第三章 『再開』 その③
「はいお疲れさん♪まあ色々と未熟の様だけど、とりあえず認めてあげるわ」
そう、地面に倒れ込み空を眺めながら息を切らしていたミョルエルを覗き込んだ少女には、特に疲労している様子はなくいくらか余裕がある。
「ではまず…魔神達の目的は何ですか?」
息を整え自身を覗き込んでいる少女の瞳をじっと見据えながらミョルエルがそう問うと、少女はそんなこと?と不満げな表情をしてからつまらなさそうに返答し始めた。
「そんなもの魔神達が生きやすい世界に作り変える意外あるものか―と言いたいところだけど、正直にいうと私にもわからないわ。最近魔神達が騒がしていることは聞いたけど、もう長い間会ってもいないし元々関係も良くなかったから。それについては他の奴を捕まえて聞きなさい」
すんなりとそう答えた少女に対し、特に驚いた様子もないミョルエルは「そうですか」と返してから更に質問を続ける。
「ではどうやって現界にいつ続けられているのですか?依り代がなければ魔素がすぐに底をつき魔界へと還ることになるはずです」
「そんなの天才の私からすれば些細な問題よ。確かに魔素も少しは必要だけど、それに置き換わる物を見つけたから、好きなだけこっちにいられるのよ」
「それは一体何ですか?」
「もちろん神位物や古代物質、果ては金銀財宝から出るマナの源流よ。あなたもそれくらい知ってるわよね?」
「前者の二つはともかく後者は知りませんよ…この銭ゲバめ」
そう悪態をついたミョルエルへと怒り半分嬉しさ半分といった表情を浮かべた少女は、抵抗ができないミョルエルの頬を若干強めにつつき始める。
「ちょ、ちょっと止めてください」
そう抗議の声をあげるも一向に止めようとしない少女だったが、ミョルエルの表情は険しいものに変わり質問を止めた様子に訝しんだ少女は、つつくのを止めミョルエルの顔をじっと見つめると、ミョルエルは静かに涙を流していた。
そのことに驚きの表情を浮かべた少女だったが、すぐに優しい微笑みを浮かべミョルエルの涙を拭う。
拭った少女の手へと弱々しく自身の手を添えたミョルエルは―
「どうして今になって会いに来たのですか…イシュタル様」
―声を震わせながら少女に問いかけた。
その問いかけに、少しバツが悪そうな顔をして少女は顔を逸らし一度ため息をついてから、再度ミョルエルへと視線を合わせた。
「本当にただの偶然よ。今の私は神イシュタルじゃなくて、魔神アスタロトだし天界の誰かと接触したっていいことないじゃない」
それがどういう意味なのか、と問いたげな表情をしながらミョルエルが身体を起こすと、少女―アスタロトはすっと手を伸ばしミョルエルの頭を撫で優しく微笑みかける。
その状況を懐かしく思うミョルエルは無意識に瞼を閉じ身を委ねるように身体の力を抜く様に、アスタロトもまた瞼を閉じ、程なくしてミョルエルのおでこをデコピンし悪戯っぽく笑い声を上げる。
「全くあなたは相変わらず抜けてるわね。まあそこが可愛いところでもあるんだけどね」
「な、なにするんですか!ここは感傷に浸るところじゃないですか!」
さして痛くもないはずだが、ミョルエルは両手の平でデコピンをされた場所を抑えながらにいうと、アスタロトは周りへとチラッと視線を移してから呆れた様な仕草をとりながら口を開いた。
「感傷に浸るもなにも、こんなところではムードにかけるじゃない。ひとまず場所を移しましょう、どこかいいところないかしら?」
そういいながらスカートに付いた埃を叩き払いながら立ち上がったアスタロトに続いて、ミョルエルも立ち上がり一度ため息をついてからとある場所を提案する。
「では、私がお世話になっている方の所へと行きましょう。イシュタル様が御存命であることもお伝えせねばなりませんし」
「あー、まあそうねそのことについては後で話しましょうか。…うん、じゃあ案内よろしくね」
さ、行きましょうとアスタロトは前を歩こうと一歩前へと出るが、向かう場所がどこか知る由もない。
その為か、ミョルエルへと振り返り目線でそこはどこなの?と問いかけるアスタロトに、ミョルエルはまたため息をついた。
「で、この方が昔ミョルちゃんがお世話になっていた上位神の方なのですか?」
依李姫はお茶を出しながらそう尋ねると、薄い胸を張りながら「えぇそうよ」と高々にいうアスタロトとは逆に、ミョルエルは「いいえ違います」と答えを返した。
