4
そうして2年後、ようやく私が待ちに待ったその日がやってきた。
それは私が生んだとされる第一子目の男の子を、王族や高位貴族が集まる場でお披露目する日だった。
公爵夫妻との茶会の場で、ディアス公爵によりそのお披露目会のことを告げられ、私の隣りに座っていたイーサンは驚きのあまり目を丸くした。
「子どもが1歳になったことを記念して、お披露目とは……他の貴族方はしていないと思うのですが……。」
「王命で結婚し、結婚してすぐに子ができただろう?まだ若い二人がきちんと子どもを育てられているか、国王陛下や高位貴族の方々が気にしておられるのだ。ただでさえ……なぁ?」
ちらりと感じるディアス公爵の視線に、私は公爵の言わんとすることを理解して、小さく口角をあげた。
私の巷での評判があまり良くないからだ。
私は侯爵令嬢が子どもを産むまでは、お腹にタオルを入れ、次第にそのタオルを大きくすることで身重の妻を演じた。
社交の場でもイーサンにその身体を気遣われながらあらゆる貴族と談笑する姿を見られており、若すぎる結婚ながらうまくやっている良き夫婦だと思われていたと思う。
しかし子どもを生んだ途端、化粧もせず黒い髪をひっつめ髪にし、着飾りもせずまるで修道女見習いのような真っ黒なワンピースを着だした。
それだけならまだ慎ましくてよいのだが、次期公爵夫人として必要な社交もまったくしなくなり、子どもが無事に育つようにという名目で敬虔な信徒となって足繁く大聖堂に通い、この国が信仰している女神像に祈りを捧げだした。また公爵家から次期公爵夫人用にとされている予算の殆どを寄進として宗教に注ぎ込む始末。
その曲、子どもの無事の成長を祈って大聖堂に通っているわりには、その子どもの世話をほぼ乳母に任せ、生んでからまったくといっていいほど子どもの顔を見ておらず、愛情のかけらも感じないと。
もはや子どもが無事に育つようにという名目の度を越して、宗教にのめり込んでいるだけのように世間からは見られている。
宗教狂いの次期公爵夫人。いまや世間で私はそう言われていた。
ひっつめ髪で真っ黒なワンピース姿で公爵夫妻との茶会に参加した私に、イーサンは困ったような視線を送ってくると、ディアス公爵の言葉にふたつ返事で了承した。
「わかりました。マリア、これは王命だ。いいね?」
「わかりました。仕方ありません。その日は、大聖堂に通うのをやめます。」
イーサンが優しく甘い響きで説得しようと私の肩に手を置いて語りかけてきた時は、怖気が走ってその手を払い除けてしまいたくなった。
イーサンに対してもそっけない態度で、大聖堂に通えないことを残念がるそぶりでため息を付いてみると、イーサンはなんとか隠しているようだが、少し苛立っているようだ。私の肩にのる手に少し力がこもっているように感じる。
イーサンの愛する侯爵令嬢のためにしている演技だというのに、怒りの感情を持たれるのは甚だ遺憾だ。むしろ感謝されたいくらいなのに。
私がイーサンの優しい態度に、もう嬉しいという態度を見せなくなったのが気に入らないのだろうか。もう愛想など、とっくに尽きているというのに。
イーサンは、公爵夫妻との茶会や食事の時だけは、私を心から愛して心配している夫を演じる。その上手さには、舌を巻く。よくぞ心にも無いことをできるものだと。
実際はどんなに手紙を送っても見てもいないのか返事すら寄越さず、用事がある時は侍女頭を伝言役に送るだけで顔すら見せないくせに。
そのお披露目会の当日、私は久しぶりに黒いワンピースを脱ぎ、明るいエメラルド色のドレスをまとった。その胸元には、百合を背負った盾の彫られたシェルカメオを身に着けて。
私が久しぶりに髪をおろして化粧をし、美しくドレスアップした姿を見て、イーサンは見とれたようにホウと息を吐いた。ぼうっとして甘く熱い視線を向けてきたイーサンを私は軽くにらみつけると、乳母が抱いている1歳の子どもに近寄った。
お披露目会は午後から王宮の謁見の間で行われることになっている。食事を終えて眠くなったのか、乳母に抱かれた子どもはすやすやと寝息を立てていた。
本当の両親であるイーサンと侯爵令嬢は憎らしいが、眼の前で穏やかに眠る子どもに対して悪意はない。どうか両親に似ずに健やかに育って欲しいと、心から願う。
子どもの頬に手を添えて微笑むと、私は仕方なく戸籍上は夫となっているイーサンのエスコートで公爵家の馬車に乗り、お披露目会の会場となっている王宮へと向かった。
お披露目会という名の、イーサンの断罪会の会場に。
イーサンのエスコートで王宮に到着すると、後はお披露目会の主役であるイーサンと私、その後ろから子を抱いた乳母が入場すればお披露目会が始まるように、手筈が整えられていた。
「イーサン・ディアス公爵子息様、ならびにその妻マリア・ディアス様の入場です。」
その掛け声と共に謁見の間の扉が衛兵により大きく開かれ、イーサンと共に謁見の間に足を踏み入れた。
謁見の間の壁沿いに多くの貴族達が立ち並んでいる。
私が足を踏み入れた途端、お披露目会に招待されていた貴族達が皆、呆気にとられたような顔をして私を見てきた。
いつもは化粧っ気もなく、上から下まで真っ黒な姿をしていたので、驚くのも無理はなかった。
