第七章 『逸話を超えし者』その②
「なつほどそうくるか」
誰に聞かせる訳もなく呟いた部屋着の男は、視えていた通りに自身の頭部目掛けて放たれたメレルエルの回し蹴りをしゃがむことで避けてから距離を取り、上着を脱ぎ捨てくつくつと沸き上がってきた笑い声を次第に大きくしていく。
「あーはっはっはっは!!いいな楽しいぞ、始めて人を殺めた時より尚高ぶっている!姿が変わるのを嫌って渋っていたが、こっちのほうがより楽しめそうだ」
そう告げながら次第に身体が黒く染まり始め、声色も先程までとは違った物を放ち、やがて部屋着の男は人間だった時の面影を少しだけ残して、角や翼を生やしたまごうことなき悪魔へと姿を変えてしまった。
「あー…はは、まるで自分じゃないみたいだ。全てが霞んで赤く見える。…なるほどな時期慣れるか、それまであちらさんは大人しく待ってくれるかね」
「もちろんNOよ」
間髪入れず冷静に告げながらメレルエルは神器を横に振り払うが、それを部屋着の男は平然と前方に屈むように身体を曲げて躱してから口元を卑しく歪ませる。
「だよな、知ってた」
部屋着の男は曲げた身体を床に密着させるように屈み、両手で身体を支えながら鳥の足の様に変形した脚をメレルエルの横腹へと向かわせる。
神器での大振りな横ぶりの隙に上手く合わせ、確実に入った!―と確信した部屋着の男だったが部屋に響いた音は第一趾(鳥の足でいう後ろの足爪)が肉を抉った音では無く、ガギンッという鉱物と鉱物がぶつかったような金属音だった。
その感触に驚愕し動きを止めた部屋着の男の腹部を、メレルエルは容赦なく蹴り上げ勢いよく天井へと叩きつけ、その衝撃をもって部屋着の男は血反吐を吐き出した。
純正の天使であるメレルエルの身体能力は神代の頃に当時のイシュタルから徹底的に鍛え上げられ、終末戦争後ミカエルへと稽古を付けてくれるよう直談判することでほぼ完成へと至っており、身体能力だけでいえばミカエルにも引けを取らない域に達している。
故に、つい先ほど戦っていたレラジュの一撃には驚かされたが、今後の課題が増えたと思えば特に問題にはならないと判断したメレルエルは、現状況の部屋着の男の反応を見るに衰えているということはない事がわかると、知らず知らず安堵の息を小さく吐き出す。
「さて、余り時間はかけてあげられないのだけど、ひとまず貴方の中にいる奴は誰?」
重力に従い無抵抗に落下し床の上で痛みにもがいている部屋着の男に対し、メレルエルは神器の穂先を付きつけながら問いただすと、部屋着の男は口の中に入っていた血を咳と共に吐き出してから今だ余裕がある表情を浮かべる。
「はぁ、はぁ…おっかいねぇなぁおまえ。あいつらとは比べ物にならねぇくらい強いじゃねぇか…」
『あいつら』というのはルミエヌとラニアスに他ならず、部屋着の男が言うようにその二人とメレルエルの実力には明確な差が開いており、例え神器のないメレルエルに対し二人組で戦ったとしても勝てる見込みはないだろう。
「まあ伊達に『現界守衛最強の天使』って呼ばれてたわけじゃないわよ。つっても今はその肩書もミョルに取られちゃったんだけどね」
言葉とは裏腹に嬉しそうに語るメレルエルの表情には、今の状況には似つかわしくないどこか嬉しそうな表情を浮かべており、部屋着の男はそれを見て疑問を思い浮かべるも今はそれを頭を降って払拭し、腹部を抑えながらゆっくりと立ち上がる。
「ハハッ…可愛い顔で笑うじゃねぇか。それとさっきの質問の答えだが、興味もなかったから知らねぇ」
「そう、ならいいわ。あ、そうだ別に興味はないんだけど、貴方の名前は?」
「それを聞いてどうすんだ?興味ないんだろ?」
