35 姉さんは、恨んでいないの?
オルグレン婦人はアラン様を見て頷いた。
アラン様が手を差し出す。その手を支えにゆっくりと立ち上がると、オルグレン婦人はアラン様から離れた。アスコット子爵に近寄り、子爵の肩を小さく叩く。
「セシル。わたしのためにあなたが尽くしてくれたことには、これまでも感謝してきたわ。そして申し訳なくも思ってきた」
言葉を失ったままのアスコット子爵に、オルグレン夫人が言葉をかける。アスコット子爵は茫然とした様子で、オルグレン婦人へと振り返った。
オルグレン婦人は絹のハンカチを握りしめ、決意を固めたように唇を噛んだ。
「もし。もしセシルがまだギルや、彼女――メアリー夫人を許せないのなら、わたしも彼等に打ち明けなくてはならないわ」
「許せない? 僕が? ギルを? この女を?」
戸惑うようにアスコット子爵が、オルグレン婦人の言葉を繰り返す。それからためらいがちに言った。
「姉さんは――姉さんは、恨んでいないの? 彼等をもう、許したと?」
「許したとは言えないわ」
きっぱりと断るオルグレン婦人に、真珠姫はおもしろそうに口の端をあげ、振り返って前カドガン伯爵に目をやった。アボット侯爵も同様、おもしろがっている様子で前カドガン伯爵を肘でつつく。
前カドガン伯爵は困ったように首を傾げた。
私とアラン様は目を見合わせた。
アラン様の困惑している様と、そしてその困惑したアラン様の瞳に、同じく戸惑うわたしの顔が映り込んでいた。
――この裏事情暴露の喜劇は、いつまで続くのだろう。
アラン様とわたしは、奔流に押し流される、哀れな小型船のようだった。
いまだ続く舞台に目を向ければ、オルグレン婦人が苦しそうに言葉を振り絞っていた。
「けれど、私達姉弟にも、恨まれる理由があるわ」
「それはそもそもギルが――」
反射的に目を吊り上げ、険しい声を上げるアスコット子爵。その胸を、こどもをあやすような手つきで、オルグレン婦人が叩いた。
「聞いて、セシル」
アスコット子爵は口をつぐんだ。
仲の良い姉弟の様子に、アボット侯爵は、前カドガン伯爵に向かって肩をすくめた。
ことさら咎めようというほど、神経質な素振りではなかったけれど、おどけた調子で、この通りだ、というように、手を振って二人を示す。
前カドガン伯爵は苦笑いで頷いた。
「セシル、あなたが奥様をアスコット子爵領に連れてきたとき。あのときは本当に驚いた。なぜって」
眉をひそめるアスコット子爵に、オルグレン婦人が首を振る。
「彼女の身の上が理由じゃないわ。そんなことは、私もお父様も、お祖父様も、たいした問題だとは捉えていなかった。私達家族が慄いたのは、彼女が――あまりに私に似ていたから」
アボット侯爵が大仰に目を見開いてみせた。
前カドガン伯爵は真珠姫に労わるような眼差しを向ける。真珠姫はにっこりと笑った。
「ギルが私達、オルグレン=アスコット家に家族を求めたように、私達家族の結束は固かった。セシルと私。姉弟の仲は、とてもよかった。家族に憧れていたギルでなければ、きっと薄気味悪く思うほどに」
オルグレン婦人が言葉を切ると、すかさず真珠姫が割り込む。
「ええ。スカーレット様のおっしゃる通り。少々異常でしたわ」
「あなたに言われたくない」
あからさまにからかう口ぶりの真珠姫をオルグレン婦人はきつく睨み返し、かと思えば、肩を落とした。視線もまた床に落ちた。
「いえ、でもそう。私もわかっていたわ。セシルがあまりに私の都合のいいようにばかり、物事を捉えること」
またもや反射的に異を唱えようと口を開くアスコット子爵の目を、顔を上げたオルグレン婦人がまっすぐに見つめた。
「セシル。オルグレン家の人間は、とても閉鎖的だわ。私達は一族の人間以外を、信用できず、心から愛せない」