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【暗殺者達の群像劇】F 不老不死の殺し方  作者: 愛良絵馬
エピローグ
61/62

ある少年の高校生活1日目

   *雪弥*


 部屋の窓を一度眺めた。新しい窓ガラスは、まるで家が建てられた時からずっと張られていたかのように、もう違和感なくそこにある。

 差し込む5月の日差しは明るく、外の穏やかな気候を予感させる。門出には、とても良い日和だ。


 母さんが買っていてくれた制服を着込み、鏡の前に立つ。中学時代の学ランから、ブレザーの制服へ。なんだか一歩、大人になったような気がした。

 自分の部屋からリビングへと通じる扉を手に、立ち止まる。この扉が、いつも汚い外の世界から自分を守っていてくれているような気がした。

 そんな幻想を振り払うように、力強く扉を開ける。


「よ、おはようぽん酢」


 バタンと扉を閉めた。視界に入った情報が信じ難いものだったからだ。しかし、悪夢は終わらず、扉を強くノックする音と共に、「おいおいおい挨拶もなしかよ、出てこいよ、遅刻しちまうだろ」と聞き覚えのある声がする。


 なんだこのホラー。夢か? 夢なんか? と思うが、このはっきりと地に足が着いた感覚、おそらく、夢ではない。

 頭を抱え、再びこの部屋に引きこもってしまおうかと考える。が、炎がリビングに居座っている状況は変わらないし、放っておけば再び窓、あるいは扉を破壊して飛び出してくる可能性もある。


「はあ」


 諦めて、扉を開く。お、やっと出てきたと嬉しそうに、無邪気な笑顔を浮かべてテーブルに着く。彼の席の前には、すでに食べかけの海苔佃煮ご飯と味噌汁があり、実に美味しそうにご飯を食べる様子を、母がニコニコ見守っていた。


「おはよう雪弥。朝ごはんは」

「いらない」

「そう。いつも食べないけど、今日も食べないのね」


 母さんの視線が、ジーと僕の一点に注がれている。ネクタイに触れた。


「変?」

「うん、ちょっとね。貸して」


 ネクタイを外し、母に手渡す。母は器用に空中で結び目を作ると、ハイっと返してくれた。

 訂正されたネクタイを付け直し、上まであげる。確かに、先ほど自分が作った結び目と比べて、丁寧で真っ直ぐだ。


「……ところで母さん」

「ああ、山本くんのこと?」


 母がニコリと笑う。


「だって、今日から雪弥が学校行くって言うじゃない。嬉しくって、お礼も込めて電話したのよ」


 いつの間に電話番号を交換していたんだ……!


「そうしたら山本くんが、せっかくだから迎えに来るって言うから、じゃあ朝ごはんでもってお誘いしたのよ」


 ご両親もいないしね、と声になっていない付け足しが、慈愛に満ちた瞳から伝わってきた。

 とりあえず、状況は分かった。問題は次だ。迎えに来ると言われても、と戸惑ったところで気がついた。


「炎。おまえ、その服……」

「へっへー、気づいちゃった? 俺たち、同じ学校なんだぜ!」


 炎が身に纏っていたのは、俺と同じブレザーの学生服だった。ポカンと口が開く。母さんがコロコロとした声で、「良かったわよね。お友達がいるなら安心ね」と呑気なことを言っている。


「ごちそうさまでした! みよさん、ありがとうございました! よっし、学校行くぞポ……雪弥!」


 いつの間にか、朝食を食べ終えた炎が立ち上がり、背中をポンと叩いてきた。振り払い、玄関に向かう。母の前では、言いたいことも言えないし、時間にも余裕があるわけではない。ただでさえ気まずい初日なのに、遅刻なんてしたら更に気まずくなってしまう。


「待って、雪弥」


 靴を履き、玄関から外に出ようとしたところで、母に呼び止められる。振り返ると、瞳に微かな涙を浮かべた母が、立っていた。


「行ってらっしゃい」


 多くは語らない、短い言葉。けれど、心のこもったその言葉に、胸が締め付けられる。


「行ってきます」


 僕たちは外に出た。窓から眺めていた通り、暖かな春の日差しだった。

 ……それはともかく。


「おいちょっと待て」


 スキップでもしそうなほど楽しげな様子で、前を歩く炎の肩を掴む。振り返った炎は、いたずらっぽい笑みでにゃははと笑った。


「どういうことだ?」

「いやー、ぽん酢の学校聞いたら、驚いたことに、水花と一緒じゃん? それなら俺も、おもしろそーだし入学しよーと思って許可とってみたら、案外あっさり通っちまったんだよなー。あっさりすぎて逆に怖いよなー、マジで」

「……おれはポンズだ」


 冷静になろうと、いつもの返しをしてみる。

 そして、状況を再度考察する。

 まず、炎も同じ学校に通うらしい。そして、あの日にちらっとだけ見かけた炎の相棒も同じ学校らしい。

 ………………マジかよ!


