第二章 『氷の大地』 その②
南極へと意気揚々と向かったミョルエルとミカエルだったが、眼前へと迫った光景に唖然としていた。
南極点を中心に吹き荒れる吹雪により、天使の目を持ってしても数m先すら見通せず、どういうわけか肌が凍てつく様な感覚に襲われ腕を擦ったミョルエルは、白い息を吐いてから真剣な面持ちでミカエルへと問いかけた。
「この状況、どう見ますか?」
「なんともまあこの光景、この感覚、『神代』を思い出すな。あの時は、『コキュートス』だったか?大勢の仲間が氷像にされたのは今も忘れられないな」
そういって拳を固く握りしめたミカエルだったが、大きく息を吸ってからゆっくりと吐ききって気持ちを落ち着かせてから、六翼あるうちの二翼を身に纏いそれを外套へと変化させ神々から授かった『神炎』を更に自身へと薄く纏わせた。
「…よしこれで大丈夫だろう。ミョルお前は―」
そういいながらミョルエルへと顔を向けたミカエルは、背負っていた大きなリュックから取り出したもこもこの可愛らしい防寒着や耳当て等を身に纏ったミョルエルがそこにいた。
「あぁ、私も大丈夫です。依李姫様が何かとお節介な方でして、『必要ない』とはいったんですが持っていなさいって買ってくれたんです。これに、『体温調整』の魔術を私自身に施せば―うん、問題なさそうですね」
動きやすさを確認するため体を動かすミョルエルを見つめるミカエルは―
(可愛すぎる…これは私の心のミョルアルバムに永久保存確定だな)
―と、まじめな顔でくだらないことを考えていたが、無言でいるミカエルの顔を覗き込んでから「どうしたんですか?」と尋ねるミョルエルの至近距離の顔もしっかり心のアルバムに保存してから「なんでもないよ」と言葉を返し前を見据えた。
「さて、帰ってからやることが増えてしまったが―この一件をさっさと片づけて、あのズボラ野郎に一喝いれなくてはな」
「…?はい、私も早くお兄様にお会いしたいです!」
ミカエルがいう『やること』について疑問を浮かべたミョルエルだったが、その思考を頭の隅に追いやってから明るい顔で返事をした後、二人は南極の地へと足を踏み入れた。
そこは、本来なら魔界にしか存在しない『魔素』が大気中を覆い、吹き荒れる吹雪には多分な魔素が含まれていた。
魔素と相反する『マナ』を体内に宿す天使に対し、本来感じるはずのない寒さを感じさせるには十分で対策を取らずに踏み入れていれば、瞬く間にその身を凍てつかせ死は免れなかっただろう。
「この吹雪、触れたマナを霧散させているな…全く、こんな不思議体験を二度もする羽目になるとはな」
「コキュートス。あの時は取り逃してしまった『神代の怪物』の一体。あの時と比べれば、味方の数も神様たちもいませんが何故でしょう…負ける気が一切しませんね」
そう確信するミョルエルは南極点から少し逸れた方角を指を差してから「あそこですね」と一言呟いた。
「あそこに…お兄様がいます。それと数名ですが人もいます」
「おーけーだ、なら早めに合流してこのうざったらしい吹雪の元凶を叩きに行くとしよう」
そういってから一歩踏み出したミカエルだったが、南極点の方角から迫りくる魔族の気配に気づきミョルエルに注意を促してから迎撃態勢を取るが、眼前に迫った数匹の下級魔族は嘲笑いながらにその手に持つ斧を大きく振り上げた。
「舐めるなよ雑魚が」
だが、一手早くミカエルは下級魔族達へと手を突き出し指を鳴らすと、それらは神炎に包み込まれ瞬く間に焼き尽くされた仲間の姿に、一瞬たじろんだ他の下級魔族達の隙をミョルエルが逃すわけもなく高速の剣閃が下級魔族達を切り裂く。
