イーサン・オルグレンの仲立ち 4
ワンコロはすっかりいじけてしまった。しっぽを丸めて後ろ足で挟み込んでいる。
仕方ない。年長者としてガキンチョの面倒は最後まで見なくてはと覚悟を決めたところ、ポリーが頓狂な声を上げた。
「あらまぁ。閣下まで。あたくしには、それほど嘆く必要はないように思えますわ」
「君には聞いていない。これはオルグレン一族の話だ」
しょぼくれていたはずのワンコロのくちびるがめくれ上がり、威嚇の唸り声が上がった。
「あらそう。そうでしょうけれどね。いい加減に長いのよ、あなた方一族のお話」
ポリーは冷たくあしらった。
「渦中にいる方ですと、どうにもお話が長くなってしまうのですわ。ですからあたくしが簡単にまとめて差し上げます。よろしくて?」
「よろしくない」
性懲りもなく、セシルは憎々し気にポリーを睨んでいる。
「まあまあ。外部の声も聞こうじゃないか」
セシルの右肩に腕を回し、「これだから俺たちは閉鎖的だって言われるんだぜ」と耳元に囁いた。
奴は鬱陶しげに俺の手を押しのけると顎を引き、ネバネバ粘液に身を包んだカエルでも載せていたかのような顔で右肩を見た。
「セシル、あなたギルがお嫌いなのでしょ?」
「なにをいまさら」
「ええそうよね。だのにあなた、おかしなことばっかり」
セシルは眉をひそめた。残りの炭酸水を飲み干し、ポリーがグラスを掲げた。
「ご自身の発言を思い返してご覧なさいな」
「なんのことだ」
「『僕がかき回さなければ、今頃、二人は夫婦として穏やかな愛を育んでいたのに』。あらあら、そうですの? ずいぶんとギルをお認めなのね。
ギルがスカーレット様ただお一人を真摯に愛すると確信するならば。そうであれば、愛しのお姉様を任すことまで許せるということかしら」
首を傾げるポリーに対し、セシルの眉間の皺が深まる。
「こうもおっしゃったわ。ギルがなんでも持っていると、そう思われてらしたとか。『誰からも好まれる穏やかな気質も、多くを受け入れる余裕も、罪を犯した者でさえ許す器の大きさも』。
まあ! ギルの善良さについて、素晴らしく褒めてらっしゃるわ!」
いたたまれなくなったのか、ギルバート坊ちゃんが「ポリー」と声をかけ、間に入ろうとした。
ポリーはにっこりと笑い、空のグラスをギルバート坊ちゃんに押し付けた。
「『ギルはお人よしが過ぎる』。ええそうね。その通りだわ、セシル。あなたったら友誼に厚い方でらしたのね。陋劣な悪女、あたくしという毒婦からギルを救おうとまでなさった」
ポリーはそれまでの挑発的な笑みから変えて、穏やかに微笑んだ。
「あたくし次のように思いますの。閣下が嘆かれていらしたことについて」
「私が?」
セシルから変わって話を振られ、驚いてポリーを見れば、彼女は頷いた。
「『単なる関係構築ではなく、信頼関係の構築こそが重要である』。閣下はそれをセシルに説くことが敵わなかったとおっしゃいましたわ」
「その通り」
「ですが、いかがでしょう。セシルのギルへの賛辞を振り返ってご覧になって」
「ああ、確かに。そうですな」
ポリーと俺とで目を見合わせ、ニヤリと笑った。レティはスティックパイを食べ終え、ワインとスティックパイ、二つの空きグラスをそれぞれ手にしていた。
セシルはうつむいた。
「――ギルが善良で誠実だなんてことは、そんなことは昔から、わかっているんだ」
悔しそうに小さく呟いたセシルに、ギルバート坊ちゃんは慌てて首を振った。
「私は、セシルの言うような出来た人間ではない」
「過ぎたる謙遜は、美徳ではない」
「謙遜ではない」
セシルは苛立ちあらわにギルバート坊ちゃんを睨みつけた。
額をなであげ、ギルバート坊ちゃんはゆっくりと息を漏らした。
「私はレティに酷い言葉を放った。酷い態度を振る舞った。レティも覚えているだろう」
グラスを包むレティの指が血の気を失う。
ポリーは寄り添おうとしてやめた。代わりにセシルがレティのグラスを取り上げ、給仕に押しやってから肩を抱いた。
「長年の婚約者であるレティを裏切ったばかりか、婚姻してなお、その当初より夫としての義務を果たしてはいなかったのに、私は自身の不義理を棚に上げ、あなたを詰った。人として許せないとまで。そんなことを」
「いまさらだわ。蒸し返すことはないじゃないの。もういいの」
青ざめていくレティの肩をさすり、セシルが水を差す。
「何が言いたい? こちらが悪い、そちらが悪いと、互いに卑下し合い、あるいは罵り合い、ダンスフロアに円形闘技場でも築く気か? 古代帝政期は疾うに去りし過去だぞ」
ギルバート坊ちゃんは言葉を詰まらせた。ポリーが眉をあげる。
「ええそう。それでよろしいのじゃなくて? セシルだって散々好き勝手おっしゃったじゃないの。ギルにだって言い分はございますのでしょ」
ポリーはその細い腕を、ギルバート坊ちゃんの腕にするりと絡ませた。彼は縁にオレンジの刺さったグラスを二つ手にしたままだった。
ポリーとギルバート坊ちゃんが飲み干した炭酸水。グラスの中身は空。
「地上での品なき闘技はお厭、貴族らしく騎士らしくとおっしゃるのならば、馬上槍試合でもなさればよろしい」
これにはセシルが口をつぐむ番だった。
ポリーは「どうせならば、何もかも吐き出してしまいなさいな」とギルバート坊ちゃんの手を叩いた。
水に飛び込む勇気が持てず、川っぺりでぐずぐずしているみじめったらしい息子を促すようなポリーの励ましに、ギルバート坊ちゃんは苦笑した。ついでとばかりに手にしたグラスをポリーに指摘され、彼はようやくグラスを給仕に手渡した。
どうにもこうにも女は強い。
感心して眺めていれば、ギルバート坊ちゃんは深く息を吸い込んだ。
「私はもちろん、セシルにレティ。あなた達姉弟を憎み、恨んだ。ポリーを傷つけられたと知れば、それが当然の権利であるかのように。あなた達を非情で、むごい人間だと断じた。とくにレティ。あなたはポリーに同じ、女性であるはずなのに、と」
「その通りだわ……」
レティの様子といえば、首に輪っかになった縄を掛けられ、さあ今すぐ死刑執行台から飛び降りろと命じられたかのような有様だった。
ポリーが震えるレティの手を取った。それを見たセシルは嫌そうに目をすがめた。
「だが、ポリーがそれ以前に先んじて、セシルの奥方にへと復讐を為していたと知れば、ポリーに同情し、寄り添った。婚約予定の、恋する男を奪われまいと先手を打ったのであろう、それも致し方ないと」
「致し方ない?」
ワンコロが噛みつく気配を見せたので、その口に葡萄を一粒、突っ込んだ。
セシルのくちびるの端から汁が垂れ、レティがハンカチを差し出した。
「すまない。セシル。君の奥方をよく知りもせず、私は勝手なことを言っているのだと理解はしている。だが」
「ギルと僕。立場が似ているとでも言いたいのか?」
ギルバート坊ちゃんは頷いた。
「セシルも私も。我々は信念より、正義より、道徳より。何を差し置いても、愛する女性の支えでありたいと願う、身勝手で傲慢な、愚かな男に過ぎない」