第一章 『生涯忘れられない日』 その⑥
「あれ…有希?」
そう呟きながら目を覚まし体を起こした咲に、涙を目に溜めた有希は一瞬嬉しそうな表情をしてからキッと睨みつけるような表情に切り替えると、咲の頬を力いっぱいに叩いた。
叩かれた咲は大きく目を見開き少しだけ赤く腫れた頬に手を添え茫然と有希へと目線を戻す。
「このバカ!咲、あんた自分が何やったかわかってるの?!こんなに心配させて、私絶対許さないからね」
そういってから強く抱きつく有希と、現状を理解できていないのか困惑している咲を見守っていたミョルエルは「どうやら大丈夫そうですね。まあそれも当然のことですが」と薄い胸を張りながらにいうと、初めて見たミョルエル、天使の姿に驚いた咲は口を大きく開けながら指を差して有希へと問いかける。
「え、え?!ちょ、ちょっと有希あの天使はなに?!本物?本物なの?!」
「うん、そうだよ。…ついさっきまで咲は悪魔に体を乗っ取られてて、おかしくなってたの。それをミョルエル様が助けてくれたんだけど…咲、どこまで覚えてる?」
そう問いかけられ、記憶をたどり始めた咲はしばらくしてからはっと目を見開いて「そうだった、私…」と小さく呟き、抱き着いていた有希を優しく遠ざけてから両手を床に付け頭を深々と下げた。
「ごめんなさい…それとありがとうございました」
唐突な咲の行動に戸惑いを隠せない有希を余所に、ミョルエルは先程とは打って変わって冷徹な視線を咲へと向けていた。
「まず現状を理解しすぐに謝罪したことは褒めましょう。ですが、あなたがしたことは決して許されることではありません」
ミョルエルの言葉に体をびくつかせてから間を置き、咲はゆっくりと顔をあげた。
「はいわかっているつもりです。言い訳をする余地もありません。ですが、もし…もしわがままをいっていいのなら―」
「―二度としないから見逃してほしい、でしょうか?」
そう遮る様にミョルエルの言葉が咲の喉を詰まらせる。
「ずいぶんとまあずうずうしいですね。その言葉がでてくるということは、少なくともそれが悪いことだと知って行ったのでしょうか?」
「…はい」
再度視線を下げながら短く言葉を返した咲は、肩を震わせてからぽろぽろと涙をこぼし始める。
今になって自分がしでかした事が、一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたと思い知り、なによりも大切な友人である有希を危険にさらしたことを深く後悔したからだ。
悪魔を呼びだす―その行為自体が現界を見守る神々へと冒涜であり決して許されないことであることは、はるか昔から言い伝えれており人が犯してはならない大罪の一つ。
人から見れば代償さえ支払えれば願いを叶えてくれる悪魔の存在は、傍観しているだけの現在の最高神と比べ遥かに頼れる存在といえるのか、今もなお悪魔は呼び出されることが多く現界の天使たちは日々その対処に追われている。
「あなたがどこでやり方を知ったのかは聞きません。今となってはその気であれば知ることができる時代になってしまいましたし、何よりも興味がありません。ですが、実際に呼び出してしまえばそれは災厄の種になります」
悪魔を呼びだした際、その場所は悪魔やその下位の者たちが住まう『魔界』と通じやすくなり、魔界から流れ出る魔力により現界に悪影響を及ぼし続ける『瘴気の穴』となる。
瘴気の穴は時間の経過とともに広がり、悪魔や下位の者たちがそれを通じて現界に来ることができるようになってしまうため、早急に塞ぐことが必要とされている。
せめてもの救いは、悪魔や魔神は依り代とするものがない場合、長時間現界での活動ができないということと、瘴気の穴周辺と特定の場所を除き、魔界と比べ魔素が少ないことによる身体能力の低下だ。
