第四章 『狂気の殺意』その⑤
ジャックはおぼつかない足取りで立ち上がり、とめどない魔素が溢れ出ていた。
もはや先程までとは打って変わったジャックに対し、雑念は命取りになると確信したミョルエルは剣を構え紫電を纏わせる。
「………」
視線を上げず今だフラフラしているジャックの様を警戒するも、どうにも攻めてくる気が見られずその場から動かない事にしびれを切らしたミョルエルは、馬鹿正直に真正面から切りかかる。
ほぼ半ば力任せに振り抜いた剣は中心から剣先にかけ、その刀身を砕け散らせ地に落ちる刃の欠片は程なくして消えていく。
ジャックは切りかかるミョルエルへと視線を移さず、マナの流れを正確に読み切り剣が通る道筋に魔素を纏わせた拳を置いていた。
やがて視線を上げたジャックはミョルエルを見据えると顔を綻ばせる。
「不甲斐無いところをお見せして申し訳ございませんでした。どうにも今だ馴染んでいないようで、制約を架けていないと自壊してしうのですよ。ですが、無理をいってある条件下でのみその制約を外してもらえる事になってましてね」
何度か手を閉じては開き具合を確かめるジャックは、どこか物悲し気な表情を浮べてからフッと息を付き、一本、また一本とナイフを取り出し宙に放っては落ちてきた物を掴みまた宙へと放る。
「ここからは時間の問題が付きまといますが、正直どうでもいいとさえ考えています。元より無理のある賭けをしていましたから。…だが、それとは別の物を賭すのも悪くはない―そう思い至ったのです」
「…先程のやり取りからはそのように感じられませんでしたけどね」
ミョルエルがそう愛想なく返すと、それが意外だったのか一瞬驚いた表情を浮べたジャックだったがスッと先程までとは少し違う、心ばかり嬉しそうな表情をする。
「これまで満たされることのない道を歩いてきましたからね。ですが今は、この瞬間だけは違う」
そう強く断言し、更にナイフを取り出し宙へと放るとそのすべてが統制された兵士の様に華麗な列を成す。
「私のこれまでは、今この時の為の布石と思えてならない程満たされている。だから―」
「―終わってもいいとか思っているのですか?であれば何とも愚かで浅はかな意思ですね」
最後に取り出したナイフを握り、ミョルエルへと刃先を向けるジャックの言葉を遮り、ミョルエルは神器を顕現させ紫電を多大に纏い始める。
「なので私がそれを砕きましょう。せめてもの慈悲とお受け取り下さい」
神器を構えミョルエルは再度、真正面からジャックへと距離を詰める。
それを見越してか、ジャックはミョルエルの正面と両側面から取り囲むようにナイフ群れを向かわせる。だがそれで捉えきれない事は百も承知だと、合間もないナイフの群れから何故か姿を現したミョルエルへと握っているナイフを一本投擲する。
それを事なし下に躱すミョルエルだったが、ジャックの狙いはそこにあった。捉えられない物を討つ為には、それを捉えられる位置へと誘導することが最善の一手であり、狙い通りの位置へと動いたミョルエルを討つ為の手札をジャックは切った。
投擲されたナイフを躱したミョルエルは、自身の周囲が隙間なくナイフで埋め尽くされ、ジャックが待ち受ける正面方向と真上のみが開けている事に違和感を覚えたが、それはすぐに払拭される。
「巨断の凶刃-Killing Knife-」
ミョルエルの頭上から迫る巨大なナイフと錯覚する程密集したナイフの群れは、ジャックの掛け声と共に逃げ場のないミョルエルへと振り落とされる。
投擲されたナイフを躱した直後であるミョルエルは態勢的にそれを更に躱すことはできない。
だがミョルエルには、視界に映る場所にポイントを定め瞬時にその場へと移動する『テレポート』があり、すぐさまジャックの背後の地面へとポイントを定め移動する。
「―それは先程見ましたよ」
それすら見越していたと、ジャックは背後に現れたミョルエルへと正確にナイフを振るい、二人の回りには何滴かの血が飛び散り、ミョルエルが先程までいた場所から激しい金属音が鳴り響く。
次いでドサッと、宙に舞った腕が地面へと叩きつけられ間を置かずそれが握っていたナイフが地面に落ち軽い金属音が鳴る。
「完全に読み切ったと思ったんですがね」
「一度見せた手でやられるわけにはいきませんからね。それを加味しただけですよ」
ただ、私ならそうする、だからこうした―とそうミョルエルは言い放つ。
(だからといって実際できるかはわからないでしょうに)