中にはイーサンのように呆けて熱い視線を送ってくる者もいた。それらをすべて無視し、中央に敷かれた赤いベルベットの絨毯を進む。
その先の壇上に豪奢な椅子が2脚置かれ、そこに国王陛下と王妃がそれぞれ腰を下ろしていた。
国中の錚々たる高位貴族の中には、下位貴族ではあるが私の両親と兄も招待されているようだった。もちろん、イーサンの両親であるディアス公爵夫妻も。
国の高位貴族だけでなく他国の軍服を着た要人らしき人物がおり、その中に見知った者がいたのでつい笑みを浮かべてしまった。
国内外の貴族までかけつけている様子に、イーサンがボソリと『なぜ……』と疑問をつぶやくのまで聞こえた。
それはお前が何も知ろうとしなかったからだよと、思い切り笑ってやりたかった。
壇上におられる国王陛下と王妃の少し前まで歩みを進めると、カーテシーをしてから、未だすやすやと寝息を立てている赤子を乳母から自分の胸元に受け取り抱き直す。
乳母がその場を辞すと、国王陛下と王妃様がわざわざ壇上から降りて赤子の傍まで歩いてこられた。
高位貴族達は動揺し、空気がざわりと揺れる。
王妃と目が合う。それに頷き私が赤子を差し出すと、眠ったままの赤子を王妃が抱き上げて微笑む。
その姿に自分の息子が産まれたばかりの時のことを思い出したのか、懐かしそうに微笑む国王陛下の姿に、周囲の空気も穏やかなものになる。
ただイーサンの空気だけは穏やかなものではなく、明らかにその顔色には焦りが生まれていた。
赤子が目を開けてしまったら、貴方は困るものね。
王妃が赤子を丁寧に抱き直すと、それを皮切りに国王陛下が周囲の貴族達に高らかに宣言した。
「皆に集まってもらったのは、他でもない。この喜ばしき日を祝うためである。このイーサン・ディアス公爵子息の妻マリア・ディアスが産んだ男児をマリアの第一子と認める……ならびに、この男児は隣国フォルミの王族として迎え入れられる。」
その言葉に、動揺から周囲はどういうことかとざわめきたつ。動揺していないのは、事実を知っている王妃、ディアス公爵夫妻、私を養子として受け入れてくれたクロッカス子爵家の養父、養母、義兄のみ。普通なら理解しているはずのイーサンが、虚を突かれたように目を見開き固まったまま、国王陛下、王妃、王妃が抱いている我が子の順に視線を送った後、ようやく私の顔を見た。
その驚きのあまり言葉を無くしたイーサンの顔が、私の胸元のカメオにようやく気づき、血の気をなくしていくのがわかり、これにはつい失笑してしまった。
百合を背に抱いた盾の紋様。それはフォルミの王族しか身につけることを許されない家紋。
何度もその印章のシーリングスタンプのついた手紙を送ったというのに、本当に何も見ていなかったらしい。
「この娘、マリア・ディアスは、わけあって我が国のクロッカス子爵家の養子として育てられたが、隣国フォルミ王家の血を持つ。マリア・ヘマタイト・フォルミ王女である。」
王による説明に私は胸を張り、周囲の貴族たちに向かって微笑み、改めてカーテシーをして見せた。その美しい所作にまたもやホウというため息にも似た声が周囲から漏れる。
王による説明に、顔色を真っ白にしたイーサンは震えていた。
公爵子息という地位の者が、本来なら立場が違いすぎてありえない子爵令嬢との結婚を、それも王命で受け入れさせられた意味を、その理由を、イーサンは何も考えたことがなかったらしい。
だから愛する人が他にいるなどといって、私への態度を無碍にできたのだ。
王による説明は続く。
「現フォルミ王に王子が1人だけおられるが、たった1人だけでは王族の血を残すのに万全ではない。だからこそ、フォルミの王族の血を持つマリアの第一子を、王族として迎え入れる必要があったのだ。」
王子が1人しかいないなら、王妃か側室に子を産んでもらえばよい。しかしそれが出来ない。それは、現フォルミ王である伯父が熱病により能力を無くし、子を作ることができなくなったから。そして私が子を作らないといけなくなったのは、従兄弟の王子の健康状態が非常に悪く、このままではフォルミ王家の存続すら危ぶまれる事態に陥っているから。
「ディアス公爵家は我が祖母の妹である大叔母が降嫁し、王家の血を受け継いでいる。我が国と隣国フォルミの友好な関係を作る上でこの上ない婚姻だと思い、王命で婚姻を結んでもらったのだ。」
このことを公爵がイーサンに説明しようとしたのを、私が止めた。イーサンには自分の口から説明したいから、黙っておいて欲しいと。本来なら初夜の日に説明しようと思っていたのにね。
イーサンはどういうことだと焦った様子で私の肩を掴んだが、私はその手を振り払った。
周囲は喜ばしい空気でいっぱいだったが、その空気をあえて壊すために私は口を開いた。
「申し訳ございません。国王陛下がご用意してくださったこの素晴らしい祝いの場に、水を差すことをお許しください。国王陛下、この国の聖女様であられる王妃様に、この結婚が白い結婚であることを認定していただきたいのです。」
赤子の髪は父親にそっくりなミルクティ色。
その時空気のざわめきでフと赤子の目が開いた。
その目は父親であるイーサンの青目でも、母親とされる私の目の色である黒でもない、緋色をしていた。