「え?」
その事に目を点にした依李姫を置いて、アスタロトはミョルエルへと食って掛かるように身を乗り出す。
「ちょっとどういうことよ!色々と甲斐甲斐しくお世話してあげたじゃない、その恩を忘れたっていうのかこのおっちょこちょい天使!」
「『甲斐甲斐しく』という言葉の意味を調べ直して下さい。それに依李姫様が言っている方はトール様のことでイシュタル様のことではありません」
「何でそう言い切れるのよ?」
「答えは簡単です。私がイシュタル様についてお話したことがないからです。ということで依李姫様改めてご紹介させていただきます。こちら現在堕天中であられる元豊穣神イシュタル様で、現在の名はアスタロトと言うそうです」
「どういう紹介だそれは!」
そういって『元』というところを露骨に強調したミョルエルへと襲い掛かるアスタロトを尻目に、依李姫は手を合わせいつもと変わらない様子で笑いかけた。
「そうだったんですね~気配が魔神のそれと変わらなかったので少し身構えていたのですが、ミョルちゃんとも仲良さげなので心配する必要なかったみたいで安心しました」
「全く随分とのほほんとした神もいたものね。…まあそれだけ現代が平和ってことよね、いいことだわ」
そういって受け取ったお茶を飲み、あら美味しい、と小さく声を漏らす様子に依李姫は表情を綻ばせた。
「さて、それじゃあ次はこっちの質問に答えてもらいましょうか」
「構いません―と軽率にいうことは出来かねますね」
予想外の返答に目をぱちぱちと向けるアスタロトを視ることなくミョルエルは言葉を続ける。
「私の質問に答えてもらったことに対し、こちらも同等に応えることが礼儀だと思うのですが、まだイシュタル様があちら側と繋がっていないという確信を持てていないのです」
「あら、神域にお誘いしておいてそんなこと気にしてるの?ずいぶんと疑い深くなったものね」
「ここは既に他の魔神達に知られている場所ですからね、そこのところは特に問題ありません。そもそも今のイシュタル様にここの結界を破れる自身ありますか?」
ミョルエルのチラッという視線を受けてから、窓の外へと視線を移したアスタロトはじっと張られている結界を見る。
ややあって視線を戻したアスタロトはため息をついてから少し悔しそうに声を漏らした。
「ひじょーーーに残念でならないけど、私には無理ね。そもそも神域の結界に対しての認識が破るものとして見ることができないってのもあるけど、ここの結界かなり高度な術式で編んでるじゃない。このレベルだと破れる奴なんて数えるほどもいないわよ」
「………」
嘘偽りないアスタロトの言葉に、少し呆気にとられたミョルエルだったがわざとらしい咳ばらいをしてから言葉を続けた。
「そ、そうですか、であれば私の見立ても腕も間違いではないということですね」
「やっぱりあんたなのねこれ編んだの…まあいいわ、それでどうすれば私の質問に応えてくれるのかしら?」
そう問われ真剣に悩み始めたミョルエルだったが、依李姫から意外な提案が出された。
「うーん、やっぱりここは『契約』を結べばいいのではないでしょうか?」
「契約ですか?」
「はいー、契約であれば魔神であるイシュタル様は性質上破ることが出来ないはずです。といってもそもそも破る気などないとは思いますが」
「まあ余りにも理不尽な内容でなければ結ぶのもやぶさかではないわね。…うん、それでいいわ。そうと決まれば早速決めましょうか」
特に悩むこともなく依李姫の提案に乗った少女はミョルエルへと視線を向け、その視線を受けたミョルエルは口元に指を当て思考を巡らせ始める。
そして数十分程度しっかりと悩んだ末に、ミョルエルは自身の血を含ませたインクで以て内容を書き記していく。
「ふんふん…まあ要約すると危害を加えない事と情報を漏らさない事ってところね」
「いやそれは簡略化しすぎでは」
「大丈夫よ心配しなくても、とにもかくにもここに書いてあることを破らなければいいんでしょ?」
そういいながら、アスタロトは用紙をペシペシしながら軽くあしらう様な仕草を取る。
そんな様子に疑いの眼差しを向けたミョルエルだったが、その視線を気にも留めずアスタロトがサインを記した用紙を受け取り目を細める。
「それにしても何故『アスタロト』なのですか?」
