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荒唐無稽な話に、思わず笑ってしまう。でも。
「そんなの、ありえませんわ……ねぇ?」
一抹の不安がよぎり、兄に同意を求める。
王族の結婚はどうしても政略として利用されてしまう一面がある。父の一声で、一度決まった婚約相手がすげ替えられてしまうなんて、いくらでもありえるのだ。
現に私の曽粗叔母(曾祖母の妹)は幼馴染の侯爵子息と婚約が結ばれていたというのに解消となり、他国の王族に嫁入りしている。
「ははっ……ありえないと俺も思うよ。敵国に嫁入りなんてさせることになったら、それは人質のようなもの。なんていったって、レイラは国民に大人気のフォルミの白百合だ。父が許しても国民が黙っていないさ。」
私の後に続く兄の朗らかな笑い声にホッとすると共に、私の通り名をからかう様な言い方に少しばかりムッとしてジト目で兄を見上げれば、まるでペットを可愛がるように頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。
「もう!せっかくトレマがセットしてくれたのに!」
髪をぐしゃぐしゃにされて、本当に怒っているわけじゃない。兄が私の不安に気づいて、わざとふざけた調子で接してくれているのを、私自身わかっているのだ。わかりにくいけれど、その確かな優しさは私の救いになっている。
手ぐしでできる限り髪の乱れを直していると、兄はそんな私の空いたカップに紅茶を注ぎながら、安心させるような声色で言う。
「マゼンダの王太子は国内の令嬢と既に婚姻していて、男女1人づつ子がいるそうだ。マゼンダには側室を迎える風習はないそうだし、子宝に恵まれないとか余程の理由がない限り、レイラが嫁ぐことはまずありえないよ。」
ルイシャには婚約者に会いに行っただけだと思っていたので、兄の言葉は意外だった。
「ルイシャで、ただ婚約者と交流を深めてきただけじゃなかったんですね。」
私が真顔で兄に返すと、彼は苦笑する。
「この国には、他国を通してでないとマゼンダの情報が入りづらいから探っていた。それに、ルイシャ王やルイシャの人間にとって、マゼンダがどのような国なのかも知りたくてね。この国にいるとどうしてもマゼンダは敵国だという意識が強すぎて、相手に対して偏った見方をしかねない。同盟を組むべき相手なのか見極めるには、様々な視点が必要になる。」
神妙な面持ちの兄の言い分はもっともだ。けれど、私が父からマゼンダとの会談の存在を知らされたのは1か月ほど前。兄がルイシャに外遊に出かけたのは、それよりも少し前だ。私だけ知らされるのが遅かったことに気付かされ、少しだけ疎外感が産まれる。
「私だって、王族の一員なのに。」
「レイラももちろん、王族の一員で家族だ。俺にとって、大切な妹だ。妹を守るのはもちろんのこと、フォルミの国民を守るために、父から王位を継ぐ王太子として、できるだけの事をしたいんだ。」
硬く決意する兄の言葉に、熱のこもった兄の瞳に、フォルミの未来は明るいと思えた。
「でしたら私は、臣下としてお兄様を支えますわ。」
テーブルの上の兄の手に自分の手を重ねれば、更にその上から兄の大きな手が重ねられる。目が合えば、自然と笑顔がこぼれる。兄と心から繋がり合えた気がした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
暖色のアイシャドウをほんのり目元でぼかし、明るいチークを頬に入れる。あくまで濃すぎないナチュラルに見える化粧を施し、目の際に紅色のアイラインを一筋。化粧係による化粧が終わると、私は全身が映る姿見で、おかしなところがないか確認した。
ドレスの色は、淡いコーラルレッド。
姿は完璧だが、今から出かける茶会のことを思うとため息しかでなかった。
今日の出で立ちは、婚約者と共に茶会に参加する為に準備したものだからだ。
婚約者のラルフとは茶会の会場で待ち合わせることになっているので、馬車の中を二人で過ごす時間がないのがせめてもの救いだった。
私のあまりに露骨なため息に、トレマが苦言を呈した。
「レイラ様、エスコートしてくださるお相手は陛下の覚えもめでたい公爵子息。お金に困ることもなく、年上すぎるお相手でもない、一生の幸せが約束されたお相手ではございませんか。この城の侍女達も、公爵子息様がレイラ様を訪ねて登城されると、色めき立って仕事が手につかない子もでてくるほどの、誰もが羨む良いお相手です。そのどこが気に入らないのですか?」
侍女のトレマにラルフのことが苦手なことを、話したことは一度もない。それなのに私が重い息を吐く理由がラルフにあることに気づくなんて、10年間ずっと私の侍女をしてくれていただけのことはある。
