛くなる顎の筋肉もないでやすが」
「あ、スルメ美味しいよね、噛めば噛むほど味が出てきて……あたりめみたいに硬い方も好きだけど」
「スルーするのが上手くなりやしたね? それにしてもお兄さん、あたりめが好きとはなかなか通でやすね。それじゃあ、てれすこってお話は知ってやすかい? 落語のネタなんでやすが」
強引な話題転換をしてきたなぁ、と思ったら落語の話になった。こうべさん、さてはその話がしたくて前振りとして大阪の話からしてきたのかな。そうだとしたら、もしかしたら生前は落語家だったりして?
「ううん、知らないかなぁ。どういう話なの?」
「詳しい話はその携帯で調べてくだせぇ」
「教えてくれないの!?」
「色々とあるんでやすよ、色々と」
話を振るだけ振っておいて話さないなんてどういうこと!? と驚く僕に著作権がとか、垢バンがとか良く分からないことをぶつぶつと言うこうべさん。
なんとなく背筋がぞくぞくっとするのを感じたので、僕も深くは突っ込まないことにする。
「まぁ、気になるから後で調べるけどさ。他にはお勧めのお話ってあるの?」
「そうでやすねぇ、あっしが好きなのは死神、じゅげむ、牛ほめでやすかね」
「じゅげむは何か聞いたことある気がする。他のお話は調べてみるね」
じゅげむというのは結構、有名なお話だから聞いたことがあるけど、後の二つは知らないなぁ。後でてれすこともども調べてみよう。どうせこうべさん、話してくれないだろうし。
「それにしてもお兄さん、今更でやんすが良くあっしみたいな怪しいしゃれこうべと平気で普通にしゃべれやすねぇ。結構、肝が太かったりするでやんすか?」
「そりゃ、最初は驚きすぎて椅子ごとこけるくらいびっくりしたけど、話してみたら悪いしゃれこうべじゃなかったし、一人だったから、話し相手がいて助かったくらいだし」
「そう言って頂けると、しゃれこうべ冥利に尽きるという奴でやんすねぇ」
首があったらうんうんと頷いていそうなこうべさん、ソロキャンには僕は向いていないのかも知れないなぁ、こんな本当なら怪しくて逃げ出してもおかしくないしゃれこうべとも、寂しさの余り話をしてしまうんだから。
うん、やっぱりそうだね、寂しいのは嫌かな……時々、一人になりたいって思うことはあるけど、僕は人の輪の中にいるのが好きなのかも知れない。
「ところでお兄さん、もう遅い時間ですが寝なくて大丈夫でやすか? 明日には下山するんでやしょう?」
「えっ? あ、本当だ。もう二時になってる……何時の間にこんなに時間が経ってたんだろう」
「楽しい時間はあっという間っていいやすからね。それだけお兄さんがあっしとの会話を楽しんでくれたのなら嬉しいでやすよ。でも、迂闊でやしたねぇ……午前二時と言えば草木も眠る丑三つ時、あっしのようなお化けが一番力を振るえる時間帯でやすよ?」
そう言ってこうべさんはふわり、と空中に浮かび、眼窩の奥に青いゆらゆらとした鬼火のような灯を浮かべていく。
そんな、いいお化けだと思ってたのに……!?
「さぁ、あっしが浮かんでいる間にテーブルとかを片付けるといいでやんす。あっしが乗ってたら片付けにくいでやんしょ? 灯もこの鬼火で照らしやすから作業もしやすいでやしょうし。いやぁ、この時間にならないとあっし、浮かんだり灯を出したりできないんでやすよねぇ」
「なんでやねんっ!」
思わずツッコミの言葉が出てしまった。いや、襲われたい訳じゃないんだけど、そうじゃないんだけども!
「ははぁ、お兄さん、あっしに襲われるとでも思いやしたか? 言ったでやんしょ、あっしは悪いお化けじゃないって。ほら、早く片付けて寝ないと明日に響きやすよ? 寝不足で山道を歩いて、帰る途中で遭難とかしたくないでやしょ?」
「うん、まぁ、それはそうなんだけど……じゃあ、こうべさん、こっちを照らしてくれる?」
「お、『遭難』と『そうなんだけど』を掛けやしたね? 余りに自然だったんであっしでなければ見逃してやしたね。で、そっちを照らせばいいんでやすね? お安い御用でやんす」
くっ、そんなつもりはなかったんだけど確かにそうなってるから反論できない。ちなみにランタンはあるけど、手に持って作業をする訳にもいかないのでこうべさんの灯が割と便利で、片付けはスムーズに終えることが出来た。
取り合えず、明日の朝にした方が良い作業はそのままにしておいて今日の所はテントに入って、寝袋に入って寝ることにする。
「それじゃあ、お休み、こうべさん。あ、良かったらテントで寝てく? こうべさんが入っても全然問題ないから、大丈夫だよ?」
「狭いテントに男が二人、何も起きないはずもなく……」
「いや、何もしないからね!?」
「あっはっはっはっは、冗談でやすよ。折角のお誘いでやんすが、あっしはこれで失礼するでやんす。短い時間でやしたが、楽しかったでやんすよ。それじゃあ、お休みでやんす」
ふよふよと飛んで、テントから出ていって木々の間に姿を消していくこうべさんを見送って、僕は眠ることにする。目を閉じると思ったよりも疲れていたのか、あっという間に僕は眠りへと落ちていっていた。
翌朝、目を覚ました僕は残りの片付けをして山を降りた。そして夕方までに家へ帰り、荷物を綺麗にして片付けたりしながら、こうべさんのことを思い出す。
あの賑やかなしゃれこうべは、山の中で一人でいるのかな。話好きな彼は一人で寂しいと思うことはあるのかな。
もし、またソロキャンプをするならあの山に行こう。そしてまた、あの賑やかなしゃれこうべと、今度は夜通し話をしてみるのもいいかも知れない。
片付けを終えてお風呂に入りながら、僕はそんなことを考えていた。
風呂から上がって、寝間着に着替えてベッドに入り、寝袋とはまるで違う心地よい感触に今日は良く眠れそうだ。そう思いながら目を閉じて、ふと山で出会った彼へとお休みの挨拶をする。
「明日も休みだから、ゆっくり休んで明後日からの大学に備えないと……お休み、こうべさん」
「へい、お休みなせぇ、ぼっちゃん」
「へ?」
聞き覚えのある声で返事が返ってきたことに驚いて、思わず身体を起こせば目の前に眼窩を青く光らせたしゃれこうべが浮いていた。
「こ、こうべさんっ!?」
「えへっ、きちゃった」
可愛く言っても駄目なのである。
こうべさんの話ではどうやら縁が結ばれてしまい憑いてきてしまった、山に帰ろうにもどうやって帰ればいいか分からない。なので暫くお世話になりやす、ということだった。
「申し訳ありやせん、ぼっちゃん」
「うん、いや、いいよ。取り合えず、これから宜しくね、こうべさん」
「へい、こちらこそ宜しくお願いいたしやす、ぼっちゃん」
こうして、僕と不思議なしゃれこうべのこうべさんとの生活が始まった。
これからどうなるかは分からないけれど、一つだけ分かっていることがある。
「これから毎晩、あっしの知ってる落語と怪談を聞かせて差し上げやすね。まずは怪談、利根の渡しを語って差し上げやしょう」
「やめて」
これからの僕の人生、退屈だけはしそうにない。