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イーサン・オルグレンの仲立ち 2

 セシルは立ち直ったのか、レティに恩赦を与えるかのように、いかにも情けなげな笑顔を最愛の姉へと差し出した。

 その顔つきといったら酷かった。

 酷いなんてものじゃない。そんな言葉では生やさしい。


 アスコット子爵領で狩った獣の、うっかり忘れ去られた末に、解体するまで日数をおいて、その腐った肉を慌てて調理した結果、鼻をつまみながら無理やり腹におさめた、それらを稀代の英雄並みに見事成し遂げた後と、まるきりそっくりな顔をしていた。

 これは空想の比喩ではなく、事実セシルと俺で、昔に経験したことである。


 間抜けな少年であったセシルと俺の当時を、レティが思い出したのか、そうでないのか。


 セシルの青い顔が気になったようで、「あなたが私に懸想していただろう、とかそんなことは考えていないのよ。私もお父様も、お祖父様も、誰も。神に誓って。ええ、それはないわ。これまで一度たりとも」と慰めの言葉をかけた。

 慰めのつもりなんだろうな、レティは。


 一度たりとも考えたことのないはずなのに、なぜそのような発想が口から飛び出たのか、レティには是非とも解説してほしい。

 どのような答えが返ってくるかは想像はつくが。大方、ポリーに責任がなすりつけられるのであろう。

 客室における、セシルとポリーの言い争いを引き合いに。


「やはり禁断の愛という麗しくも穢らわしい恋慕でも抱いてらしたのかしら」というポリーの野次について。


 あのときレティの脳内では、耳元でブンブン元気に飛び回る、うるさい羽虫を叩き落とすがごとく、即座に否定されたのだろうが、しかし疑念が浮かび上がり、不快なしこりとなって残っていたからこそ、これらの疑念を打ち消そうとセシルに言ってみせたのだ。


 レティにとってはそれが正当な真実だ。


 わざわざ問題を掘り起こしては否定してみせるというレティの慰めに、セシルは多少なりとも傷ついたろうが、えてしてレティは馬鹿なのだ。仕方ない。

 そこがレティの可愛いところでもある。


「仮に僕がそうであったなら、汚らわしいことこの上ないな」


 セシルは目を(すが)め、ポリーに向かって憎まれ口を叩いた。


「同じ穴の(むじな)ではなくて、ようございました」

「まったくだ」


 セシルとポリー、二人の火花の飛び交う様子、正確に言えば、セシルの罵りようについて、ギルバート坊っちゃんが静かに怒っている。目が据わっている。酒のせいだけではあるまい。


 しかしながらギルバート坊っちゃんの怒りはもっともである。


 ギルバート坊っちゃんからすれば、レティとセシルについて――特にレティにおいてだろうが――罪の意識があるとはいえ、この姉弟こそがポリーを奈落の底へと突き落とした地獄の使者でもあるのだから、よくぞここで恨みを抑え込んでいると、彼の寛大な理性は称賛に値する。


 とはいえ、他招待客と(へだ)てた密室ならばともかく、舞踏会開始直後の(いさか)いを経て、ようやく華やかなパーティーらしく盛り返し、いよいよフィナーレというこの会場で、再び大戦が勃発しては、非常に困る。

 重火器の持ち込みは禁止である。かといって剣やら槍やらを許可するつもりもないのである。

 なにせ俺のアボット侯爵として、初めての大規模な催しなのだ。


 酒に美しい女に音楽やダンス、野次馬たち垂涎(すいぜん)の一品なる痴情のもつれ程度ならば、麗しい余興として最適だ。

 だがしかし、大地を切り裂く本格的な大戦争となれば、荒れ地を作り出すばかりで、禍根(かこん)と損害しか残さない。


 このあたりでポリーには戦線離脱してもらわねば。


 そんなことを考えたところで、ポリーは俺に水を向けた。


「けれども、セシル。あなた、スカーレット様とギルとの婚約解消について、アボット侯爵より反対にあわれたとおっしゃらなくて?」


 パチパチと目を瞬き、これでもかと驚いた様を示す、ポリーのまんまるまなこ。

 当てこすりバッチリだ。


「あらまぁ、おかしなこと。閣下とて、オルグレンの方。それも直系でいらっしゃる。よくよくご存知でいらしたでしょうに」

「確かにそうだ」


 セシルは頷いた。


「そうと知っていたなら、なぜイーサンは姉さんとギルとの婚約をそのままにさせようとしたんだ」


 ポリー一人へ向かっていたセシルの槍が、俺に向けられた。

 矛も構えていない丸腰相手に、無情すぎやしないか。


 だがセシルの糾弾は、ますます嘆かわしいようになった。


「姉さんだってオルグレンだ。つまりは姉さんもやはり、オルグレンではない他人を受け入れないんだろ? オルグレンではないギルとの婚約を、僕が解消させようとするのを、貴方は止めたじゃないか」


 実際のところ、俺の反対なんざ、かけらも制止力にならなかった。が、止めはした。

 理不尽な責めを受けているようには思うが、事実は事実なので認めよう。


「一族のケチのつき始め、昔々の降嫁してきた公女の話を覚えているか?」

「ああ。王家と深く縁付こうと婚姻を為したのに、当代は彼女に子を産ませるだけ産ませて、出産で弱った妻に医者もつけずに見殺しにしたとか」


 セシルは不満顔で頷いた。


「そうはいっても、実際、どうだったかなんてわからないじゃないか。当時を知る人間など、誰一人生きていない」

「まぁそうだ。裏もなく単純に、お産で儚くなってしまっただけで、当時の敵対勢力に流された、悪意ある噂というだけの可能性もある」


 同意してやれば、セシルは「それで、イーサンの言い分となんの関係が?」と苛立った様子で詰め寄ってきた。


「事実かどうかより、それがオルグレンの歴史として伝えられているだろ」

「そうだな。それで?」


 セシルはつまらなそうに相槌を返した。だからなんだ、という声がいまにも聞こえてきそうだ。


「それはまぁ、だから、俺も若かったんだ。反発心があったんだよ。オルグレンの血に負けてなるものかっていう。そんな呪縛が一族に今後もついて回るのは気に入らねぇ、俺がぶち壊してやる――おい、落ち着け。悪かったって」


 今にも噛みつかんばかりの、セシルの憎々しげな顔つき。まるで野犬だ。

 ぐるぐる唸り声まであげてやがる。ヨダレを垂らしてキバまで剝いてるじゃないか。そのうち目までも光りそうな。いや、すでに爛爛と不穏だ。


 ちゃんとリードに繋いでおいてくれよ、レティ。

 今はおまえがセシルのマスターなんだぜ。


 紳士淑女の集う夜会に野犬を解き放つのがルール違反だというのは、オルグレン一族唯一の、鉄則の掟である。

 遵守(じゅんしゅ)してもらわなくちゃ困るってものだ。

 品行方正でよく知られるオルグレン一族の品性が疑われるじゃないか、なぁ。


 レティに視線をやって助けを求めれば、しかしレティは、ひたすらにオロオロとうろたえていた。

 一族の長は俺だということだな、レティ。仕方ない。よしきた、了解だ。


 一人寸劇を一通り、胸中繰り広げてから、セシルに向き合った。いまだセシルは唸っていた。

 いや、本当にヤツは野犬じみている。

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