第八章『嘘偽りのない確かな出来事』その④
「おはようございます。早速ですが夢莉さんにはこれを付けていただきます」
起き抜けに天使から渡されたのは、見たことのない文字が刻まれたレザーブレスレットに似た物だった。
「これは?」
「簡易的な信号装置です。まだ未完成ではありますが、それを夢莉さん自身が手で摘まんで千切ればすぐさま私がその場に駆け付けられます」
「ふーん、つまり保険ってこと?」
「そうなりますね、実際あれらと対峙している時は何が起こるかわかりませんからね」
リビングで天使が用意してくれた朝食を口にしながらそんな話をしていた私と天使。
どうやら両親は自室から出てきていないようで、天使もまだ顔を見ていないらしく「顔を合わせても昨日の今日で少し気まずい」と小さく溢していた。
「あれから勇樹は見つかったの?」
「残念ながらまだ報告は来ていないですね。捜索に長けた天使もいるので時間の問題だとは思います」
「そっか…でその恰好は?」
起きてからというものずっと気になっていた天使のメイドの様な姿について言及すると、天使は少し頬を赤らめながら恥ずかしそうに言葉を返した。
「こ、これはお世話になっている神様から頂いた服の一つで、給仕をする際はこのような衣服を着なければならないと聞いていてたので。…日ノ本に住まう人々は必ずこれを着て台所に立つと…」
―いやないっすよそんな文化、と言いそうになるのを何とか堪え、天使の言葉を流し聞きしつつ私は無言のまま朝食を貪っていた。
てかその格好だと気まずい以前の問題だとは思うが、それも敢えて口にはせずまずまじと見ていた私に天使は上目遣いをしてぽしょりと問いかけてきた。
「…どこか変ですか?」
これを変じゃないと思うのは果たして正常なのだろうか…ひとまず「いえ全然変じゃないですよ」とだけ伝えて食事を再開する私に「どうして急に敬語なのですか」と、どこか訝しむ眼差しを向けた天使だったが程なくしてそのことを気にするのを止め、その後は食事をしている私をただ眺めていた。
朝食を食べ終えた後、天使と共に食器を片している途中についさっき貰ったレザーブレスレットが目に入り、思いついた事をそのままに天使へと問いかける。
「確かにそれであればほぼ確実だとは思いますが、私はそんなつもりでそれを貴方に渡したのではないのですよ?」
「わかってるよそれくらい、でもできるんだな?」
キッと向けられた眼差しに少し怯みながらも、私がそう問うと天使はしぶしぶと頷きを返す。
「できるはずです。それはいわば私とお世話になっている神様の力作ですから。例え冥府の先であろうと問題なく起動します」
「なら問題はないな」
洗い終わった食器類を片づけながらそういうと、天使はため息を一度吐いてから呆れながらも優しさを感じさせる表情を浮かべていた。
「全く、貴方はもっと自分自身を大切にしたほうがいいと思いますよ」
「これでもちゃんと保身はしてるさ。…信じてるからな」
「昨日出会ったばかりでもう信じているなど少し浅はかですよ。でもまあ、そのご期待には必ずお答えいたします」
こうして私が考案した、私自身を囮に使った作戦が決行された。
一応天使が念入りに煮詰めた内容通りに動くことになった私は、奴らが好んで潜みそうな場所とやらを手持無沙汰気味にぶらついていた。
多少きょろきょろと周りを伺いながら物音を聞き逃がすまいと集中し続けるが、かれこれ四ヶ所を回り終えても何かしらが起こることはなかった。
時間が経ち、日が傾き始めた頃には『既に遠い所へ行ったんじゃ?』という思考が強くなるも、作戦を練っている最中に言っていた天使の言葉を思い出しその思考は払拭される。
彼らは縁ある物から遠く離れることはできない―つまり、呼び出された私の家から遠く離れた場所にはいけないと、天使はそう説明してくれた。
だから仲間の協力も得られたのだとも付け足していたのを考えてみるに、天使達はわりかし忙しく一つの件にそこまで人員を割けるわけではということだろうか。
まあそのことを憂いでも私にどうこうできるはずもないので、深く考えることは止め五ヶ所目に着
いた時だった。
明らかに空気が重く、そこに何かがいるのだと肌が感じ取る。
