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ギルバートの悔恨 2

「父上。母上がレティのドレスを選ぶのを、やめさせたいのです」

「ほう。その理由は」


 私の申し出にぴくりと肩を揺らすと、父は羽根ペンをスタンドに差した。

 机に肘をついて、両手を組む父。重ねた指に、軽く引いた顎をのせ、眼光鋭くこちらを射抜く。


「スカーレット嬢のドレスを我が家で新調することについて、アスコット子爵からの苦言はない。となると、ドレスの新調自体は構わないな?」

「はい」


 うず高く積まれた書類。その影が、父の艶のある黒髪と、白く乾いた頬の上、ゆらりと動く。

 父の吐く息で、燭台の炎が揺れたからだ。


「ではなぜだ? ギルバート、おまえがスカーレット嬢のドレスを選びたいと?」

「いえ……」


 否定を口にしかけたところで、はっとした。


 そうだ。

 私はレティの婚約者だ。

 例の茶会でも、レティにドレスを贈るよう、コールリッジ家縁者の婦人に言われたのではなかったか。


 それにも関わらず、私はレティのドレスを自ら選ぶ、という考えが、まったく頭になかった。

 思わずうつむき、体の横に沿わせていた両腕。そのこぶしを握る。


 執務机を挟んで向こう。父のため息が落ちる。


「だろうな。おまえにそのような意思はないだろう。ではスカーレット嬢が不満を口にしたか?」


 咎めるような父の口ぶりに、顔をあげる。

 アスコット子爵へ支援を決定するのは、カドガン伯爵たる父。その父に、レティが難癖つけで傲慢な令嬢であるかのような誤解をされてはならない。


「違います! レティは慎ましやかな淑女です! 母上の選ばれたドレスに感謝こそすれ、そのようなことは決してございません!」

「わかっている。スカーレット嬢には、もう少し我儘を口にしてほしいくらいなのだから」


 まっすぐに向けられる父の眼差しには、どこか面白がっているような、からかうような。そんな悪戯な光が見え隠れしていた。


 カドガン伯爵である父、伯爵夫人である母。それから使用人達や我が領民たちに、レティが遠慮していることは、誰の目にも明らかだ。

 それは謙虚であるというより、卑屈なほど。


 だがそのレティの卑屈さは、婚約者である私には示されない。


 だから私はそこに、他者には許さない、私にだけ打ち明けるレティの甘えが存在しているように思っていた。

 どれほど冷たく振舞われようとも、レティが私を信頼し、また近しく感じていてくれるのなら、と。

 レティの無表情は、セシルの拒絶とは異なっている。そう自惚れていた。


 組んでいた手を解き、父は右手で顎をしゃくる。

 左手は右肘の内側に置き、顎を引いていた先ほどとは逆に、顎を突き上げ。軽く曲げた太い人差し指で、唇をなぞる父。

 冷え冷えとした青い目で、睥睨(へいげい)される。


「では、なぜおまえは私に、未来の嫁へのドレスを()()に選ばせぬよう言う。あれの選ぶドレスに、何か問題でもあったか? 質が劣るとは言わせん。我が領で製織した上等な生地だ。

「染色は我が領の管轄にはないが、優れた職人が施した織物のみを仕立て屋に厳選させた。その仕立て屋にしろ、あれが贔屓にしている者に任せているから、よほど流行から外れることも、審美や品性の劣ることもないだろう。腕のいい針子達が仕事に当たっているとも聞いている」


 そんなことはコールリッジ=カドガン家の人間として、当然把握しているだろう。と言わんばかりに、ドレスの製作過程について、父の口から淀みなく語られる。


「さて、なんの問題が?」


 咄嗟には答えられなかった。

 だが、これだけはわかった。


 父は、知っていたのだ。


 苦い思いが胸に広がる。

 だがこれまで何も気が付かずにいた私が、父に何を責められようか。


 レティの婚約者は私である。

 レティを守るべきは、父ではなく、私なのだ。

 母の主である父に、もし抗議できることがあるとするならば、今後母によるレティへの悪意ある干渉を辞めるよう、願い出ることだ。

 今こうして、執務中の父に無理を通しているように。


「母上の選ばれるドレスは、コールリッジ家の令嬢向けであり、オルグレンの妖精一族たるレティには、そぐわないのです」


 腹の底と眉間に力を入れ、父の目をまっすぐに見た。

 父が目を見開く。そして口元を弄んでいた手を額にやった。

 肩が小刻みに震えている。


「ふ……。はは! 言うじゃないか!」


 父はひとしきり笑うと、長く細く息を吐きだした。


「そうか……」


 額に当てていた手を外した父は、両掌を強く打ち合わせた。

 執務室にパン、と鋭く大きな音が響く。


「おまえは、私がこれまで事態を把握しながらも、口出ししなかったことについて、恨んでいるか?」


 ぎょっとした。

 いつも厳めしい父が眉尻を下げ、気の抜けたような様子でいる。


「まさか! 守るべき婚約者の窮地に、長らく気がつかなかったのは、愚かな私です。恥ずべきことでした」

「そうだな。それは確かにそうだ」


 父は頷いた。


「だが」


 机に手をつき立ち上がった父は、私を一瞥すると、壁に視線をやった。


「おまえだけではない。私はこれまで、父子揃って愚かであると、自嘲していた。ギルバート。おまえがスカーレット嬢の少女らしい期待に気がつかず、応えずにいたように。私もまた――」


 父の視線の先には、家族の肖像画があった。

 唐草模様の彫られた、金の額縁。

 向かって左に父が腰かけ、右手に母。そして幼い私が二人の間に立ち、母の膝の上に手をのせている。


 父は言葉の先を続けなかった。


 コールリッジ一族の当主であり、カドガン伯爵領の領主であるコールリッジ=カドガン家は、仲のよい家族とは言えなかった。

 そしてまた、伯爵夫妻の間にある情や義務は、実に貴族的だった。

 互いへの思いやりや愛情に溢れ、仲のよい、美しい姉弟であるレティとセシル。その、オルグレン=アスコット家とは、対照的に。

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