「特にないけど、流石にイシュタルのままじゃ面倒だったから。あーでも呼ぶ分には今のままで構わないわよ。元々そこまであっちと関わりが深いわけでもないし、臨機応変にしてくれることが一番望ましいわね」
「そうですか…では日頃から間違えないよう『アスタロト』と呼ばせて頂きますね」
用紙を折りたたみながら、再会してからアスタロトへと向けた中で一番の笑顔でいったミョルエルは、その笑顔に対し抗議の声を上げるアスタロトを無視しながら用紙を空中に放ってから、ふっ、と息を吹きかけると、用紙は緑色の炎を纏い程なくして消えていく。
「はぁまあいいわ。それじゃあ質問に答えてもらいましょうか」
そう尋ねるアスタロトの目が静かに燃えている様に見えたミョルエルは、その目を見据えながら姿勢を正す。
「さて、とりあえずいの一番で聞きたいことなんだけど、今のトップって誰よ?終焉戦争で神は軒並みいなくなってるでしょ?それなのに大きく体制が変わった様子が見られないんだけど」
「そうですね…どう表現するべきなのでしょうか」
そう告げてからミョルエルは口を閉ざし、しばらく考えた後答えを出す。
「事実的なトップはルシフェル様ですが、組織的なトップでいえば『真神』様です」
「そう…まあよくよく考えたらそうよね、あいつは殺しても死なないだろうし納得いったわ」
そういってから一度天井を仰ぎ見たアスタロトは、微笑みながらも神妙そうな複雑な表情をしてから呆れたような表情へと変えた。
「あ、あの~そういえば私、真神様のことよく御存じでないのですが、どういったお方なのですか?」
「ん?真神?あぁーなんていえばいいのかしら、一言でいうなら『疑いの余地もない全知全能の神』かしら」
それ一言ではなくないですか?、という疑問が頭に浮かび口にしそうになったのを堪え、ミョルエルは代りとなる言葉を紡ぎだす。
「まあそうですね、昔はそうだったのですが今はそうでもないですよ?割と抜けているところがありますし、人間基準で見れば多分御一人だと日常生活すら危ういレベルです」
「はぁ、なによそれ。あいつそんなに落ちぶれたの?」
「ですね。真神様は神々の思想から生れた御方ですから。終焉戦争以降、支えとなる神々がいなくなってしまい、ある程度の力を失われています」
それとなくいったミョルエルは依李姫が出したお茶請けのお菓子を口へと運び、アスタロトもそれに続くようにお菓子へと手を伸ばす。
「まじで…もしかして今って返り咲く絶好の機会なんじゃ?」
半分冗談といったニュアンスを含めながらニカっと笑い、手に取ったお菓子を口へと放り投げたアスタロトだったが、何言ってんのこいつ、と云わんばかりのミョルエルの視線を受け「冗談よ…」とか細い声で呟いた。
そんなアスタロトの様子にため息をついてから一口お茶を飲んでからミョルエルは「他には何をお聞きしたいのですか」と問いかけた。
「そうね…といってもあれから世界を見て回ってある程度はわかってるつもりでいるし、取り急ぎ聞きたかった事は今聞いた事だけだったから…どうせ大半の神は今も眠ってるんでしょ?」
「…大半というより、終焉戦争に主だって参加された神々は全員今も眠りについておられます」
「え、てことはなに?今現役の神ってあの後生れた奴だけってこと?」
「そういうことになりますね。といってもそれは私が把握している範囲での話ですし、もしかするとどなたかはお目覚めになられているかもしれませんが」
そんな心にもない事をいったミョルエルの心情を知ってか、依李姫は視線を手元へと落としその表情は見えない。
だが何かいうこともなく、やがて上げられた顔には特にこれといった感情が込められている訳でもなく、口にした言葉は普段と変わらないものだった。
「ミョルちゃんおかわりいりますか?」
「はい、お願いします」
手にしていた湯のみをミョルエルが手渡すと、依李姫はいつもと変わらぬ微笑みを浮かべ静かにお茶を受け取った湯のみへと注ぎ、「はいどうぞ」と再びミョルエルへと湯のみを手渡す。
そんな様子をどこか訝しんでいたアスタロトだったが、一度瞼を閉じ思考を巡らせる。
以降、アスタロトは特に何か聞くことを止め、至って普通の日常的な会話が繰り広げられていた。
ぶっちゃけ第三章って一番短いんだよなぁ、とか思ってましたが意外と長かった気がします
あ、次が第三章のラストです
これではないです