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イーサン・オルグレンの仲立ち 3

 なるほど、野犬には肉だ。


 よって俺は、正義と善意の使命のため、給仕にステーキをぶ厚く切ってくるよう伝えた。

 セシルが変な顔をした。


「腹が減っているのか? イーサン」


 おまえの分だよ、ワンコロ。


 微笑んでセシルにステーキ皿を押しやれば、押し返された。


「いらない」

「そうか」


 残念だ。


 一口で平らげ、皿を給仕に渡し、口の中に残った肉の切れ端をワインで流し込むと、セシルが「それで?」というように腕を組んで睨んでいた。

 「待て」のできる野犬のようだった。


 ならば夜会への参加資格は充分だ。君よ、来たれり!


「食べ終わったな、イーサン。それで、貴方の言い分は聞かせてもらえるんだろうな」

「俺が若く、意欲的で魅力溢れる青年だったがゆえの罪だという話をしたじゃないか」

「さっきのはなしだ。聞かなかったことにする。あれは酷い。言い直せ。きちんとした弁明を求める。それともイーサンは事実、それほどまで能なしの考えなしだったというのか?」


 まるで飼い馴らされた従順な犬のように、セシルは俺を待ったのだった。

 たとえ奴の口ぶりが、尊敬すべき寄親に向けるはずの礼儀を欠いていたように思われたのだとしても。


 一方俺は、野犬であろうが飼い犬であろうが、そもそもが特大爆弾を抱えていると明白であったワンコロへ招待状を送ったのである。

 ホストとして礼は尽くさねばなるまい。さあ、さて。


 というわけで俺は、誠意をもってセシルに向かい、肩をすくめてみせた。


「政治的に大事にしなければならない公女を手酷く扱った過去を持つ、信じがたい阿呆のオルグレンの人間とて、他の一族の人間ともうまくやれるんだぜとか。レティを使って証明してやろうだとか。そんなことまでは考えちゃいなかったよ」

 そこまで弁解してから、レティを見た。

「ただ、レティの入れ込みようは、なぁ?」


 同意を得んと問いかければ、レティは気まずげに目を伏せ、ワインを含んだ。追加戦力ならず。


「姉さん曰く、ギルを信用しなかったそうだけど?」

「なんとまあ!」


 裏切られた気分である。


 セシルは勝ち誇ったように顎をつきあげた。

 おかげでよく見えるようになった奴の鼻の穴に、スティックパイを突っ込みたい衝動に駆られた。


 近くで軽食を持ってウロウロしている給仕を呼び止め、スティックパイを受け取った。


「断っておくけど。僕はそれ、いらないからな」


 グラスから抜き取った一本のステイックパイ。セシルの鼻先に向けると、奴は鼻にしわを寄せて身を引いた。

 冷酷なセシルの拒絶により、哀れスティックパイはセシルの鼻の穴に突っ込まれず、俺の口の中に突っ込まれることになった。


「そうかい。レティの屈折がそれほどとは知らなかった」


 普段のレティの馬鹿さ加減から、よっぽど単純だと思っていたなどと口から飛び出そうになり、オルグレン一族の長としては威厳を保つため、スティックパイをもう一本食べることでこらえた。


 流し込んだステーキ肉とスティックパイが、先んじて待ち構えていたであろう酒でふやけて膨らんで、我が胃袋では所狭しと領地争いが繰り広げられていた。

 追加のスティックパイが入る余地はどこにもない。


 しかしレティがじっとりと物欲しそうな目つきでこちらを見ていた。スティックパイが欲しいに違いない。

 俺は騎士道精神を発揮して、スティックパイ入りグラスをレティに与えた。


 解放された両手を清々しい気持ちで眺め、指先についたカスを優雅に払い落とす。


「とはいえ、当時のレティのギルバート坊ちゃんへの執念は、オルグレン一族の呪い、因果。なんでもいいが、それらを容易に超越するように見えたんだがな」


 俺の安直な楽観的見解というだけでなく、先代、先々代アスコット子爵らもそうであったろう。いややはり彼等もまた、俺以上に希望的観測を手放せなかった故なのかもしれないが。


「それにまぁ。セシルの親父さん達だって、レティがうまくやれることを望んでいたんだ。いや、コールリッジ家との約束だけじゃなくてさ」


 嘲りでくちびるを歪めるセシルに、発言制止の手をかざした。


「セシル、おまえにもだ。親父さん達は期待していたんだぜ、きっと」

「僕に?」

「そうだ」


 セシルは眉をひそめた。レティはスティックパイを齧りながら頷いた。


「カドガン伯爵領にて彼ら一家と交流を深めることで、研鑽(けんさん)を積むこと同様に、セシルに希望を託したんじゃないか。オルグレン家の、この血に執着する()()を手放せるようにな」


 先々代アスコット子爵――つまりセシルの祖父は、ここぞという一大事で、オルグレン一族が長であるアボット侯爵――つまり俺の祖父に裏切られた。

 そんなセシルの祖父に救いの手を差し伸べたのは、当時のカドガン伯爵――いわんや、ギルバート坊ちゃんの祖父君だった。


 血縁故の盲目な信頼より、共に過ごす時間が築き上げる信頼にこそ価値があり、また発展性があるのではないか。


 セシルの祖父が、そのような考えに至ったとして少しも不思議ではない。

 それがゆえ、カドガン伯爵より支援を受ける口実のため、渋々にというだけでなく。

 オルグレン=アスコット家の幸福と栄華を願い、子孫のいずれかの女子をコールリッジ家へ差し出すと、そのような約束を受諾したのではないだろうか。


 血に執着するが故、衰退していったほどのオルグレン一族。その一族の男。

 それもアスコット子爵ほどの地位にあり、誇り高き人物が、自身直系の子孫を以って、他家の人間と血を交わらせることを良しとした。


 そこに込められたオルグレン=アスコット家の意図、願い。


 かつてカドガン伯爵領がカントリーハウスにて、セシルらの教師を務めながらも、俺はその恵まれた機会を生かせなかった。

 単なる関係構築ではなく、信頼関係の構築こそが重要であると。

 伝えるべきことは、それであったのに、セシルに説くことが敵わなかった。


「まぁ、結局のところ、俺も含め、オルグレンの誰もが血の呪いには打ち克てなかったわけだが」


 セシルはうなだれた。

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