「『氷魔』か、まさか魔族も絡んでいるとはな。もしかしてこのうっとおしい吹雪もこいつらの―」
「いやはや、それは早合点が過ぎますな熾天使殿」
下級魔族達が道を空けた先には、その声の主であろう初老の人間のような見た目をした悪魔―初老の悪魔がゆっくりとミカエルへ向け足を進めていた。
「しかしまあ、少々目立ちすぎましたかな。これほどまでに長引く予定ではなかったのですが、さすがは神代の怪物といったところでしょうか。懐柔するまでに、三体もの天使の介入を許してしまうとは」
そういいながら腰に帯びていた剣を抜いた初老の悪魔は、周辺の魔素を集め自身の体と剣へと纏わせ口角を釣り上げた。
「だが、この任務に就いた甲斐があったというものだ、憎き熾天使を我が手で遣れるというのだからな!」
魔素を纏わせた剣を南極の地へと突き刺すと、初老の悪魔の周辺に積もった雪が大きく盛り上がってからミョルエルとミカエルに襲い掛かる。
視界一杯に雪崩のごとく迫る雪を、炎へと性質を変化させたマナを剣に纏わせ力いっぱいに切り払ったミョルエルだったが、その行動を読んでいたのか切り開かれた雪から突如姿を現した初老の悪魔に反応が遅れ首を掴まれ締め上げられる。
即座に炎を纏わせた剣を初老の悪魔の首へと振りかぶるが、剣は分厚い氷に阻まれ纏わせていた炎が霧散する。
(炎が消えた!―ということは、こいつの魔素の質が私のマナの質より上回っているということ。つまり―)
「ミカ姉!こいつの階級は少なくとも君主より上、加えて魔素の性質は『氷』―心当たりはありますか?!」
迫ってきた雪を神炎で振り払ったミカエルは、返答するために自身を呼ぶ声の元へと顔を向けるが、目の前に立ちふさがった上位悪魔に阻まれその声はミョルエルには届かない。
(一人でやれない事はないはず…ですが、今ここで使ってしまうと―)
「ふむ、邪魔だと思い先に始末しようと至ったのは正解でしたな。君は、どうやらあの方がいう『不確定要素』ということですな」
その言葉に驚きの表情をするミョルエルへ剣先を向けてから、初老の悪魔は言葉をつづける。
「であればここで消すのはもはや必須といえる。―ということでさようなら」
そういってから十二分に魔素を纏わせた剣先をミョルエルへと放つが、今まさに命を奪わんと迫る剣先はおろか自身にすら視線を合わていないミョルエルの様子に気が付いた初老の悪魔の次に目にした物は、宙に舞う自身の体と地と空が目まぐるしいほどに移り変わる光景だった。
やがて訳もわからないまま雪上へと叩きつけられた体を起こし、眼前に立ちふさがるもう一人の熾天使の初撃で吹き飛ばされたことを察した初老の悪魔だったが、次の瞬間達人の居合のごとく迫ったその熾天使の追撃を寸での所で防御する―したはずだった。
「ば、ばかな…確かに防御したはず…なのに」
気付けば後方へと吹き飛ばされ、まるで直撃を受けたかのような痛みが腹部を通じ全身へと広がるのに悶え、口からは血を垂れ流しながらにそういった初老の悪魔は、焦点が合わない視線をその熾天使へと向けた。
まるでこの世のものではないと言いたげなその視線を、熾天使は至って冷徹に無表情で受け止めるとゆっくりと口を開いた。
「名前は?」
そう無機質な熾天使の言葉に体をびくつかせる初老の悪魔は自身の末を悟った。
「だ、第45柱・ヴィネ」
「階級は?」
「!…」
そう問われ口を閉ざす『ヴィネ』の返答を待つ熾天使だったが―
「お前の階級次第では今後の対策を変えざるを得なくなるんだ。お前は強い、それは先ほどの攻防でわかっている。だから答えろ」
はやし立てるように再度問い直すが、青筋を立てるだけでヴィネは一向に口を割ろうとしない。
そんな様子を視て何かを察した熾天使は「そうか」と呟いた。
