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 食事が硬いパンと冷たいスープの日が3日続くと、翌日からはパンはなくなりスープだけになった。

 クロッカス子爵邸では毎日できた入浴も、1日に1度、小さな桶に入ったすぐ冷めるようなぬるま湯とタオルが用意されるだけ。

 着替えも掃除も自分でするようにと放棄された。

 寝室の出入り口の扉前には女性兵士が2人立たされていて、外に出ることもできない。

 私を苦しめて離婚したいとか家を出たいと思わせたところで、婚姻を命じたのは王なのだから拒否できるわけがないのに、侍女頭がしていることは実にばかばかしいと思う。


 侍女頭の意思に反して、私の身支度もベッドメイクも掃除も、あの赤茶色の髪の侍女、リタがしてくれた。

 リタの立場はどうなっているのか聞いたら、一応彼女は私の専属侍女という立ち位置になっており、侍女頭に私の行動を逐一連絡する監視役となっているようだ。



 食事がスープだけになって今日で2日目。

 身体も髪も少しの湯で拭いてはいるが、髪は油っぽくなってあまり気持ちいいものではない。

 まともな令嬢ならそろそろ堪えられなくなり、音を上げるところだろう。

『マリアは空腹に堪えられなくなり、身体を身綺麗にすることもできず嘆いている』とリタから侍女頭に伝えてもらったいる。

 そろそろ頃合いだ。



「リタ、侍女頭を呼んで。」



 リタが侍女頭を呼んでくると、侍女頭はノックもなく部屋にやってきた。あくまでお前は従う相手ではなく、自分より下なのだと言いたげな態度だった。   

 侍女頭を前にしてはじめはしおらい態度をしようと考えていたけれど、改めて侍女頭を前にして気が変わった。

 侍女頭の行為に悲しくうちひしがれる儚げな少女を演じる必要はない。あくまで同じ未来を願う同士として利用するのだ。

 だって私も、イーサンの妻として居続けるなんて冗談じゃないから。



 わざとベッドメイキングをぐちゃぐちゃにし直したベッドの端に座って、私は待っていた。

 侍女頭はぐちゃぐちゃのベッドに視線をやると満足そうにニヤリと笑ったが、私がそれをまったく気にする様子もなくすました顔をしているのを見て、話が違うとばかりにリタを睨みつけた。

 彼女の中では、自分の仕打ちで私が悲しみ苦しみ自分に許しを請おうとしている筈だと思いこんでいたのだろう。

 侍女頭がリタに向かって何か言わんと口を開いた瞬間、私はそれを制するように先んじて口を開いた。



「取引をしましょう?イーサンにとっても、イーサンの愛する侯爵令嬢にとっても、この公爵家にとっても悪い話じゃないわ。」



 もちろん貴方にもねと告げると、侍女頭は唖然として私を凝視する。そのままどういうことかと探るようにリタに視線を移す。リタが何のことかわからないと驚いた風を装って頭を振るのを見て、演技がうまいなと思った。



「2年後、イーサンとは離婚します。」



 私の言葉に動揺は見せたものの、侍女頭は満足そうに笑った。自分がした仕打ちの成果だと思ったらしい。わかりやすい態度にまたもや口から漏れそうになる笑いを堪らえると、私は続けた。



「この結婚は、王命。そう簡単には離婚もできない。しかも子どもまで出来たとなれば、白い結婚を理由としての離婚もできなくなる。」



 この国では結婚して2年間子どもが出来ず、教会の神官によって白い結婚の証明をしてもらえれば離婚ができる。イーサンも2年間待てば良かったのに、馬鹿な男だ。

 2年どころか、私の3年間の学校の卒業も待てずに避妊せず子どもを作るあたり、男としての程度の低さがわかる。

 侯爵令嬢を愛人にし、その子どもを婚外子として育てても良いのだろうが、無理矢理に婚姻を進めて私の子としようとするあたり、愛する人との子どもを日陰に置きたくはないのだろう。



「だったら、私が子どもを育てるにふさわしい人間ではないと世間に知らしめればよいと思うの。例えば、頭がおかしくなったとか、狂ったとか。それを理由に離婚して、子どもには親が必要だという理由で後妻としてその愛する侯爵令嬢を妻にすればいいわ。」