口には出さず一歩引きながらジャックは追い打ちをかけれぬよう周囲のナイフで牽制し、つい先刻とはまるで違う精度の高さにミョルエルは攻めあぐる。
その隙に、性能は格段に落ちるものの魔素で切り飛ばされた腕の代わりを作り出し、具合を確かめる。
「まあ悪くはなさそうですね」
誰に聞かせる訳でもなく呟いたジャックは宙に漂うナイフをいくつか消し、残ったナイフを更に精密に操作するだけでなく先程までとは違い、自身も直接ミョルエルへと攻撃を仕掛け始める。
ありとあらゆる方向から飛んでくるナイフと自身の攻撃を捌き、その合間を縫うように攻撃を繰り出してくるミョルエルに対し感服の意を感じ始めていたジャックは、より一層それに見合う存在になりたいと、そう願う。そう、願ってしまった。
刹那、ジャックは自身の内側に内包する者から溢れ出た魔素に意識を奪われる。
突如として動きを止めたジャックを訝しく思うも、あからさまな隙を逃すことなくミョルエルは神器を振るおうとするが、ジャックから溢れ出した大量の禍々しい魔素に驚愕の表情を浮かべ大きく後方へと退くと、どっと噴き出る汗を拭うこともせず目を離さぬよう注視する。
溢れ出た禍々しい魔素は可視化されるほどの黒色を纏い、激しい憎悪を含みそれに触れたコンクリートの地面は黒く変色していた。
やがて溢れ出ていた禍々しい魔素はその中心にいるジャックへと戻るが、そこには先程とは容姿が異なったジャックがいた。
顔の右半分は鳥の様な形相へと変わり、頭上には半端な王冠が浮いていた。手首から二の腕にかけは羽毛が生え、両脚の太腿から下は猛禽類を彷彿とさせる足へと成り代わっていた。
「あっ…っが…かか…」
ジャックは望まぬ変形した反動からか上手く声を出すことができずうめき声を上げる。
そして意識に反し、全くいうことを聞かない身体は足元を確認するように足踏みをして、その爪先で何度かコンクリートの地面を引っ搔いた。
やがて満足いったのか、すっと視線を正したジャックの身体はミョルエルへと向くと呼び動作もなく襲い掛かり、鋭利な爪で切り裂かんと足を振り上げ勢いよく振り下ろす。
警戒していたおかげか、不意打ちの如く繰り出された攻撃を神器で受け止めるが、想像以上に重い一撃だったのか踏ん張りが足りず地面へと押し倒され、その衝撃にカハッと息を吐き出す。
神器により一層重さを感じ視線を向けると、もう片方の足を上げ押さえつけているミョルエルに向け振り下ろし追撃する。
それを大きく頭を傾けることで躱すことに成功するが、頬を掠め地面に激突したジャックの足は地面へと深々と突き刺さると、それを無理くいに引き抜き再度足を上げる。
だが、同じことを黙ってさせるわけにはいかないミョルエルは、ジャックが足を上げたタイミングと同時に自身の足を蹴り上げる様にして、押さえつけている足の間接へと打撃を与える。
それにより態勢を崩したジャックは後方へとよろけ、その隙にミョルエルは拘束から逃れ態勢を整えてから、南極で一戦交えた魔神・ヴィネを思い出す。目の前にいるジャックからはヴィネ以上の威圧を感じないが、強さはそれに近いと確信する。
あの時はウリエルがいたからこそ『神雷纏装』を使わずに済んだが、今は他の助力を望めない状況でありながら、ジャックを倒した後に次がある。
自身の不完全な『神雷纏装』では、一度使い切ってしまえばしばらく動けなくなるため、時間内にジャックを倒してからベリアルも倒さなければならない。
だが―そんなことできる気がしませんね、と小さくため息が漏れ出る。
そう思わせるほどのプレッシャーを放つジャックに対しミョルエルは思わず苦笑した。
「ほんと自分の弱さに呆れてしまいますね。…ですが」
弱音を吐いても状況が変わることはない、そう言葉にしなくともよくわかっている。
故に焦りは募り、良くない考えばかりが頭の中を巡り続ける。
そんなミョルエルの様子を尻目に、ようやっと態勢を持ち直したジャックには先程まであった僅かな意識すら無くなったのか、右半分だった鳥の形相は顔全体を覆い尽くし、もはやジャックだった面影は着ていた燕尾服だけとなっていた。
そんなジャックだった者を見据えてミョルエルは再度ため息をつく。
「自意識もない相手にやられたとあっては、『熾天使』としての面目が立ちません。なので勝たせていただきますよ、ジャック」
答えが返ってこないことは承知の上で、ミョルエルは強く、固い決意を告げた。
次はちょっと場所が変わって、メレルエル&アラドヴァルVSベリアルです