室内にいた化粧係や他の侍女達は、私がトレマにどう返事をするのか、固唾をのんで見守っている。
「そうね。彼は婚約者としては素晴らしい相手だわ。」
腰に手を当てて肩を怒らせるトレマに、取り繕うように当たり障りの無い言葉を返す。
トレマの言いたいことはわかるし、正しい。
婚約者のラルフは次期公爵で男前、貴族令嬢達の中でも、婚約者の私の存在さえなければと涙をのんだ者も少なくないと聞いている。
けれど……世の中の誰もが羨む相手だとしても、生理的に無理な人はいるものだ。
ただ、たとえ気が向かない相手だとしても、これから一生を共にする相手なのだから、良いところを探して好きになっていかないといけないことは私だって頭では理解している。理解はしているけれど、心が追いつかない。そんな考えを知られたら、贅沢な悩みだと叱られてしまうだろう。
「ラルフと交流を深めて、彼のことよく見てみることにするわ。」
「それがよろしいかと存じます。」
私の言葉にトレマがウンウンと頷いてみせる。トレマにとって、私の言葉は及第点だったらしい。
自分の本当の心に蓋をして、嫌な気持ちを覆い隠すように、私はトレマに向かって作り笑顔を向けた。
今日のお茶会は、叔母であるメリエル侯爵夫人が主催だ。馬車が会場に着くと、馭者が御者台からコンコンと馬車の壁を叩いて合図する。そのタイミングで私が馬車の小窓から外を見るのと、ラルフが馬車の扉を開けるのはほぼ同時だった。
淡いコーラルレッドの瞳が細められ、ラルフの唇が弧を描く。
私の衣装は、ラルフのこの瞳の色に合わせていた。逆にラルフの方は、私の瞳の色に合わせて紫色の衣装を着ている。着る人によってはぼんやりしてしまいそうな色合いなのだが、ラルフの儚げな美青年という雰囲気には似合っていた。
「レイラ様、お久しぶりです。本日、ご一緒できることを大変嬉しく思います。」
「お久しぶりって、先週も城で会ったじゃないの。」
ラルフに差し出された手にエスコートされながら馬車を降りると、あいも変わらず熱のこもった視線を向けてくるラルフに困惑する。ラルフのそれはまるで随分長いこと会っていなかった相手に対する物言いだが、実のところラルフとは先週も城の中庭で、婚約者同士の交流を目的として設けられた席でお茶をしている。
「レイラ様とは、1日会わないだけでも1年会っていないような寂寥感に襲われるのです。」
そのまま無垢で愛玩を求めるペットのような、愛らしい表情を私に向けてくる。彼のことを好ましく思っている女性なら、まいってしまうような表情。
けれど私には、これなら愛されるだろうと計算尽くされた表情に見えるのは気のせいだろうか。
周囲に居る令嬢達から、ラルフの台詞も相まって羨ましそうな視線を一身に浴びる。
ここで邪険にしてしまっては、王女は婚約者を無碍にする女性というレッテルを貼られてしまうだろう。
「そこまで私のことを想ってくれて嬉しいわ。でも、会うたびにそんなことを言われたら、困ってしまうの。」
裏を返せば、もうわかったから言わないで欲しいという意味なのだけれど、彼の意に介さないようで。
「レイラ様への想いは、どれだけ言葉として積み重ねても足りないくらいですから。」
と返された。つまり、やめる気はありませんという意思表示。
本当ならされて嬉しい筈の婚約者の表情も態度も、煩わしいとしか思えない私がおかしいのだろうか。こんな彼を少しでも好きになれるのだろうか。先が思いやられ、胃がキリキリと痛くなる気がした。
侯爵家の執事に案内されて、主催のメリエル侯爵夫人へと挨拶に向かう。
叔母と会ったのは先月半ばに城で行われた夜会以来なので、ラルフとは違って本当に久しぶりだった。
叔母は他のご婦人と話をしていたけれど、その婦人は気を使ってその場を譲ってくれた。
「叔母様、本日は招待してくださりありがとうございます。」
「レイラ様、こちらこそ、私の茶会に参加してくださりありがとうございます。どうぞごるゆりとお過ごしくださいね。」
叔母は母の妹なだけあって、笑うと目元に亡くなった母の面影がある。
母が亡くなった時、叔母が毎日のように登城して私をなぐさめてくれた。だから、叔母を心のなかでもう一人の母のように思っている。
仕方がないことだけれど、公の場では叔母からは王族である私の立場が上なので、畏まった態度をとられてしまう。母に似た人に遠い距離をとられてしまうのは、淋しくもあった。
「招待を受けたときから、お茶会を楽しみにしておりました。今日は叔母と姪として、母との思い出をお話できたらと思っております。私のことは、ただのレイラと。」
王女としてではなく、親族として、姪のレイラとして扱ってほしい。その気持ちを告げると、叔母は母にそっくりな顔で微笑んでくれた。