それらがなければ、現界はすでに人が住めるような場所ではなくなっていただろう。
「悪魔を呼びだした場合、その人物には特例処置が施されることになっています。その内容は…まあ言っても仕方ないので省きますが、少なくとも今まで通りの日常が送れないことと、死後魂の扱いが通常と異なり最悪の場合は転生すらできず、その魂は天界に幽閉され監視下に置かれるということもあります」
「そんな、それじゃあ―」
「―ですが『それではあまりにも救いがない』という懐深きとある神様の一言によって、一度だけその者に猶予が施されることとなりました」
有希の言葉に重ねるように説明を続けるミョルエルは、咲の前にかがんでから咲の右手をそっと取り、術式を空中に出現させその中に咲の手を入れる。
程なくしてして術式から出した咲の手首には繋ぎ目のない薄いプラスチックのようなものが巻かれており、それには咲と有希が見たこともない文字が刻まれていた。
それをまじまじと見つめる二人は説明を求めるような視線でミョルエルを見ると、ミョルエルは可愛らしく微笑んだ。
「それはいわば罪人であるということを証明するものであると同時に、私達天使の監視下にいることを証明するものでもあります。日常生活ではそれを隠して過していただきますが、まあ特に見られても問題はありませんし、まず普通に過ごしている人からすればそれが何かわかりませんが、ただまあ面倒ごとを避けるためにも隠したほうがいいとだけ言っておきます。なにかと人というのは違うものを指摘したがりますからね」
そう説明してから窓へと向かい開くと、夜風がミョルエルの服を優しく撫で静かにはためかせた。
「まあこれから先何かと不便なことがあると思いますが、それらは全て咲さんあなたが犯した罪によるもの。どうか、折れることなく余生を過ごしてくさい。そして有希さん」
そう呼びかけられた有希は上ずった声で返事をすると、神妙な面持ちでミョルエルは言葉をつづけた。
「これは私個人のお願いです。どうか…どうか咲さんがこれから先、道を踏み外さないよう傍にいてあげて欲しいのです。そしてそれができるのはきっと有希さんしかいません。だから、どうか…咲さんを」
少しづつ愁いを帯びていくその言葉に、有希は胸の前で拳をぐっと握ってから咲を抱き寄せその決意を言葉にする。
「約束します。咲がこの先何か良くないことをしてしまわないよう私が見守り続けると。私にとって咲は―」
そういいながら咲へと視線を向けた有希は優しく微笑んでから再度ミョルエルへと視線を合わせた。
「大切な人ですから」
その言葉に心から安堵し微笑んでから、ミョルエルはスカート部分を少しつまみ美しく可憐な仕草で会釈する。
「ありがとうございます。…それでは私はそろそろ帰りますね。機会があれば会うこともあると思いますが、その時はお二人が事の中枢でないことを祈っています」
「あ、あの…本当にありがとうございました!この御恩は絶対に忘れません」
そういって深々と頭を下げた咲へとミョルエルは再度微笑み白翼を羽ばたせて窓の外へとその身を投げる。
「大いなる神々が一柱『トール』の名の下に、祝福があらんことを」
そう言葉を告げ、ミョルエルはその大きな白翼を一際大きく羽ばたかせると、瞬く間にその姿を暗ませた。
もはやそこにミョルエルがいた事を証明する物は、咲の手首にある『契りの腕輪』と白翼を羽ばたかせた際に部屋へと舞い込んだ二枚の小さな羽毛の二つだけだった。
咲は契りの腕輪を逆の手で包み込むように握りしめ、まるで吸い込まれるかのように自身の手のひらの上へと落ちた二枚の小さな羽毛を有希はつぶさぬように握りしめる。
そんな祈りをしているかのようにも思える二人を、開け放たれた窓から舞い込む夜風が優しく包み込んでいた。
夜空の中、白翼を羽ばたかせながら心地よく空を飛ぶミョルエルは、今しがた飛んできた方角から接近する二人の天使が近づくのを待って、呆れながらに問いかける。
