仮説
*水花*
「はあ? 何だよそれ」
不満そうなザクロの声。
あたしは、早瀬さんを抱きしめたその手を離して、立ち上がり、ザクロと向かいあう。
不満そうな声そのままの、不満そうな態度と表情。
「なんか俺、悪者みたいじゃん」
「別に、そんなことは思ってないけど」
ザクロはザクロらしく、仕事をしていただけだ。そこには何も不満はないし、やり方にも文句はない。
キリクと被ってしまっているのは悪手だけれど、それも、知らなかったのだから仕方はない。
……そういう意味では、報連相を怠った件については、文句があるけれど。
キリクと別れたあと、ザクロからようやく来た返信。
『今早瀬の家』
それだけの短文で、あたしは状況を把握して、駆け出していた。
走りながら、何度も迷った。
自分が、どうするべきなのか。どうしたいのか。
依頼が達成できなかった事は、今までも何度かある。そもそも、強制力がどこまであるのか、正確に把握すらできていない。
けれど、今まで一度受けた依頼に、全力で当たらなかったことはない。
「……でも今、助けるって言ったよな、早瀬を助けるって」
「言った」
「お前、わかってんのか? 依頼内容は」
「不老不死の少女を殺せ、でしょ。わかってるって」
どこか苛々した調子のザクロを、なだめるように言った。唇を尖らし、ザクロがゆらりと闇を集めて、2本のナイフを形成する。右手に一本。左手に一本。
大ぶりのナイフの二刀流は、ザクロが一番しっくりとくる、ザクロの形だ。
この狭い風呂場では、完全に不利。
背後の早瀬さんを守った状態で、ザクロの攻撃をしのぎ、玄関から外に逃げ出すのは、至難の業。おそらく、20回やって、うち3回くらいの成功率。しかも、ただでは帰れないはず。
守るべき人間が、普通の人間なら。
「まさかさあ、早瀬に同情してるわけじゃないよな? 友情とか感じちゃったり?」
「そんなんじゃない」
「じゃあなんなんだよ。……確認だけどよ、早瀬を助けるってことは、依頼内容に逆らうってこと……だよな?」
「ま、そうなるね」
素早い一振り。喉先に迫ったその切っ先を、形成した小さなシャベルで受ける。余った片手で、早瀬さんの手を無理矢理に掴む。
脇腹に時間差で迫っていたもう一振りを、早瀬さんの体をねじ込んで受ける。
「〜〜〜〜〜!」
「は?」
早瀬さんの声にならない悲鳴。ザクロの驚いた声。
そりゃそうだ。助けると宣言した人間の腕に、大穴を開けて、あたしは駆け出した。
無理矢理ザクロの体を押し退けて、走り出す。玄関から外へ。
「待て!」
背後からは、すぐザクロが追いかけてくる。だから、5階のこの部屋から躊躇なく、塀を乗り越えて、あたしは飛び降りた。
「きゃあああああああ!」
早瀬さんの叫び声。この位置は駐車場に面していて、下は草木で、目撃されにくいことは確認済みだ。
あたしは、早瀬さんの手を離して、両手を使って木の枝を掴んだ。体重と重力が思い切りかかったその枝が、折れる。素早く、次の枝へ。折る枝を極力、ザクロの追走がしにくくなるように選ぶ。
そうやって衝撃を吸収し、妨害をして、落下位置を低くして、地面にたどり着く。
「おらあああああ!」
見なくたってわかる。ザクロも同じように落下してくる。あたしは、明らかに絶命している早瀬さんの体を背中に抱え上げた。そして、再び塀を飛び越えて、マンションの一階へ。エレベーター前の通路に、しゃがみ込む。
数秒遅れて、ザクロが地面にたどり着く音。予想通り、あたし達はどこか遠くに逃げようとしたと考えたらしく、走り去っていく足音がした。
「ふう」
どさっと、早瀬さんの体を下ろす。腕に刺さったザクロのナイフが、彼が離れたことで黒い粒子となってゆっくりと消えていく。
これが完全に消えてから動き出したいところだが、いつ住民がやってくるかわからない。ナイフを引き抜いて、この場所に置いておいた学生鞄の中に入れる。
「は!」
早瀬さんの目が覚めた。落下の衝撃で曲がっていた体が、もう元に戻っている。
ぼんやりとした目の焦点が、だんだんと合ってきて、あたしを見つめた。
「…………なつ……水無月さん」
「うん。怖い思いさせてごめんね」
力弱く笑ってみせる。左右を見回した早瀬さんは、そこが見慣れた自宅マンションのエレベーター前だと気づき、ザクロがいないことに気づき、ペタンと座り込んだ。
「あ、あの、私…………」
ぐるぐると混乱した目で、あたしを見上げる。
「私…………もしかして、死んだの、かな?」
力ないその声が、どこか遠くでしたような気がした。あたしの視線は、静かに、早瀬さんの傷跡を見つめていた。
「……あ、あの……水無月さん? どう、したの……?」
ザクロのナイフで開いた大穴が、塞がっていく。
黒い粒子で、着実に。
「まさか……」
あたしは呟き、何度も何度も、頭の中で仮説を繰り返し検証する。