気付いた時には右手首に付けているレザーブレスレットへと手を伸ばしていたが、確証もなく千切るべきではないと考えを改めて一度深呼吸をしてから、私は廃工場へと足を踏み入れた。
廃工場の中は何かの部品や割れたガラス、壊れた機械等が転がり、比較的最近に発売されたお菓子の袋が落ちている所を見るに、不良か何かが出入りしているのがわかる。
割れた窓ガラスの隙間から入る夕焼けの光によって外見以上の不気味さを感じさせ、私は身を震わせるが進まない事にはこの一件を解決できない、私が動かなければならないのだと強く意思を持ち、奥へ奥へと廃工場の中を確実に進み続ける。
やがて残り一室となりその扉の前で息を整えてからドアノブに手をかけた瞬間、何者かにその手を掴まれ口を塞がれる。
「おいおいお嬢ちゃんどうした?ここはお前みたいなのが来ていいところじゃねえぞ?」
「そうそう、ここは俺らみたいなのがいるんだから来たら怖い目に合うって知らねぇのか?」
「にしてもガキにしては良い身体してんじゃねぇか…これは楽しめそうだぜ」
そう背後で気味の悪い事を口走っている男たちは、どうやらここにたむろしている連中のようで、気色の悪い笑い声を溢していた。
「んー!!」
「おいおい暴れんな暴れんな。てか、そもそもこんなところに来てる時点でそういうのが好きなんじゃねぇの?」
「だよな、それ以外でこんな所普通入ってこねぇもんな」
「まあ例外はいるけどな…ったく何で俺らがあんなガキに舐められてパシらされてんだか」
そういうとコンビニ袋を持った男が今しがた私が入ろうとしていた部屋の扉を開け、中へと進んでいき他の男と共に私も中へと連れ込まれる。
この部屋だけは他の部屋と違い比較的綺麗にされているようで、充満している煙草の匂いを除けば寝泊まりするのに不自由はないように思えた。
だが、奥のソファに寝ころんでいた勇樹の姿が視界に入り、私は目を見開らき何とか声を出そうともがき始める。
「っとどうした急に、あんま暴れんなうざってぇから」
「まあ見てくれは悪いが一応定期的に掃除はしてるから綺麗なはずだ、そんな嫌がってもやることは変わんねぇんだから腹くくれや。従順にしてればそれなりに優しくすっからよ」
そう下卑た笑みを浮かべながら男の一人が私の胸を鷲掴み思うがままに揉みしだき始めたのを、反射的に動いた足で横腹あたりに蹴りをかますがどうにも効いている様子もなく、男は平然と蹴り上げた私の足を掴み気持ちの悪い手つきに太腿を触り始める。
「おぉおぉ痛い痛い。にしてもこりゃ上玉だぜ…おい明かりつけてくれよ、暗くて顔がよく視えねぇ」
「あいよ」
持っていたコンビニ袋をソファ近くへと投げ捨て、自前で取り付けたであろう照明を付けた男だったが、その明かりで目を覚ました勇樹は「うるさいなぁ」と心底機嫌の悪そうな声を発して身体を起こした。
「………」
起き上がった勇樹―いやそれは、私へと視線を合わせ特に何かをいうわけでもなくただ無言で見つめ始め、周りの男たちはそれに対して委縮するような態度を取っていた。
「なるほど…で、一体何をしている」
そう威圧するような声で周りにいる男たちへと視線を巡らせたそれに対し、男たちは身体をびくつかせ一歩後ろへと足を下がらせた。
「べ、別に何だっていいだろうが、俺らが何しようがよ!」
「そ、そうだ。言われた通り飯は買ってきてやったんだ、大人しくそれでも喰って寝てろやガキが!」
一人、また一人と仲間がいることで強気にで始めていた男たちだったが、「黙れ」というそれの一言でもって口を閉ざした。
「それは私のものだ、誰に断りを得てそれに触れている?元よりお前らに話しかけてなどいない…とっとと失せろゴミ共が」
目の色を変えそれが壁を殴りつけると、劣化しているとはいえ廃工場の壁には大きなヒビが走った。
それと比較的近い場所にいた男が情けない声を上げて走り出したのを合図に、他の二人も悪態を零しながらその場を後にした。
部屋の中には私とそれだけが残りそれは先程投げ捨てられていたコンビニ袋へと手を伸ばし、中に入っていた食べ物を貪り始める。
「で、いい加減答えたら?」
いくつか食べ終えた後、元の色へと戻った目を私へと向けながらそれはソファへと深く腰かけた。
「決まっているでしょ…勇樹を返して」