「今から戻るところだったんですが、もしかしなくても連行しに来た感じですか?」
「もしかしなくてもそうよ。よくもまあ平然と不参加を決め込めるわね、できるものなら私もしてみたいわ」
「メレちゃんそれは職務怠慢発言だよ。まあ気持ちはわかるけどそれが私たちのお役目だよ?もちろんこれはミョルちゃんにも言えることなんだからね」
そういいながらミョルエルの隣に並んだメレルエルとアラドヴァル、三人はいくつかの言葉を交わしあいながら高度を上げ、はるか空高くにある天界へとようやっとたどり着く。
三人を出迎えた門番の天使たちと短く挨拶を交わしてから、のんびりとした足取りで天界の上位戦力が集まっている大広間へとたどり着いた矢先、四大熾天使たちの一段下の段に座る年老いた天使のうちの一人が、目の前の台を叩きながら立ち上がった。
「一体どういう腹積もりだミョルエル!!普段の行いには多少目を瞑るが、あろうことかこの議会をすっぽかそうとは何を考えている?!」
そう怒号を浴びせる年老いた天使に続き、同列に並ぶ他の年老いた天使たちも声をそろえてミョルエルを攻め立て始めた。
しかし当の本人はまるで何事もなかったかのように席へ着いてから静かに手を挙げる。
ミョルエルの素っ気ないその行動に怒りが増した年老いた天使たちだったが、上階から響いた二度の柏手の音で、煮え切らない気持ちを静めながら口を閉す。
音の主である天使長『ルシフェル』は程なくして静まったのを確認してから口を開いた。
「ミョルエルが遅れた理由は四季神であられる『依李姫様』から伺ってはいるが、詳細を聞かせてもらえるかなミョルエル」
「此度の議会に遅れた理由は、私の管轄区域内にて悪魔が召喚されたことが確認され、それを対処してきたことによります。先ほど挙げられた四季神依李姫様曰く『隊長クラスでないと危ない』という助言を受けたため、勝手ながら行動させていただきました」
「なるほど…それで実際はどうだった?依李姫様を疑うわけではないが、今回の議会の重要性は依李姫様も承知していたはず。それを踏まえた上での呼び出しということは―」
「―はい、今回召喚された悪魔は自らを大公爵の魔神だと語っており、纏っていた魔素の量からもそれ以上の実力が伺えました」
淡々と語ったミョルエルとは逆に広間内は騒然となった。
「バカな大公爵だと?!ここ数百年のうちでは最大階級ではないか!」
「であれば今頃被害は甚大なはず…なのにミョルエルから語られるまでに報告が来なかったということは…」
「大公爵を被害を出すこともなく迅速に対処したというのか?!」
「それだけミョルが強いということだ、ようやっと理解したか老勢の諸君?」
騒ぎ立てる年老いた天使たちを窘めるように言葉を放った四大熾天使の一人『ミカエル』は、まるで我がことのように誇らしげにミョルエルの事を語り始めるが、その話をルシフェルは「わかったから少し黙っていてくれミカエル」という呆れたような声で押し黙らせミョルエルへと向きなおす。
「事情は把握した。そのうえでミョルエル、よくやった。大公爵の対処となれば隊長クラスが数名必要とされるところを一人で解決してみせるとは褒めざるを得ないな。さすがはトール神直属天使といったところか」
そうルシフェルが笑顔で褒めるのをミョルエルは会釈で返してから席に着き、一度咳ばらいをしてからルシフェルは話し始めた。
「では諸君、そろそろ今回の議題である目下の問題点『魔界の軍勢』について話し合おうか」
一話完結ですぅぅぅ!!
いやー長かったよほんと
ちなみに二話も同じくらいのボリュームです()
それと二話の投稿前に「関節」みたいなの投稿します
本来は一話の尻についていたやつですが、関節として扱うことにしました
お楽しみに