6 カフェで婚約者と
「それで、この企画をお父様に出してみたのです。わたしに任せると許可をいただきました」
月一のお茶会は、最近ではウォールデン商会が元締めとなる喫茶店で行われることも多い。
今日は視察を兼ねて、オープンしたばかりのカフェでアラン様と落ち合った。
「そうか。商売のことは専門外だが、これはいいな。男一人で宝石店に入るのは、なかなか気恥ずかしいものだ。いかにも気障な気がして、慣れぬうちはどうにも……。上位貴族となれば外商を呼ぶだろうが、これらの購買層は貴族や富裕層ではないのだろう?」
わたしの示す資料に一通り目を通すと、アラン様は重々しく頷かれた。
わたしは思わず吹き出しそうになってしまった。
ジュエリーを贈る機会が、これまでアラン様にあったのだろうか。
この生真面目な方が、暫定婚約者であるわたし以外の誰かに。
それはそれで嫉妬してしまいそうだが、アラン様のご様子と、またアラン様のお母様の嘆き――「アランったら、メアリーさん以外の女の子と口も利かないから、氷の貴公子だなんて呼ばれているのよ。恥ずかしいわ」という――を聞くに、どうにもそれはなさそうだ。
声が笑いで震えないように、こほん、と咳払いをして、アラン様にお応えする。
「ええ。ターゲット層は領地持ちの上位貴族様ではございません。ですが、年若いそのご子息であったり、富裕層のご子息ご令嬢も含みます。またアラン様の仰せの通り、法服貴族をメインターゲットと目しております」
アラン様はもう一度資料に目を落とすと、顎をしゃくった。
「……この企画書を作成するにあたって、市場調査をしたのか?」
「と仰いますと?」
市場調査をせずに企画を上げるなどありえない。
それはアラン様もご存知のはず。それなのにあえて問うということは、何かしら気にかかる疑問点があったということ。
どんな些細なことでも、懸念材料は一つずつ向き合って消していかなければならない。
そうすることで、ようやく商売は日の目を見る。
「そのメインターゲットという男達から事情を聞いたのか?それともそいつらから……いや。それはいい」
アラン様が語尾を濁されるので、それは聞き流せという意だと捉え、最初に問われたことに返答する。
「そうですわね。王立学園で知り合った方々からのご意見を聞いて回りましたわ」
別に男性に限らないのですけど。
なぜかアラン様は男性だと決めつけていらっしゃる。
ご自分が男性だから、男性のことしか想像できないということなのかしら?
こういったお値段を抑えたファインジュエリーは、ハイジュエリーほど高価ではなく。でもコスチュームジュエリーほど安価ではなく。
女性が自分自身のために気負いなく、けれども適度な満足感をもって購入できるという、それが第一の狙いなのだけれど。
でもそんなことは、男性のアラン様に説明したところで、共感を得られるはずもないわね。
「……王立学園は、いまファルマス公爵令息も通っているだろう」
アラン様の仰る通り、王立学園に通う子息令嬢で今最も位の高い方は、筆頭公爵家であるエインズワース家のファルマス公爵令息だ。
そしてそのファルマス公爵令息は、麗しい容貌と高い身分と、明晰な頭脳と優れた剣術とで、女生徒の人気を独り占めしておられる。
アラン様は飛び級して昨年ご卒業なさったけれど、ファルマス公爵令息の人気ぶりは目の当たりにしていたはずだ。
つまりわたしの市場調査の相手として優れた相手であり、しかしながら公爵令息という身分の高さから、わたしが失礼な振る舞いをしていないかご不安になられたということなのだろう。
平等を謡われる学園だけれども、さすがにわたしだって、身分を弁えている。公爵令息に無礼な真似はしない。
「ええ。ですが、市場調査に協力してほしいなどと不敬な真似はしておりませんので、ご安心なさってください」
アラン様はむすっと引き結んだ口を、ますますへの字に歪めてしまう。
何かおかしなことを言ったかしら。
「あいつから何か言われなかったか?」
あいつとは。もしやファルマス公爵令息のことでしょうか。
「いいえ。特には。わたしが店先に立つ日を教えてほしいと仰せになったくらいで」
「なんだと!」
アラン様が手にした資料をくしゃくしゃに握りしめて、テーブルに叩きつける。
その資料、写しの予備はあるけれど、商いを専門とされないアラン様の見やすいように夜を徹してまとめた資料なのだ。
そうも容易に駄目にされては、面白くない。
けれどそれはアラン様の与り知らぬこと。八つ当たりをしてはならない。
一度深く息を吸い、意識してゆったりと微笑む。
「何か問題でも? それよりアラン様ご自身がお買い求めになられるとき、望まれる応接や客間などは具体的にございますか?」
「メアリーが俺の相手をすればそれで済むだろう」
腕を組んでむすっと答えるアラン様に思わず殺意が湧く。
アラン様が恋焦がれる女性への贈り物を、わたしに選ばせるというのか。
わたしは未だ、アラン様の婚約者なのに。それがたとえ、あと二年もないものであっても。
なんて不実な人なのだろう。
「……アラン様との婚約解消後、この店にわたしがまだ店に立っているとは思えません。わたしは父と共に、ウォールデン家から独立するつもりですから」
投げやりに言い捨てると、アラン様が目を見開いてこちらを見た。
「どういうことだ? メアリーはウォールデンから出ていくのか?」
追い縋るようなアラン様のご様子に目を瞬く。
これまでアラン様に告げたことはなかっただろうか?
わたしは幾度もアラン様に、お祖父様とお母様への憤りと私怨を伝えてきたと思うのだけれど。
「ええ。カドガン伯爵夫人にもお伝えしましたが、わたしは父とともにウォールデン商店から暖簾分けを願い出ました。現在その許可を待っていて、これはウォールデン商店への餞の企画なのです」
そう言うと、アラン様は呆気にとられたご様子で、そのまま動かなくなってしまった。