最終話
「さぁ、ついたな!」
アンジーが両手を広げ、胸いっぱいに空気を吸い込む。
青から水色へ、下に向かって濃淡を描く空。そのキャンバスにたなびく白い雲。
初夏の清々しい風。鮮やかな緑。谷下に覗く渓流のせせらぎ、きらきらと光る水面。
鳥や虫たちの鳴き声。
木陰に大きな織敷物を数枚広げた。
大きな日傘が角に四つ、中央を囲うように立てられる。
敷物の上に食器を並べれば、バスケットから料理が取り出された。肉料理やパン、果物が次々に載せられていく。
全員にグラスが行き渡り、ワインが注がれた。
「我々の友情に」
アンジーが音頭をとり、笑い声が続いた。
ワインを飲み、食事をし。各々の家族についてや、領地の近況、王都での流行、噂話と話題はめまぐるしく変わっていく。
歩けば汗ばむような陽気。丘の上を浚う風は草木の青さをはらんで薫り高く、心地よく。
空腹が満たされていけば自然と、あらゆるペースが落ちていく。
頂上にたどり着くまで坂を登ったこともあり、アボット侯爵夫人にアスコット子爵夫人、オルグレン婦人といったオルグレンの淑女達は、揃ってクッションに身を横たえた。
アボット侯爵とアンジー、エインズワース様は近くを探索に出かけ、アスコット子爵と前カドガン伯爵、アラン様は勉強小屋について語り合っていた。
わたしはと言えば、ピクニック始めにあった発奮の情動は落ち着き、探索に出掛けるほどではなく。かといって横になりたいわけでもなく。
ぼんやりと紳士方の教育論に耳を傾けていた。
「メアリーさん、アルファベットブロックで遊びましょ」
トランクから木製のブロック一式を取り出し、真珠姫が言った。
いくつかのブロックを取り出しては並べ、違う意味へとブロックを並べ替える。言葉の入れ替え遊び。
「懐かしい」
「ええ、そうね。メアリーさんは昔からこの遊びが得意だったわね」
ぽつりと呟けば、真珠姫が同意する。
「あたくしは苦手なのですけど」
そう言って、真珠姫はわたしの出した言葉遊びに眉をひそめて考え込む。
「だめ。わからない」
たった三文字の単純な単語。
それにも関わらず、あまりに早い降参に苦笑しながら、ブロックを動かす。
「一文字ずらして並べてくださいませ。いかがです」
「あら。『PEA』なのね」
「ええ。有名なアナグラムですわ」
『APE』を『PEA』に変えれば、真珠姫は感心したように息を吐いた。
「じゃあ、こちらはどうかしら」
挑戦的なまなざしをくれると、真珠姫はブロックを並べた。八つのブロック。
「『VIOYELOU』……意味がなっておりません」
「あたくし、なにがあろうと、決して口にはしないわ」
わたしの非難に真珠姫は応じなかった。
◇
再び全員が集い、誰が言い出したか。帰る前に、芝居『薔薇族の男達』のナンバーを皆で歌おうということになった。
オルグレン婦人がバイオリンを弾き、歌い終えた高揚のまま、輪になってポルカを踊る。
何周か踊るうち、人々は少しずつダンスの輪から外れていった。
アボット侯爵夫妻、アスコット子爵夫妻、前カドガン伯爵と真珠姫。この順で三組が抜けた。
ついには、エインズワース様とアンジー、アラン様とわたしといった四人の顔ぶれになった。
するとバイオリン奏者が替わり、オルグレン婦人から真珠姫へとバイオリンが渡る。
試し弾きのあと、真珠姫が奏でたのは、ギャロップの旋律。
手を打ち鳴らし、ステップを踏み、場所を交差し、手を繋いではくるりと回る。
陽気なリズムに合わせ、馬の駆け足のように軽やかに、飛んで、跳ねて。
「メアリー、ダンスは楽しくないか?」
わたしの腰を掴んだアラン様の手が、ぎこちなく止まった。
リズムから外れないよう、リフトしたわたしを下に降ろしながら、アラン様は気遣わしげに顔を覗き込んでくる。
「わたしのダンス、なにかおかしな具合になっていますか?」
「おかしいというか、いや」
困惑に眉を下げきって、アラン様はわたしを見ていた。
「ギャロップに変わってから、メアリーの視線があちらによく向くな、と。あの方がバイオリンを奏でられるとは。いや、俺も知らなかったが。うん、相当な腕前だな」
歯切れの悪いアラン様の口ぶりに、ああ、と気がつく。
「少し考えごとをしていたのです」
「考えごと?」
「ええ。言葉遊びですわ」
「言葉遊び?」
「なにがあろうと、決して口にはされないのですって」
「なにをだ?」
『V』『I』『O』『Y』『E』『L』『O』『U』
並べられた八つのブロック。
たった三文字で降参するような根気のなさでなければ、誰だってすぐに気がつく。
『I LOVE YOU』
愛してる、なんて。そんなことを。
「さあ、なんでしょうね? とても難しいのです」
「――言葉遊びが?」
わたしがドレスの裾をつまんでひらりひらりと翻し、ステップを踏めば、アラン様が手拍子を打つ。
「それとも」
バイオリンを肩に載せ、ギャロップの陽気なリズムを奏でる真珠姫へと、アラン様が視線をやる。
「何か他にもあるように見えるな」
口元には微笑みが浮かんでいた。
両手を交差して繋ぎ合う。
二人揃って前へとステップで進み、高く掲げた手を起点にくるりと回る。ドレスの裾が空気をはらんで膨れ上がった。
ちらりと隣に目をやれば、同様にアンジーのドレスも広がっていた。
「アラン様!」
「なんだ?」
手を取り、互いに一歩進み、体を寄せ合う。
「愛しています」
そのままアラン様の頬に手を当て、口づけた。
驚いたように見開かれた、銀色の瞳。それがすぐに、柔らかく細められる。
目じりには優し気な愛情のにじむシワ。そこへと指でそっと触れて、なぞる。
「俺もだ。メアリー、俺の最愛」
くちびるに吐息がかかり、再びくちびるが重なる。
「愛してる」
腰を引き寄せられ、きつく抱きしめ合い、二人一緒になってくるくると回転する。アンジーとエインズワース様の笑い声が上がった。
アラン様と抱き合いながら隣を見れば、彼等もまた身を寄せ合い、幸せそうに笑っていた。
ギャロップが終われば、アボット侯爵が思いもよらぬ、素晴らしい腕前のバイオリンを披露し、カドリーユへとダンスは移る。
アスコット子爵とオルグレン婦人、前カドガン伯爵に真珠姫の四人が加わり、スクエアを作って踊った。
バイオリンと手拍子、ときどき声援がかかっては、わたし達踊り子を囲んでいた。
夕暮れまでわたし達の笑い声は高く響いた。
(「愛してるなんて言うから」 完)
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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空原海