そう、問われている事に対する答えとしては少し不十分な答えを私は口にするが、これでも十二分に意味は伝わるはずであり、それもそもそも答えがわかりきっている為か私が言いたい事を理解した様子でくつくつと笑い始める。
「そうかそうか、一応ちゃんと対策してきてはいるみたいだね。よほどあの天使は頭が切れるらしい…」
たったこれだけのやり取りで見抜く辺りそれも相当頭が切れるようで、天使に散々にわたり注意されていた『あれの問いかけにまじめに答えてはいけません』という事をすぐに見破られたようだった。
だが、私にはまだレザーブレスレットがある。これを千切りさえすれば―
「―っと危ない」
そう、瞬時に私の右手首を掴み上げたそれは、私がレザーブレスレットを千切らないようしっかりと握りしめ、バランスと保らせないために宙に浮いたそれは私の足がギリギリ地面に届く位置まで私の身体を引っ張りあげる。
「これから微かに編見込まれたマナを感じる…これに手を伸ばしていた所を見るにこの場所を知らせる代物といった辺りかな。ま、別にいいけどさ」
そういってから手を離され倒れそうになるのを何とか堪え、再度レザーブレスレットへと手を伸ばした私だったが、見えない何かで包まれた右手に触れることさえ出来なかった。
「多分その感じじゃ、常に居場所を知らせている物でもないだろう。それにそうだとしたら、既に天使はここに来ているだろうからね」
その発言が意味する事を察し、私は部屋から出る為に踵を返してドアノブに手をかけるが、ドアノブは時が止められているかのようにピクリとも動かない。
「あぁまあ大人しく逃がすわけにもいかないからね。外に出ることは諦めてね」
そう言ってから食事を再開したそれは「そういえば」と思い出したかのように問いかけ始める。
「何で君は一人で行動してるのさ?どう考えても君一人で私に会いに来る意味ないでしょ」
「…さぁ何でだろうな」
答えが返ってこないとわかりきっているはずなのに、それはまるで暇つぶしかのように言葉を繋ぎ続けた。
「まあ無難な所で君が囮ってところだろうけど、偽善者である天使がそんなことするかなぁ。なーんか裏がありそうだなぁ」
しばらく思考に耽った後、「まぁいっか」と吐き捨ててから何かしらの作業へと取りかかり始めたそれに対し、私はふと過った疑問を口にした。
「そいえばお前は悪魔何だよな?」
「そうだよ」
「なら…名前とかあるのか?」
ぴたりと動きを止めたそれはゆっくりと視線を私に向け、何かを訴えたいかのような目をしていたが程なくして再度作業へと取りかかる。
まあ、答えるはずないよな―そう比較的綺麗な場所を探して腰を下ろそうとした刹那、それは自身の名前を控えめに呟いた。
「え…あ、ごめん聞こえなかった。もう一回言ってくれないか?」
「だから、『ムルムル』だって。言っとくけど、教えたのはこっちの質問にも答えてもらう為だからね」
「あぁそう?私の名前は新西夢莉。はいこれでチャラね」
そう質問は来る前に勝手に答えを返した私だったが、それ―ムルムルは再開したはずの作業の手を止めて口元をわなわなと震わせていた。
「なっ―汚いぞお姉ちゃん!」
「汚くないわよ、名前を教えてもらったんだからそりゃ返すのも同じように名前でしょ」
「それも天使の入れ知恵か?!くっそーそれが天使のやることかよ!!」
思っていた以上に効き目があり、私はムルムルに対し軽く引いていてると微かに天使の気配を感じ、引き続きムルムルの気を逸らすことに専念した。
それからしばらくは意味のない不透明な会話を続けていたが、ムルムルはそれをどこか楽しんでいるようにも思えてきたその時、ガラスが激しく割れる音が廃工場内に響き渡りムルムルはその音の正体に気付いたのか、スッと顔色を変えてからとんでもない速度で作業を再開する。
だが、閉ざされていた扉を文字通り切り開いた天使が部屋へと足を踏み入れると、ムルムルは凄い形相を天使に向けてから手元に突如出現した剣を振りしめ切りかかったが、その刃が天使に届くことはなくばらばらに砕け散ると同時に、ムルムルの身体には一筋の剣閃が刻まれ程なくして勢いよく血が噴出された。
次回の投稿は3/1(火)です
気が付けば三月突入ですね
早いものです