腹部の痛みを癒しながら部屋着の男は意地の悪い笑みを浮かべて見せる。
「えぇないわ。けれど私の主神からは『自らが殺める者の名前は覚えていなさい。それがどういう者であれ、命を奪うことには違いはないしそれを背負っていくのだから』って教えられてきたし私はそれに納得してる。だから教えなさい」
だが、毅然として凛々しく誇りを持ってはっきりとそう告げるメレルエル。
その態度に対し、部屋着の男は畏怖の念を抱きながらも恋焦がれていたものだと、取り込んだ魔神から半ば無理やり授けられた『機知』の力によって知り得て笑いが込み上がる。
程なくして腹部の痛みを堪えながら、メレルエルを真似るようにして凛とした姿勢に正した部屋着の男は、生れてはじめて抱いた『勝利への執念』に再度笑いが込み上がる。
「俺の名前は蟻馬一仁、普通で普通な事に嫌気が差して普通を止めた異常な人間だ。さて、名乗ったんだからお前も名乗れや天使ちゃん」
「言われて名乗るのは癪に触るけど特別に名乗ってあげるわ。現界守衛第一隊隊長メレルエル、普通に普通な事を嫌って普通を止めた努力家天使。さぁ、次世への懇願でもしながらかかってきなさい」
『今日は癪に触られてばかりだね。何にせよテンション上げすぎてやりすぎないでよ?』
そうしらっとした様子のアラドヴァルに釘を刺され、少しだけ冷静さを取り戻したメレルエルは、多少顔を赤くさせて再度神器を構え直し部屋着の男―蟻馬を見据え、その一挙手一投足を見逃さぬように細心の注意を払う。
対する蟻馬は、自身の出方を伺っている事に感謝しながら腹部の治療に専念しようとするも、先程までとは異なり受け身の姿勢を見せ始めた蟻馬の企みを知ってか知らずか、様子見を止め蟻馬の懐へと飛び込んだメレルエルはある程度の憶測を立ててから神器を突き出す。
蟻馬は視えていた通りに身体を動かし至近距離からのメレルエルの猛攻を紙一重で躱し続ける。
「―そう、そういうこと」
メレルエルがそう小さく呟くのを聞き取った蟻馬だったが、刹那右脇腹から走った痛みに声を上げることもできず膝を付き、その隙を逃すことなく向かってきた神器の穂先が首筋を切り裂き瞬時に蒸発させた光景が視え、より低い位置へと頭を下げるとそのすぐ後で緋色の穂先が頭を掠めた。
「これでも避けられるのか…随分と厄介な力を授かってるじゃないあなた」
「まあな、おかげで何度も命拾いしてる」
苦笑交じりに言葉を返しながら後方へと引いた蟻馬は、両手をメレルエルへとかざして手と手の間に魔素の塊を作り出す。
「ちなみにこれはそれとは別のもんだがいいもんだ。身の内に入れてからしばらく経ったが、今だ留まることを知らずに溢れ続けてる。さてはてこれは一体どこまで行くのやら…まるで果てなき空を昇り続けている気分だ」
「…そう、だとしてもあなたに昇らせて上げるわけにはいかないのよ。空は私たちの領域だもの」
魔素の塊を警戒して距離を取りながら身構えるメレルエル。
その姿を見て口元をニヤつかせた蟻馬は、手元で形成させた溢れ出る魔素の塊を安定させ、先を視てから狙いを定めメレルエルへと魔珖破線を放つ。
それを避けるために走りだしたメレルエルに合わせ、かざした手を追わせる蟻馬はより効果的なダメージを負わせるため、仕方なくもありつつ追い詰める様に魔珖破線を放ち続ける。
埒が明かない―そう、蟻馬の魔珖破線から逃げながらどう打って出るかに思考を巡らせ、程なくして徐々に距離を詰め始めたメレルエルだったが、距離が近くなるほどより正確に捉え続ける様に苛立ちを覚え始めていた。
次の投稿は2月8日(火)でしゅ
予約投稿につきレジェンドアルセウスの発売日です
楽しみだ