 私が淡々と告げると、私があまりに冷静に話すものだから疑念が湧いたらしい侍女頭が、気味が悪いものを見るような視線を向けてきた。



「イーサン様のことを、愛していたのではないの?それなのに……。」



 なぜ?と、侍女頭の顔が物語っていた。

 そんな疑問が湧くのも無理はない。それだけ数日前の私は怒りと悲しみで喚いていたし、結婚するまでの公爵家本邸での茶会では、イーサンと愛する恋人同士のように仲睦まじい様子を見せていたのだから。

 侍女頭の言葉に、自嘲するように笑う。



「イーサンが相手であることを抜きにして考えて見て。自分の他に愛する人がいて、既にその相手との間に子どもがいる相手を、ずっと好きでいられると思う?しかもそれがバレるまで、嘘をついてまで愛しているふりをし続けてきた相手を。」



 答えはNOだ。

 侍女頭も思うところがあったのか、それには答えずに黙って俯く。その額に汗が浮かんでいる。



「次期公爵夫人としてイーサンと夜会に出ないといけないこともあるでしょうし、公爵夫妻と私の仲も悪くないから公爵夫妻とのお茶や食事に誘われることもある筈。子どもができたことを黙っておくこともできないから、私の協力が不可欠なことはわかるでしょう?」



 侯爵令嬢の子どもを私の子どもとして公爵夫妻に認知させるには、私が身ごもったふりをする必要がある。

 向こうにとって随分と都合の良い私の提案に何か裏があると勘付いたようで、侍女頭がばっと顔を上げて表情を硬くする



「取引と貴方はおっしゃいました。何をお望みですか?」



 あんなに馬鹿にしていた筈なのに、急に畏まって敬語になる侍女頭の態度に気を良くし、私は笑みを浮かべる。



「1つは私への処遇改善。あんな硬いパンとスープだけでは栄養が足りないし、すぐに痩せてガリガリになってしまうわ。それにお風呂にも入れず、少し匂いが気になってきたわ。そんな私の姿を見たら、たまに食事を共にした公爵夫妻は、何て思うかしら。」 



 ある意味脅しだが、効果てきめんだった。侍女頭は私の言葉に頷く。



「承知しました。」


「2つ目。王命の結婚だから、国からこの結婚に対して祝い金がでている筈。イーサンはそのお金をすべて愛する侯爵令嬢と生まれてくる子どもに与えてしまうつもりかもしれないけれど、そのお金は私にも貰う権利がある筈だから、きちんと半分にして私に支払って。嘘をついて減額しても、公爵夫妻と食事の際にそれとなく聞くから嘘をついても無駄よ。」


「……っ……イーサン様に報告します。」



 それはイーサンにも確認しないといけない事だから、侍女頭もすぐには返答ができないのは承知の上だ。

 私は更に付け加える。



「3つ目。公爵家の次期公爵夫人用の資金が用意されているはず。全部とは言わないから、それも半額、私用の資金に回すこと。すぐ子どもができたことになるからお茶会に参加するためや夜会用に作るドレスも殆ど無いでしょうけど、あるにこしたことはないからね。」



 私の言葉に、侍女頭がわなわな震えだした。私の要求に対して怒りが湧いているようだけれど、言い分はわかるのか、それを表に出さないだけ許してあげる。



「4つ目。これで最後。離婚の際には賠償金を支払うこと。ただでさえ子どもを育てるにはふさわしくないという悪評が立つのだから、私に今後の再婚は望めない。ならば死ぬまで1人で生きられる額じゃないと納得できないわ。」


「イーサン様にご報告します。」


「あ、きちんと書面にしてサインもして私に頂戴ね。こういうのはきちんとしておかないと。」



 私が笑顔で楽しそうに言うと、侍女頭は心底悔しそうではあったけれど、私の言葉をイーサンに伝えることを了承した。


 その話し合いの日の夜、久しぶりに入浴してさっぱりとした姿で豪華な夕食をとっていると、侍女頭がイーサンのサインの入った契約書を2枚持って部屋に現れた。

 私が頼んだ通りのことが書かれているか最後まできちんと確認すると、私は喜んでそれにサインした。イーサンの保管用と私の保管用だ。

 それには国からの祝い金の明細と、半額のお金の書かれた小切手も添えられていた。

 それに満足して、今度は侍女頭自身に1つのお願いをした。



「イーサン用の契約書と一緒に、この手紙も渡して。読むか読まないかは、イーサンに任せるわ。もちろん、読まずに捨てたって構わない。」



 その手紙は小細工されないようにきちんとシーリングスタンプで封をした。私が持っている百合を背負った盾の印章で。

 その手紙は、イーサンへの最後の恩情だった。

 私の初恋を忘れるための。

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