表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/96

31 諸悪の根源は

「つまり、そうか。そういうことか」


 どこか狂気を孕んだアスコット子爵の様子。目は見開かれ、口は極限まで吊り上げられ、左の手を額に、もう片方を腹部に。


「やはり僕が諸悪の根源だ! 僕が! 僕がかき回さなければ! ギルは姉さんを愛していたのに! 今頃、二人は夫婦として穏やかな愛を育んでいたのに!」

「俺はおまえにそう言ったじゃねぇか」


 アボット侯爵がアスコット子爵へと足を踏み出す。アスコット子爵は前カドガン伯爵から離れ、張り付けような笑顔を浮かべた。

 子爵がアボット侯爵に両手を広げる。


「そうだ! イーサンは僕に言った! 姉さんはバカだから、カドガン伯爵夫人にしてさえおけば、幸せになれると!」

「落ち着けよ……」


 アスコット子爵の背を撫でようとしたのだろう。伸ばされたアボット侯爵の手。

 だがそれは、アスコット子爵によって払われた。


「落ち着いてるさ。これ以上なく冷静だ。ギルは家族を求めていた。それは僕だって知っていた。当時のカドガン伯爵邸で生活を共にし、ギルの様子を見ていれば、それくらいわかるさ」


 アボット侯爵は困ったように首の後ろをかき、それから前カドガン伯爵へと振り返る。

 前カドガン伯爵は頷いた。


「ギルはなんでも持ってると思っていた。富んだ領地も、領主としての優れた才も、誰からも好まれる穏やかな気質も、多くを受け入れる余裕も、罪を犯した者でさえ許す器の大きさも、男らしい容貌も。なにもかも」

「――買い被りだ」


 前カドガン伯爵がアスコット子爵へ近寄る。


「ああ、買い被っていたんだ、ギル」


 アスコット子爵はくしゃりと顔をゆがめた。


「ギル。おまえは、男女間の愛を求めていたのではなかったんだ」


 前カドガン伯爵がアスコット子爵の目の前に立つ。


「おまえは家族を求めていたんだな?」

「……ああ」

「男女の恋愛より、なにより」


 両手で顔を覆うアスコット子爵。前カドガン伯爵はためらいがちに、アスコット子爵の背へ腕を回した。


「ギルが望んでいたのは、オルグレン=アスコット家と温かな情愛を育み、アスコット子爵領の民との交流だった」

「セシル、だが私は――」


 アスコット子爵が崩れ落ちる。前カドガン伯爵は慌てて、しゃがみこむ。

 そこでアスコット子爵が、顔を覆っていた両手をおろした。

 涙に濡れた銀の瞳は強い光を弾き、前カドガン伯爵だけを映していた。


「ギルは男として女を求める前に、人として、家族を求めていた! 満たされぬ幼子の心を抱えたままで! それを! それを僕がぶち壊した――」

「違う!」


 前カドガン伯爵は大きな声を張り上げ、アスコット子爵の愁嘆を遮った。

 アスコット子爵の肩を両手で掴み、揺さぶる前カドガン伯爵。


「私がレティを裏切ったことは、私の意思だ! 私の罪だ! セシルではない!」

「僕がお膳立てしたと知っているだろ?」


 口の端を歪めて、卑屈な笑みを浮かべるアスコット子爵。

 前カドガン伯爵は首を振った。


「だからなんだというのだ。ポリーに惹かれたのは、私の心だ。セシルとポリーが私を導こうとしたところで、私の心が動かねば、何事もなかったのだ」


 前カドガン伯爵の懺悔に、部屋中の視線が集う。


「セシルの懸念通り、私はレティではなく他の女性を選んでしまった」


 アラン様が憎々し気に前カドガン伯爵を睨みつけ、オルグレン婦人の肩を撫でさする。しかしオルグレン婦人はアラン様の手を除けると、身を乗り出した。


「それは……それは、私がギルを散々冷たくあしらっていたからでしょう!」


 突如としてその場におとされた、オルグレン婦人の叫び。これまで弱弱しく倒れこみ、真珠姫曰く、悲劇のヒロインらしく嘆きの淵にいた婦人の声。

 それは婦人が積年の恨みを募らせていたはずの相手、前カドガン伯爵を擁護する言葉だった。


「ギルの優しさに甘え、あなたがいつまでも許してくれると……」


 この舞台の主役は、前カドガン伯爵からオルグレン婦人へとすっかり変わっていた。


「ギルは、それでも家族になろうと、最後まで愚かな私に歩み寄ってくれていたのに――」

「その通りですわ。ええ、前カドガン伯爵元夫人。あなた様さえ、ギルの情愛を素直に受け取っていれば」


 しんと静まり返った部屋で、オルグレン婦人の懺悔に誰もが応えられず、身をこわばらせる中、真珠姫は立ち上がった。


「ですけれど」


 真珠姫がは前カドガン伯爵の隣に寄り添うようにしゃがみこむ。そして前カドガン伯爵の腕に、自身の腕を滑り込ませた。


「そうはなりませんでしたの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