救う
*由奈由*
瞼を開くと、目の前にザクロくんがいた。床に倒れ込んだ私と目線を合わせるようにしゃがみ込んで、変わらず笑顔を向けている。その足元には、瓶とロープが転がっている。
「おーはよー」
ひょいっと、気軽な様子で右手を差し出してくる。ハーフフィンガーグローブをつけた、どう見ても少年の手。
「う、う」
掴む気には決してなれないその手を、唸りながら見つめる。
だめだ。このままじゃ、絶対に。
私は、外に脱出するべく、駆け出した。しかし、倒れ込んだ姿勢からの無理な加速は、すんなり背中を掴まれて、阻まれてしまう。
「うーん、俺的には、少しでも紳士的に運びたかったんだけどなあ」
背中を掴まれたままずるずると運ばれていく。
くしくもその方向は、玄関へと近づくもので、どうにか拘束を抜け出せないかと、もがく。
しかし、背中一点で掴まれているだけなのに、どう足掻いても、逃れることはできなかった。
私よりも低い背に、性差以上の圧倒的な力の差を感じる。
「風呂借りるなー」
宣言通り、玄関の手前で曲がり、手洗い場兼脱衣所へとたどり着く。そして、その奥の風呂場へ。
「嫌! いや! いやだ!」
みっともなく、子どものように叫ぶ。
嫌な予感通り、ザクロくんは栓をしめて、蛇口をひねり、風呂桶に水を溜め始める。
「デッキシ、デッキシ、デッキシ〜」
鼻歌混じりにご機嫌そうに、蛇口から勢いよく出ていくいく水を眺めている。
「あ。あ。あ。あ。あ。あ。ああああああああああああ」
ボロボロと、自分でもあり得ないと思う量の涙が溢れた。この涙で死んでしまいそうなほど。
水。
溺れる。
死ぬ。
これから先に起こる恐怖を想像して、嫌になる。死にたくなる。
だって、それは、あの日と同じ——。
嗚咽を繰り返す私を、ザクロくんはどこか気の毒そうな、困った笑顔で見下ろしている。
ピンポーン。
「お?」
唐突に訪れた、どこか遠い日のような日常の音。蛇口を閉じ、水の音が止まる。
「水花かなー」と言いながら、楽しげに、ウキウキと、お風呂場を離れていく。
立ち上がったザクロくんの背を見送って、私は震える指先を、栓のチェーンへと伸ばす。
力を入れて、栓を外す。ボコココと、今まで溜めた水が流れていく音。
自分にできるせめてもの抵抗。
それを終えると、再び恐怖がぶり返して来た。震えて、うずくまる。一瞬だけ弱まった涙が、また溢れ出る。
トントンと、足音が近づいてくる。
「……早瀬さん」
お風呂場に顔を出したのは、なつきちゃんだった。遅れて、ザクロくんが口が裂けそうなくらい嬉しそうな笑顔で、やっぱり水花だったと私に言った。
ゆっくりと、なつきちゃんが近づいてくる。悲しそうな、けれど、どこか決意を感じさせる顔で。
ああ。
どこかで、何かがガラガラと崩れ落ちる。多分、彼女は私の味方じゃない。
『早瀬さん』と呼んだその声は、多分、決別のようなものだ。
そう、思ったのに。
彼女は私のそばにしゃがみ込んで私の体を、柔らかく抱きしめた。
その瞬間、今までとは違う涙が、ポロポロとこぼれ落ちた気がした。
「あたしはあたしの為に、あなたを助ける」
力強い声が、震え切った私を、壊れかけた私を、すくい上げる。




