表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/96

36 尻尾を巻いて逃げる

「オルグレン一族が衰退した理由のひとつだな」


 ジャケットの内側から時計を取り出し、もてあそびながらアボット侯爵が言った。

 オルグレン婦人が小さく頷く。


「イーサンはオルグレン一族きっての変わり者だから、それなりの交友関係を築いたけれど」

「それなりなぁ。言ってくれるな、レティ」

「何を言うの。他家と縁を繋げば、一族の興隆にもっと効率がよかったはずなのに、イーサンが奥方に迎えたのも、結局はオルグレンの人間だったじゃないの」


 責めるようなオルグレン婦人の口ぶりに、アボット侯爵は「おっと」と手を挙げた。


「藪をつついちまったな。俺のことはいいよ。俺はそろそろ会場に戻る」


 アボット侯爵は手にした懐中時計を反対の手で指差し、その文字盤を周囲にぐるりと見せつけた。中指から垂れる鎖がしゃらりと音を立てた。


「まったく、今夜ほど静かで穏やかな夜はないな。素晴らしいデビュタントボールだ。俺のホストぶりが冴え渡ってる」


 慇懃な礼とともにアボット侯爵が部屋から出ていく。ぱたりと閉まった扉に向かって、オルグレン婦人は「逃げたわね」とこぼした。


「僕もイーサンのあとを追いたい」


 ぽつりと呟くアスコット子爵を、オルグレン婦人がきっと睨めつける。


「私が帰らせてと頼んだときには、引き留めて、散々好き勝手、昔のことを話し始めたというのに。セシル! あなたまで!」

「いや。僕は引き留めていない。姉さんと一緒に帰ろうとしていたよ」


 アスコット子爵は慌てて否定し、オルグレン婦人をなだめにかかった。


「レティを引き留めたのは先生――アボット侯爵だったな」

「加えてスカーレット様生涯の天敵、憎らしいあたくしの登場でしたわね」


 のんびりと頷き合う前カドガン伯爵と真珠姫をしり目に、アスコット子爵は歯噛みした。


「イーサンめ。やつがお膳立てして勝手に始めたくせ、尻尾を巻いて逃げやがった。とっつかまえてぶん殴ってやる」

「まあまあ。それはあとで存分になさいませ」


 アスコット子爵が手のひらに拳を打ち付ける、乾いた破裂音。真珠姫の機嫌よさげなコロコロとした笑い声。

 舞台で演じられていた風刺喜劇は、道化芝居へ。これまで張りつめていた重く陰鬱な深刻さに代わって、室内が温かく和らいだ熱に包まれた。


 そこへ落されたオルグレン婦人の声は氷のようだった。


「あなただって同じことよ、セシル」


 もっとも、ワインクーラーの中でほとんど溶けかけているような、丸まって小さな氷だけれど。

 オルグレン婦人は目を細めて続けた。


「アランとギルの茶番劇のせいで、会場では落ち着いて話もできないからと。そう言って、メアリーさんをこちらにお誘いしたのは、どうぞこれからもよろしくと改めて手を取り合うためだったのに。セシル、あなたが言ったのでしょう。今後は親族つき合いをよくしたいから、その挨拶のためだって。それなのに」


 なるほど、そういうことだったのか。


 アスコット子爵とオルグレン婦人に呼び止められたときは、どんなお話だろうかと覚悟を決めていたけれど。当初、オルグレン婦人の予定としては、とても平和なものであったらしい。


 いつの間にやら、ここまで複雑に入り乱れた告白劇となってしまった。


 アラン様が疲れの滲む声で、「まぎらわしい」と小さくつぶやいた。

 「アスコット子爵とオルグレン婦人も共にいる」という、わたしからの言付けを使用人から聞き、アラン様はきっと、ずいぶん心配してくれたのだろう。

 少しばかり申し訳ない気持ちになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