 学校が怖いだとか周囲の視線がだとか、そんなことがどうでも良くなるくらいの衝撃が、ここ数日であった。

 だからこそ、勇気を振り絞って高校に通おう、普通の日常を大事にしようと思ったのに、なんていう仕打ちだ!!


「あの、炎」

「うん?」

「言いたくないんだが、これ以上何か怖いこととか危ないことがないか確認しておきたいんだが……大丈夫か?」

「は? あー……、先日の件な」


 ぼりぼりぼりと、頭を掻いてから、炎が唐突に頭を下げた。


「すまん、巻き込んじまったな。もう大丈夫だ。あの依頼なら、綺麗さっぱり、解決したよ」


 なるほど……それなら、大丈夫、か……?


「……それと、もうひとついいか?」

「うん?」


 顔を上げた炎の瞳を、真っ直ぐに見つめ、慎重な口調で告げる。


「お前の相棒、女の子じゃなかったか?」

「は?」


 ポカンと炎があっけに取られた顔をして、八重歯がのぞく。


「そうだけど……。なんだそれ、重要か?」


 確かに、重要か重要でないかと言われれば、巻き込まれた数々の怪奇な出来事と比べ、重要ではない。しかし、なぜか気になってしまうのだ。

 暗闇の中、よく見えなかったけれど、可愛い子だった気がするし。


「……重要だ」

「そうかー、変なやつ」


 なんだこの気にしてなさそうな余裕な感じ……。なんだかよくわからないが、むかついてくる。

 ぐぬぬぬぬと醜い嫉妬心を押さえつけ、炎の適当な会話に付き合っているうちに、高校へとたどり着く。


「……そういえば、その相棒も同じ学校なんだろ? 一緒に通わなくて良かったのか?」


 転校初日から女の子と2人で登校するなんて、羨ましいけどな!


「んー? 実はまだ、話してねーんだ。にひひ、サプライズだ」

「そうか、なるほどな」


 お互い職員室に行く手筈になっていたらしく、そのまま並んで校内を歩く。学年主任から聞かされたクラスは、僕が1組。炎が2組だった。クラスまで一緒にならなくて良かった。

 朝の会で紹介するということで、そのまま職員室で待機してから、それぞれの担任教師に連れられて廊下に出た。


 別れ際、炎が僕に手を振った。手を振りかえす。もうお友達ができたの? と事情を何ひとつ知らない担任教師が、嬉しげな口調で言った。肩をすくめて見せる。

 さて。


 改めて、1年1組。僕のクラスの扉の前に立つ。背筋を伸ばした。

 先導する若い女教師は、なぜか僕以上に緊張している様子で、震える手を扉にかけた。

 ……まあ、不登校時の登校1日目だもんな。そりゃ、緊張もするか。

 どこか他人事みたいな態度になってしまう。どうやら、僕の緊張は、朝からの炎とのやりとりですっかり飛散してしまったようだ。相変わらず、勝手気ままに現れて、勝手気ままに僕の周囲を良くしていく。

 扉が開かれた。


「おはよう、みんな。今日は朝の会の前に少し、お知らせがあります」


 ざわついていた教室が、静かになる。担任教師が教壇に立ち、目線で僕に入室を促してくる。

 一歩、入室した。その途端、「あ!」と甲高い声が上がった。視線を向ける。


「あ!!」


 驚きで、足が硬直する。

 声が上がった先は、あの日、倒れていた少女だ。僕が担ぎ上げて、警察まで連れて行った。青白かった顔はすっかり良くなって、いまでは逆に頬がりんごのように真っ赤になっている。


 しかし、大声を上げたのは、彼女が原因ではない。

 その奥。

 見覚えしかない、丸眼鏡のおかっぱ頭。


「嘘……だろ」


 それは、僕がこの手で拾い上げ、空へと放った、生首の少女だった。


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