31 諸悪の根源は
「つまり、そうか。そういうことか」
どこか狂気を孕んだアスコット子爵の様子。目は見開かれ、口は極限まで吊り上げられ、左の手を額に、もう片方を腹部に。
「やはり僕が諸悪の根源だ! 僕が! 僕がかき回さなければ! ギルは姉さんを愛していたのに! 今頃、二人は夫婦として穏やかな愛を育んでいたのに!」
「俺はおまえにそう言ったじゃねぇか」
アボット侯爵がアスコット子爵へと足を踏み出す。アスコット子爵は前カドガン伯爵から離れ、張り付けような笑顔を浮かべた。
子爵がアボット侯爵に両手を広げる。
「そうだ! イーサンは僕に言った! 姉さんはバカだから、カドガン伯爵夫人にしてさえおけば、幸せになれると!」
「落ち着けよ……」
アスコット子爵の背を撫でようとしたのだろう。伸ばされたアボット侯爵の手。
だがそれは、アスコット子爵によって払われた。
「落ち着いてるさ。これ以上なく冷静だ。ギルは家族を求めていた。それは僕だって知っていた。当時のカドガン伯爵邸で生活を共にし、ギルの様子を見ていれば、それくらいわかるさ」
アボット侯爵は困ったように首の後ろをかき、それから前カドガン伯爵へと振り返る。
前カドガン伯爵は頷いた。
「ギルはなんでも持ってると思っていた。富んだ領地も、領主としての優れた才も、誰からも好まれる穏やかな気質も、多くを受け入れる余裕も、罪を犯した者でさえ許す器の大きさも、男らしい容貌も。なにもかも」
「――買い被りだ」
前カドガン伯爵がアスコット子爵へ近寄る。
「ああ、買い被っていたんだ、ギル」
アスコット子爵はくしゃりと顔をゆがめた。
「ギル。おまえは、男女間の愛を求めていたのではなかったんだ」
前カドガン伯爵がアスコット子爵の目の前に立つ。
「おまえは家族を求めていたんだな?」
「……ああ」
「男女の恋愛より、なにより」
両手で顔を覆うアスコット子爵。前カドガン伯爵はためらいがちに、アスコット子爵の背へ腕を回した。
「ギルが望んでいたのは、オルグレン=アスコット家と温かな情愛を育み、アスコット子爵領の民との交流だった」
「セシル、だが私は――」
アスコット子爵が崩れ落ちる。前カドガン伯爵は慌てて、しゃがみこむ。
そこでアスコット子爵が、顔を覆っていた両手をおろした。
涙に濡れた銀の瞳は強い光を弾き、前カドガン伯爵だけを映していた。
「ギルは男として女を求める前に、人として、家族を求めていた! 満たされぬ幼子の心を抱えたままで! それを! それを僕がぶち壊した――」
「違う!」
前カドガン伯爵は大きな声を張り上げ、アスコット子爵の愁嘆を遮った。
アスコット子爵の肩を両手で掴み、揺さぶる前カドガン伯爵。
「私がレティを裏切ったことは、私の意思だ! 私の罪だ! セシルではない!」
「僕がお膳立てしたと知っているだろ?」
口の端を歪めて、卑屈な笑みを浮かべるアスコット子爵。
前カドガン伯爵は首を振った。
「だからなんだというのだ。ポリーに惹かれたのは、私の心だ。セシルとポリーが私を導こうとしたところで、私の心が動かねば、何事もなかったのだ」
前カドガン伯爵の懺悔に、部屋中の視線が集う。
「セシルの懸念通り、私はレティではなく他の女性を選んでしまった」
アラン様が憎々し気に前カドガン伯爵を睨みつけ、オルグレン婦人の肩を撫でさする。しかしオルグレン婦人はアラン様の手を除けると、身を乗り出した。
「それは……それは、私がギルを散々冷たくあしらっていたからでしょう!」
突如としてその場におとされた、オルグレン婦人の叫び。これまで弱弱しく倒れこみ、真珠姫曰く、悲劇のヒロインらしく嘆きの淵にいた婦人の声。
それは婦人が積年の恨みを募らせていたはずの相手、前カドガン伯爵を擁護する言葉だった。
「ギルの優しさに甘え、あなたがいつまでも許してくれると……」
この舞台の主役は、前カドガン伯爵からオルグレン婦人へとすっかり変わっていた。
「ギルは、それでも家族になろうと、最後まで愚かな私に歩み寄ってくれていたのに――」
「その通りですわ。ええ、前カドガン伯爵元夫人。あなた様さえ、ギルの情愛を素直に受け取っていれば」
しんと静まり返った部屋で、オルグレン婦人の懺悔に誰もが応えられず、身をこわばらせる中、真珠姫は立ち上がった。
「ですけれど」
真珠姫がは前カドガン伯爵の隣に寄り添うようにしゃがみこむ。そして前カドガン伯爵の腕に、自身の腕を滑り込ませた。
「そうはなりませんでしたの」