「その強さ、プライドの高さ―お前の階級は『王』だな」
その言葉にヴィネは遂に腹を括った。
(俺はここで死ぬ、だが―)
初老の悪魔は上空へと顔を向け、その体に巣わせていた魔素を放つ。
放たれた魔素は周囲の魔素を取り込みながら、魔界でのヴィネ自身の体を現界に構成し始め、やがて構成し終えた体は氷結の大地へと足をつける。
その姿は黒馬の足と体、首があるはずの場所には人のような筋肉質の体があり百獣の王と言われるライオンに似た顔をしていた。
両手には毒蛇を模した魔器を握っており、あふれ出る禍々しい魔素が滴り落ちる度音を立てながら地を溶かしてはその危険度を知らせている。
「ただでは死なぬ、その手足の一つでも頂戴しようか」
そう言い放ち、己を鼓舞するために雄々しい雄たけびを上げたヴィネに、内心関心しながらウリエルはミョルエルへと顔を向けた。
「ミョル、こいつは第45柱・ヴィネ、階級は王だ。奴にとってこの状況はまさしく好条件、奴の力はほぼ100%といっても過言ではない。私一人で挑めば無事ではいられない」
ミョルエルは耳を疑った。現時点で、正しく天界のトップといえるのはルシフェルとウリエルだろう。そのウリエルが無事ではいられないとあろうことか断言したのだ。
これまで数多くの悪魔達と死闘を繰り広げたミョルエルの目から見ても、間違いなくそれはこれまでの悪魔達と比べるまでもなく上。
自分は少し思い上がっていた―と心の中で悔い改め、決意した表情でミョルエルはウリエルへと顔を向けると、ウリエルは微笑みを返してから上位悪魔を倒し終えたミカエルへと視線を移した。
「すまないミカエル、ヴィネは私とミョルで引き受ける。その間私がいた場所にいる人間を守ってくれると助かる」
「―いいだろう、その代わりこれは『貸し』だからな。忘れるなよ」
言いたいことは色々あった。
それこそ、「横取りするな」「ミョルの前でカッコつけさせろ」「ミョルと一緒にいさせろ」等その他多数。
だが、それと同等にウリエルのほうが『都合がいい』ことも確かであると察し、渋々ながら身を引いたミカエルはミョルエルの頭を撫でてから「また後でな」と小さな約束を交わして、ウリエルが来た方角へと力強く白翼を羽ばたかせた。
瞬く間にその姿を吹雪の中へと暗ませたミカエルへ、聞こえないことをわかっていながら「はい、必ずまた後で」と言葉を呟いたミョルエルは向き直る。
相手は格上で、その実力は兄が『一人では』無事ではいられないと断言するレベル。
だがやらなくてはならない、そう再度覚悟を決めてから隣に立ったミョルエルの頭を優しくなでてからウリエルは口を開いた。
「あの武器には直接触れるな、恐らく二度と治らない。だが、お前ならやれる。天界一の『敏捷さ』を持つお前ならな」
「…さすがにそこまで思い上がってはないですが、お兄様がそういうのです。間違いはないかと」
お前ならやれる、その言葉が思いの他嬉しくつい頬が緩むのを誤魔化しながら、ミョルエルは手にマナを込め始め、ウリエルもそれに続くように手にマナを込める。
「待たせてしまってすまないな。そのお詫びと言っては何だが、私たち二人『全力で』お相手しよう」
そう傲慢ともとれる態度に表情をするウリエルと、その隣に立ち不安と自信満々の二つを合わせ半分で割ったような表情をするミョルエルに対し―
「是非もない」
―口元をニヤつかせたヴィネは武器を構える。
「準備はいいなミョル?」
「もちろんです」
短く言葉を交わし、一息開けてから二人は言葉を合わせ、それに呼応するかのように『神器』がその姿を現した。
「「神器顕現」」
遅れてしましました
ほんとうにごめんなさい