ハートにサングラス
大沼颯は大学を卒業して5年経ち、今年で27歳になる。
新卒で入った会社に勤めているが給料も安く、仕事はつまらなかった。
家に帰るとメタバースに入り浸っている。
現実の世界では友達も少なく彼女もいないが、メタバースの中では多くの友人がいて、恋人もいる人気者だ。
メタバースをやりすぎるせいか、最近颯は視力が下がった。
21世紀も後半に入った今日、昔に比べてレーシックを手軽に安全に安くできるようになっている。
それでも颯は何か不安で、メガネを買う事にした。
駅前のメガネ屋にふらりと寄ると、若い女性の店員が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
多分年齢は、颯と同じぐらいだろう。目のクリっとした愛らしい顔立ちをしている。
ふっくらとした唇は、ジェリー・ビーンズのようだった。
「どんな商品をお探しでしょう?」
押しつけがましさのない自然な口調で聞いてくる。颯と同年代ぐらいなのにハキハキとして、大人びた雰囲気だ。
とてもよく通る愛らしい声をしている。
「メガネ自体買った経験がないからわからないんだよね」
「それなら、これなんかどうでしょう」
店員が、メガネのうちの1つを選んで説明を始めたが、話の内容は頭に入らず、颯の目は店員の名札に釘づけだった。
名札にはホログラムの顔写真が浮かんでおり、その下に「海堂咲茉」という名前が表示されている。
綺麗な名前だと思った。他の人に聞こえぬような小さい声でその名をつぶやく。素敵な響きだ。
結局咲茉に勧められるまま、そのメガネを買う。
そのアイテムにはフレームに小さなスイッチがついておりそれ1つで遠くの物を観る望遠機能がついていた。
またやはりスイッチ操作で観た物を撮影するスペックもあったのだ。
帰宅してからも颯は、咲茉の笑顔で頭がいっぱいになっていた。どこに住んでいるんだろう? どんな趣味の持ち主なんだろ?
また会いたい。あんな彼女がいたら毎日が楽しいのにと考えた。
それから颯は連日のようにメガネ屋のそばへ行ったのだ。
咲茉がいなかった時は残念な気持ちになり、彼女を見かけた時は天にも昇るような感情を抱いた。
土日祝日はやはり忙しいようだ。平日も夜は帰りがけのビジネスパースンへの接客で大変そうだった。
思いきって颯は、平日に有給休暇を取る。そして咲茉が店頭にいて暇そうな時を見はからって彼女に近づき、声をかけた。
「すいません。今日はサングラスが欲しくて来たんですけど。夏も近いし」
「いらっしゃいませ。あっ、こないだメガネを買ってくださった大沼様ですよね。使い心地はいかがですか?」
「き、気に入ってます」
なぜか声がうわずってしまい、失敗したと颯は感じた。でも、名前を覚えてくれたのには感激する。
「良かったです」
咲茉がニッコリ微笑んだ。あまりに魅力的なスマイルなので、溶けそうな幸せを感じる。
自分の鼻の下が伸びてないか心配だ。ハートにサングラスをかけるようにポーカー・フェイスを決めなくちゃ。
「夏はエアカーで海にドライブへ行くんです。サーフィンをちょこっとやるんで。その時にかけるサングラスが欲しくて」
「いいですね。わたしもサーフィンやるんです。エアカーは、どんなのに乗ってるんですか?」
そこでちょっとサーフィンとエアカーの話で盛り上がった。サングラスは、咲茉が選んだ。
フレームについたスイッチ1つで、レンズの濃度を変えられる。黒や茶色にもできるし、ミラーグラスにも変身可能だ。
颯は、ふわふわした気分で帰宅する。普通に歩いているはずだが、スキップしてるような感覚だ。
(彼女は自分をどう思ってるんだろう? 今日は話がはずんだけど、こっちが客だから合わせてる部分もあるに違いない)
そう考えると、颯は切なくなってしまった。あんな可愛い子なら、当然彼氏もいるはずだ。
それにもう、あの店に行く理由がなかった。
新品のメガネとおニューのサングラスを買ったばかりで、さらに購入する物が考えつかない。
一瞬颯の脳内に、わざとメガネを壊し修理を頼むという発想がよぎったが、せっかく選んでもらった商品に、そんな真似はできなかった。
それに大した用でもないのに咲茉がいる時を狙ってあそこへ行くのはわざとらしいし、ストーカー扱いされかねない。
思いきって告白してみようかとも、颯は思考をめぐらせた。
(が、どうやってアプローチしたらいい? めっちゃふられて、恥をかくのも嫌だしな)
とかなんとか考えながらも結局彼はふらふらと、予定もないのに有給休暇を平日にとってしまった。
そして何かにコントロールされたように咲茉の勤務するメガネ店に、つい足を向けていたのだ。
お店には店長らしい男性の店員しかいず、年配の女性を相手に接客中だった。
たまたま今日は咲茉は仕事を休んでるのか? それともどこかへ出かけてる?
お店のレジがあるカウンターの奥のバックルームにいるのか?
でもむしろ、いなくて良かったような気がした。仮に咲茉がここにいたら、気持ち悪がられたかもしれないからだ。
こないだサングラスを買ったばかりだし、また何かのメガネを買うというのも不自然だ。
これがカフェやレストランなら、ちょいちょい行っても変ではなかったのにと颯は悔しさを噛みしめた。
ラブレターを書いて渡したら、咲茉は読んでくれるだろうか?
いや読んだら、ゴミ箱へ直行に違いない。そもそも読む前に捨てられるかもしれないけど。
颯は、店を出ると決めた。出入り口に向かって歩きはじめると、背後から彼を呼ぶ声がする。
「大沼さん」
振り返る前から、声の主はわかった。耳に心地よく響く音楽のような音色である。海堂咲茉の声だった。
颯は、後ろに顔を向ける。
お店のカウンターの奥のバックルームのある方からいつのまにか咲茉が現れ、太陽のような笑顔を浮かべていた。
「今日はどうされたんですか? 何かお探しですか?」
「い、いや、そんなんじゃないけどさ」
また声がうわずった。
(われながら、情けねえ)
「ここで買われた商品の具合はいかがですか?」
「おかげさまで、よく見える。買ってよかった。レーシックってなんか不安で」
「そういうお客様多いんですよね。そうそう。面白い新商品があるんですけど、見てみます?」
颯は誘われるまま、咲茉の歩く方へついていった。彼女は陳列してあるメガネの1つを手にとった。
「これ知ってます? かけると相手が何を考えてるのかわかるメガネなんですけど」
「そういえば、ホロテレビのコマーシャルで観た。相手の思考が読めるなんて、すごいですね」
「そんな複雑な事まではわからないんですけどね。例えば相手の名前とか住所とか生年月日みたいな個人情報までは読みとれないです。単純に今何を感じているのか、その感情がわかるぐらいで」
「そうなんだ。それでも、すごいよ」
「ちょっと試しにかけてみます?」
咲茉がメガネをさしだした。
「それをかけて、わたしの顔を見てください。今わたしが、何を考えてるかわかりますから」
颯はメガネを受けとった。そしてそれを顔にかける。レンズの向こうに咲茉のスマイルが映っていた。
レンズに字幕が映っている。そこには『I love you』と書かれていた。颯は思わず飛びあがりそうになってしまうほど喜んだ。
咲茉の方は恥ずかしそうに微笑みながら、うつむいた。